前回は「「連合艦隊の超有望提督」だった南雲忠一〜水雷と操艦の超達人・極めて優秀な豪傑だった若き南雲・日清戦争と日露戦争での海軍〜」の話でした。

第一次世界大戦勃発と「軍縮への道」:各国の建艦競争牽制の動き

若い頃から優秀であり、海軍兵学校(海兵)を8番の成績で卒業した南雲忠一(191人中)。

海兵を8位の好成績で
卒業した!
当時の帝国海軍は、軍令承行令があり、海兵の卒業成績は出世に大きな影響を与えました。
その中、「海兵を10位以内で卒業」は、「将来が約束された」ことになった南雲。



私は水雷戦隊を
率いるのだ!
1887年に生まれた南雲青年は、1908年に海兵を卒業した頃、日露戦争の勝利の直後でした。


どの国でも、陸海軍では「陸軍の方が人数も多く、強い」中、



帝国海軍が、
ロシア海軍を打ち破ったのだ!
まさに「ロシアにトドメを刺した」形となった日本海海戦での大勝利。
この「大勝利」によって、帝国海軍は沸きに沸いていた状況でした。
そして、1914年には欧州で第一次世界大戦が勃発しましたが、



遠い欧州で大戦争が
始まったが・・・



我が帝国海軍は、日英同盟に
基づき、大英帝国のために派兵か・・・
大日本帝国は、日露戦争で多大な恩恵をもらった「日英同盟」にもと、多少派兵するに留まりました。
そして、1918年に第一次世界大戦が終了し、世界の趨勢は軍縮に向かいました。



我が栄あるEuropeで
大戦争が起きてしまった・・・



ああ・・・
こんな大戦争は、もう起きて欲しくないな・・・



それでは、皆で
軍縮しましょう!



確かに、大きな軍備があると
戦争の種になるな・・・



特に海軍の艦船は
維持費が高いから・・・



お互い建艦競争は
やめた方が良さそうだな・・・
若い頃は大豪傑だった南雲忠一:「軍備拡張派=艦隊派」急先鋒


この世界中が軍縮に向かう時代に、青年から壮年に向かう頃の南雲忠一たちは出会いました。
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 専門 | 役職 |
28 | 永野 修身 | 大砲 | 軍令部総長 |
32 | 山本 五十六 | 航空(大砲) | 連合艦隊司令長官 |
35 | 近藤 信竹 | 大砲 | 第二艦隊司令長官 |
36 | 南雲 忠一 | 水雷 | 第一航空艦隊司令長官 |
37 | 井上成美 | 航空 | 第四艦隊司令長官 |
37 | 小沢 治三郎 | 航空 | 南遣艦隊司令長官 |
40 | 宇垣 纏 | 大砲 | 連合艦隊参謀長 |
40 | 山口 多聞 | 航空 | 第二航空戦隊司令官 |
41 | 草鹿 龍之介 | 航空 | 第一航空艦隊参謀長 |
1887年生まれの南雲は、第一次世界大戦終了の1918年には、31歳を迎える頃でした。
まだまだ若く、これから円熟味を増してゆく時期に、南雲青年は、



世界中の海軍が
軍縮か・・・



それは、世界の趨勢だから
やむを得ないが・・・



また戦争が起きるかも知れず、
帝国海軍は、我が国を守るのだ!
世界中が軍縮に向かう中、「軍縮反対」の立場を堅持したのでした。


第一次世界大戦が終了した1918年は、対米戦勃発の1941年の23年前です。
23年は長い時間であり、この時点では「対米戦の未来は考えていなかった」時代でもありました。
その一方で、米国は帝国海軍の「明確な仮想敵国」でありました。



多少の軍縮は
やむ得ないが・・・



我が帝国を守るための
艦隊は絶対に必要だ!
後に、「艦隊抑制派=条約派」と「艦隊拡張派=艦隊派」に別れることになった帝国海軍。
若き南雲は「艦隊派」の超急先鋒であり、軍令部の権限拡張に大賛成でした。



軍令部の権限を拡張して、
来る戦いに備えるのだ!



海軍省は人事や艦隊整備などを
担当し、戦略は軍令部に任せろ!
米国でも海軍大臣と海軍作戦部長(総長)に分かれており、「戦略は軍令部」は正論でした。
そして、「軍令部の権限超拡大」に積極的だった南雲は、猛烈推進しました。





いくらなんでも、
軍令部の権限を強くしすぎだ・・・
海軍省において、かなりの権限を持っていた軍務局第一課長であった井上成美。
海兵を次席卒業し、極めて優秀な能吏で知られていた井上。



これでは、戦略に対して
海軍省は口を挟めなくなる・・・
井上は「海軍省と軍令部のバランス」を最優先しました。
井上課長の反対を知った「海兵一期先輩」の南雲は、宴会の席で酔った勢いで、



井上の
馬鹿!



貴様なんか殺すのは、
何でもないんだ!



短刀で脇腹をぐさっとやれば、
貴様なんかそれで終わりだ!



・・・・・
このように、井上に「詰め寄った」武勇伝があります。
そしてド迫力の風貌を持ち、大豪傑であった南雲忠一。
さらに、海兵を8位で卒業し、操艦においては「帝国海軍随一」とも言われた南雲。
南雲は、帝国海軍において中心人物であり続け、そのまま第二次世界大戦に至りました。