前回は「日本の近代を生み出した男・大久保利通〜明治維新の四傑と薩長・岩倉と大久保の暗躍・討幕の創作者たち・圧倒的パワーを有していた徳川・大政奉還の大奇策〜」の話でした。

「維新のN傑」に見る薩摩と長州への評価:同時代の視点と長州軍団

「維新の元勲」と呼ばれ、「明治維新の三傑」の一人とされる大久保利通。
明治維新期において、不動の存在感を放っています。
筆者は、この三人に岩倉を加えて「維新の四傑」と考えるのが最も史実に合うと考えます。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
いずれにしても、「維新の三傑の1/3が薩摩」であり「維新の三傑の1/2が薩摩」です。
つまり、「薩摩が明治維新の原動力」であったことが、「維新の〜傑」に現れています。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀
・長州:木戸孝允・大村益次郎・前原一誠・広沢真臣
・肥前:江藤新平
・肥後:横井小楠
・公家:岩倉具視
まだ「明治維新の香り」が漂っていた1884年には、山脇之人が「維新元勲十傑論」を著しました。
この「維新元勲十傑論」で目立つのは、長州出身者が非常に多いことです。
山脇の主観とはいえ、明治維新が成立して16年後に出版された、同時代の本書籍の視線は重要です。
山脇「維新元勲十傑論」では「維新の十傑の4/10が長州」であり、薩摩を抜いています。


明治維新は、世界史で見ると、
極めて流血が少ない革命であり・・・



「無血革命」と呼んで
良いでしょう・・・
筆者も好きな司馬遼太郎は、「明治維新は無血革命」と言っています。


実際には、明治維新では「多数の血が流れた」のが事実でした。
そのため、筆者は明治維新は「無血革命ではなく、明確な軍事力による革命」と考えます。



私が、その「軍事力の源」である
薩摩藩を引っ張ったのだ・・・



おいどんは、
薩摩軍の采配をとったごわす!
そして、確かに「討幕軍の根源的パワー」を持った薩摩を動かした人物が大久保でした。
薩摩の圧倒的軍事力とパワーを操った大久保利通:久光の「秘蔵っ子」





私は、
西郷が大嫌いなのだ!
薩摩藩の「事実上の藩主」であった島津久光は、「終生、西郷が大嫌い」でした。



おいどんは、
久光様を好かん!
お互い「大嫌い」だった島津久光と西郷隆盛。
「大嫌い」というよりも「憎しみ合っていた」という表現の方が、この二人には適切であり、



久光様は、我が主君であり、
師である斉彬様を殺害した・・・





西郷は、
実に使える・・・



だが、西郷を使いこなせるのは、
私くらいだろう・・・
「幕末きっての明君」の評価が高い、前藩主の島津斉彬は、「西郷を世に送り出した」人物でした。



斉彬様がいなかったら、
おいどんは・・・
もし、斉彬が「具眼の士」でなかったならば、西郷が「表舞台に出てくる」ことはなかったでしょう。
そして、歴史上に「西郷隆盛」という名前が刻まれることがなかったと思われます。



その斉彬様を
殺しおって、おのれ・・・
終生、こう思い込んでいた西郷は、英雄にありがちな「超思い込みが強い」人物でした。



・・・・・
「斉彬暗殺の真相」は闇ですが、おそらくは、「腹違いの弟・島津久光は無関係」だったでしょう。
そして、「久光の周囲が計画した暗殺」であったと筆者は考えいます。
島津斉彬が暗殺された頃の、西郷の話を上記リンクでご紹介しています。



久光様とは、
全然合わん!
「事実上の薩摩の最高権力者」である久光と、終生反目した西郷は、二度目の島流しを喰らいました。



とにかく、
西郷は大嫌いだ!
こちらも「思い込みが強い」人物だった島津久光。
もちろん、島津の軍事力の指揮権は島津久光が握っていたのであり、



久光様の元では、
おいどんは働きたくなか!
これでは、西郷の「出る幕」があるはずがありませんでした。



久光様・・・
この一蔵に全てお任せを・・・
ここで、登場するのが大久保利通(当時は「一蔵」という名前)でした。



一蔵は、
かなり使えるし、ウマが合うな・・・



精忠組とは
上手くやりたいし、一蔵は側近にしよう・・・
・長州・松下村塾:高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など
・薩摩・精忠組:西郷隆盛、大久保利通、有馬新七、大山綱良など
・肥前・義祭同盟:江藤新平、副島種臣、大木喬任など
そして、島津久光の「秘蔵っ子」としての役を演じ続けた大久保利通。



久光様・・・
薩摩は討幕に向かうべきです・・・



ううむ・・・
一蔵がそういうならば・・・
幕末維新期の薩摩圧倒的軍事力とパワーを操った男こそが、大久保利通でした。
そして、憎しみあった島津久光と西郷隆盛の狭間で、時代を変化させました。