西郷隆盛 7〜島津斉彬の急死・井伊直弼大老・一橋派と南紀派〜|安政の大獄

前回は「西郷隆盛 6〜幕府の対外政策と薩摩 2〜」の話でした。

薩摩藩士 西郷隆盛(国立国会図書館)

突然登場して、非常に強引な強権を振るった井伊大老。

外国との交渉で日本が揺れる中、将軍継嗣問題で幕府は揺れに揺れます。

一橋派vs南紀派(歴史人 幕末維新の真実 KKベストセラーズ)

「一橋慶喜が次期将軍」と考える一橋派に対して、「徳川慶福が次期将軍」と考える南紀派の対立。

国内をしっかり治めて、外に向かわなければならない時に、内輪揉めをしている場合ではありません。

大老 井伊 直弼(Wikipedia)

慶喜は、
あの大奥に嫌われている徳川斉昭の息子ではないか!

しかも一橋家と
紀伊徳川家では格が違う!

次期将軍は
慶福(家茂)様で決定!

勝手に、次期将軍を決定した大老 井伊直弼。

私は、
徳川幕府という日本政府の首相なのだ!

井伊大老からすれば、

反論など、
もってのほか!

なのでした。

水戸藩主 徳川斉昭(Wikipedia)

ちょっと
待ってくれ!

越前藩主・松平春嶽(Wikipedia)

井伊殿。
さすがに独断専行がすぎませんか・・・

あまりに強権を振るう井伊大老に対して、親藩大名からも非難の声が上がります。

次期将軍決定の
発表は先送りにして下さい!

普通ならば、これほどの反論が起きれば妥協するのですが、

うるさい!

黙っていろ!

井伊大老は逆ギレして、反論を押さえつけます。

しばらく
謹慎しておれ!

そして、逆に水戸藩主・徳川斉昭や越前藩主・松平春嶽に謹慎を命じた井伊大老。

安政の大獄の始まりでした。

第11代薩摩藩主 島津 斉彬(国立国会図書館)

一体、
井伊大老は何様なのだ?

外国との条約など、
様々な事が山積している!

次期将軍が左右するのは、
徳川家の未来だけではない・・

我が国全体に
大きな影響を及ぼすのだ!

そして、島津斉彬はついに大決断します。

上洛する!

薩摩藩兵5,000名を
引き連れてゆく!

なんと、5,000名もの薩摩藩士を引き連れて、上洛して井伊大老に圧力をかけようとします。

この頃、江戸にいた西郷は、

斉彬様が
5,000名の藩士を率いて上洛ごわす!

我が薩摩の力を
見せつけ、井伊に再考をせまるごわすな!

勇躍する西郷。

日々、藩兵たちの調練に余念がなかった斉彬。

我が国最強の
薩摩藩兵5,000名に対抗できる国はない!

1,000名ほどの薩摩藩兵でも「巨大な軍事力」です。

それが、5,000名もの藩兵を率いて薩摩から、はるばる京へ向かいます。

場合によっては、
そのまま江戸へ藩兵とゆく!

5,000名もの藩士を京・江戸へ向かわせるのは、莫大な経費がかかります。

それまでも、参勤交代による大きな経費に苦しんできた各藩ですが、5,000名ともなると大変な経費です。

斉彬様、5,000名を上洛させるには、
大変な経費がかかります!

もう少し少なくされては、
いかがでしょうか?

ならん!
5,000名で徳川に圧力かけるのだ!

西洋の学問に大いに関心を持ち、経費度外視で「欧米の学問導入」を進めた前藩主・島津斉興の祖父の島津重豪。

第8代島津藩主 島津重豪(Wikipedia)

島津重豪と似ている「欧米の学問導入派」の島津斉彬の藩主への就任を阻んだのは、斉興でした。

第10代島津藩主 島津斉興(Wikipedia)

なんと!
斉彬が5,000名もの藩士を率いて上洛だと!

一体、いくらかかると
思っているんだ!

そもそも、徳川に
逆らって、何になる!

将軍継嗣問題でゆれる徳川家同様、島津家も「斉彬派」と「反斉彬派」に別れていました。

「反斉彬派」急先鋒の前藩主・島津斉興のところへ、反斉彬派が集まりました。

斉彬様は、
薩摩藩を火中に投じようとしています。

ふむ・・・

この最中、

5,000名の藩士と共に、
京へ!

京へ上洛ならぬ、「出陣する」つもりでいた斉彬。

突然、急死しました。

うむう・・・

病死とも伝えられますが、実態は毒殺等による暗殺だったのでしょう。

この「斉彬急死」の連絡を受けた西郷は、

斉彬様が
急死だと!

馬鹿な・・・

目の前が真っ暗になった西郷でした。

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