前回は「長崎で出会った「幕府の巨頭」勝海舟と「討幕の巨頭」村田蔵六〜大人しく幕法に従ったロシア使節ラクスマン・公式窓口は長崎〜」の話でした。

本質をパッと切り出す「異能の持ち主」勝麟太郎:徳川幕府の底力

勝海舟幕臣
勝海舟と申す。



宇和島藩の
村田と申す・・・
もともと長州藩士であった村田蔵六は、この頃は宇和島藩に所属し、「士分」扱いでした。
そして、宇和島藩からの要請で、長崎の幕府の海軍伝習所に向かった蔵六。



これが、幕府の
海軍伝習所か・・・
蔵六が長崎に向かったのは1855年であり、この頃は「幕末に急速に向かう時代」でした。





Hello!
Japanの皆さん!



我がUnited Statesと
和親条約結びましょう!
前年の1854年には、ペリー提督が二回目に来航し、日米和親条約締結となりました。





ペリーがやってきて、
日米和親条約を締結した・・・



別にこちらは条約は
締結したいと思っていなかったが・・・



江戸湾に軍艦を
派遣され、恫喝された・・・



我が国の「海の守り」が
最優先だ!
1855年の12年後には、「幕府崩壊」となりますが、この頃はまだまだ「圧倒的日本政府」だった幕府。
そして、比較的鋭敏な若き老中・阿部正弘が幕政を握り、幕府は安定していました。



やはり、長州とも
宇和島とも全然違うな・・・



幕府の力は
圧倒的だ・・・
海軍伝習所の船などの設備、蘭書の圧倒的な量に対して、蔵六は「徳川幕府の力」を思い知りました。
12年後には、「討幕司令長官」となる村田蔵六。
この頃は、そんな気配は全くありませんでした。



そして、あの勝麟太郎という
人物・・・
幕臣・勝麟太郎は、明らかに「幕臣としては異質」な人物でありました。



ああ、大村殿、
その分野なら、この蘭書が良いかと・・・



ああ、この蘭書を
読めば分かりそうですか・・・
「異能」の持ち主だった勝麟太郎は、「物事の本質」をパッと切り出す点に特徴がありました。



確かに、私の疑問点は
ここに全て書かれている・・・



あの勝という人物、
相当なものだな・・・



そして、あのような幕臣が
多数いる徳川幕府・・・



やはり、幕府は、我が長州や宇和島とは
別格だな・・・
おそらく、蔵六は勝麟太郎と会って、このように感じたでしょう。
シーボルトの一人娘・楠本イネとの邂逅:「蘭学の神」と鳴滝塾


海軍伝習所で、懸命に修行に励んでいた村田蔵六には、「新たな出会い」が他にもありました。
長崎で、蘭学教育・医師養成所の鳴滝塾を設置したPhilipp Franz Balthasar von Siebold。
ドイツ人であったSieboldは、貴族の出身であり、名門の家柄でした。
ドイツ語で”von”(フォン)の名称は「貴族であること」を示します。


第二次世界大戦期、ドイツ第三帝国外務大臣であったJoachim von Ribbentropも”von”がある貴族です。
日本名では「シーボルト」と呼ばれるSieboldは、優れた医師でした。



私はドイツ人で、
ドイツ語もオランダ語も出来る医師です・・・



Japanで蘭学を教え、
医学を教え、診療所を開きましょう!
若い頃から「東洋学」に大いなる興味を持っていあシーボルトは、多数の後進を育てました。


蛮社の獄で罰せられてしまった蘭学者・高野長英も、鳴滝塾出身です。
日本の蘭学・医学において、多大な足跡を残したシーボルトでしたが、



ちょっと
帰国します・・・



東洋やJapanに大いなる興味があり、
多数の資料を持ち帰ろう・・・
1828年に帰国する際に、多数の資料を持ち帰る予定だったシーボルト。
その船が難破してしまい、シーボルトの荷物が海に流れて、日本に漂着しました。



こ、これは、
我が日本の地図!



地図を国外に持ち出すのは
厳禁だ!



この地図は
差し出して頂く!



No!
これは持ち帰るのだ!
「地図の国外流出厳禁」だった幕法に逆らったシーボルト。



ならば、お主は
追放だ!



・・・・・
日本の蘭学・医学に多大な足跡を残したシーボルトは、1828年に追放処分となってしましました。
これを「シーボルト事件」と呼びます。
そして、蘭学や医学を学ぶ者にとっては「神に近い」存在だったシーボルト。



私はシーボルトの
娘、楠本イネです・・・



あのシーボルト殿の
娘様ですか!
ここ長崎で、蔵六はシーボルトの一人娘・楠本イネと邂逅を果たしました。
ここで、司馬遼太郎の「花神」ではイネと蔵六の恋を描いていますが、ほとんど脚色と思われます。
そして、イネと親しくなり、蘭学と日本の繋がりを色々と聞いた蔵六。
いずれにしても、様々な出会いがあり、蘭学研究を一気に深めた蔵六。



これからは、蘭学一筋で
全ての人生を賭ける!



医学も良いが、
やはり西洋軍事学だ!
長崎での経験は、蔵六の「軍事指揮官」としての能力に磨きをかけました。

