前回は「本質をパッと切り出す「異能の持ち主」勝麟太郎〜徳川幕府の底力・シーボルトの一人娘・楠本イネとの邂逅・「蘭学の神」と鳴滝塾〜」の話でした。

「長州人」から「宇和島人」となり得た宝物:村田の超合理的思考

勝海舟幕臣
勝海舟と申す。



宇和島藩の
村田と申す・・・
1855年、当時の日本における海軍研究機関であった長崎の海軍伝習所で学んだ村田蔵六。
もともと長州藩に所属していた村田は、長州藩の田舎で医院を開いたものの、上手く行きませんでした。





村田殿・・・
宇和島藩で蘭学を教えて頂きたい・・・



分かり申した・・・
宇和島藩へ参りましょう!
長州藩は現在の山口県、宇和島藩は現在の愛媛県です。
現在は、単なる「都道府県の違い」ですが、当時は「異なる国家」という考え方でした。
長州藩に所属する藩士は「長州人」であり、宇和島藩に所属する藩士は「宇和島人」だった当時。
さらに、表高で長州藩は37万石、宇和島藩は10万石であり、長州藩の方が格上でした。
そして、伊達宇和島藩は、あの伊達家ですが傍流であり、長州藩は毛利家でした。
この点から考えれば、「異なる国家」であり「はるかに格下だった」宇和島藩に招聘された村田。



この村で医師を
やっていても仕方ない・・・



宇和島藩が
蘭学者として招聘してくれるなら・・・



長州から、宇和島に
向かおうか・・・
いかに、宇和島藩から「士分」で迎えられたとしても、「異国に移る」のは思い切った決断でした。
この「異国への移籍の決断」は、当時の武士の考え方からすると「なかなか出来ないこと」でした。
この「なかなか出来ないこと」をアッサリやってのけた大村は、



蘭学が学べて、優遇してくれるなら、
そっちの方が良いに決まっている・・・
「長州人の考え」ではなく、「学問最優先の合理的発想」でした。
そして、宇和島藩に来て、さらに「宇和島人」として海軍伝習所で多大な蘭学と軍学を修めた村田。



海軍伝習所で
学んだことは極めた多大だった・・・
そして、当時の最新鋭の人物・勝海舟らとの縁を持った村田。
「長州人を続ける」選択をしていたら、「海軍伝習所との縁」もなく、村田は歴史に埋もれたでしょう。
ところが、村田の「アッサリ合理的発想」が、村田を世に送り出したのでした。
「長州人」から「宇和島人」となり得たものは、村田に巨大すぎる宝物でした。
江戸でさらに大きく成長した村田蔵六:箕作秋坪と蕃書調所


長崎の海軍伝習所で、多大な蘭学研究と海軍の実践を修めた村田。
村田は、久しぶりに宇和島藩に戻ってきて、瀬戸内海に面する日々に戻りました。



村田殿・・・
私の参勤交代に同行して頂こう・・・



はっ、
お供致しまする・・・
安政四年(1857年)、村田蔵六は、藩主・伊達宗城の要請で、江戸の参勤交代に付き従うことになりました。



江戸は
初めてだ・・・
若い頃から、長州から九州へ、そして大坂の適塾で学んだ村田。
実は、江戸は行ったことがない地であり、ドライな村田ですら「憧れの首都」でした。
この「伊達宗城に付き従って参勤交代」の理由の一つは、



最近、眼病を
患って、辛い・・・



私は適塾で
大いに学んだが、眼のことは分からん・・・
村田が眼病を患っていて、「その治療を兼ねて江戸へ」という説があります。
この説が正しいかもしれませんが、筆者は、



村田には江戸を
見させるのが良い・・・



海軍伝習所では、
幕府要人たちとも縁を持ったらしい・・・



適塾の関係者も江戸には
いるだろうし・・・



一度、江戸の地を踏むことは
村田にとって大いに資するであろう・・・
幕末の「開明な藩主」の一人であった、伊達宗城の「村田への期待」が最大の理由と考えます。
そして、江戸に到着した村田蔵六は、



ここが
江戸か・・・
長州でも宇和島でもなく、当時「天下の台所」であった大坂よりもはるかに巨大な都市だった江戸。



いやはや、人、人、
人、だな・・・
江戸の人口は、当時100万人を超えており、「世界最大の都市」の一つだった説が有力です。
江戸に初めて来た村田は、大いに興奮しました。





やあ、村田殿、
久しぶりですな・・・



箕作殿、
お久しぶりです!
江戸では、適塾で同窓だった箕作秋坪と旧交を温めた村田。



おお、村田殿、
お久しゅう・・・
1825年の村田は、1826年生まれの箕作と年齢が近く、同じ学者肌だったので、気が合いました。



最近、幕府では
蕃書調所という機関を作りました・・・



私は、そこで
蘭学の教授をしています・・・
村田が江戸に向かった1857年の前年、1856年に徳川幕府は蘭学研究機関・蕃書調所を設立しました。
蕃書調所は、後に東京大学に繋がってゆきます。



これは、世の中が
急速に変わっている・・・
江戸に来て、「最新の世の動向」に触れた村田。
長州から宇和島へ、そして長崎と江戸に向かった村田は、さらに大きくなってゆきます。
次回は上記リンクです。


