日独によるソ連挟撃に揺れる帝国陸海軍〜「南北曖昧」な陸軍と「南が先」と明確な帝国海軍・ヒトラーが警戒した「最近までNo.1だったUK+今No.1のUS」〜|陸海軍の迷走8・真珠湾からミッドウェーへ

前回は「異常に強気だったヒトラー〜冷静に分析していた参謀本部・ルドルフヘスの「謎の英国行」・大英帝国との講和模索したドイツ〜」の話でした。

目次

ヒトラーが警戒した「最近までNo.1だったUK+今No.1のUS」

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左上から時計回りに、Adolf Hitler独総統、J.Stalinソビエト連邦指導者(書記長)、東條英機 首相、Winston Churchill英国首相(Wikipedia)

1939年に開始した第二次世界大戦は、初期は「ドイツ帝国と大英帝国の戦争」の様相を呈していました。

Hitler

UKを
屈服させるのだ!

19世紀末から急激に軍事力・科学力を増強し続けたドイツ。

それに対して、19世紀末までは「フランスと共に欧州に君臨し続けた」のが大英帝国でした。

1874年に超名門の家柄に生まれたチャーチル。

Churchill

我がUnited Kingdomは
世界最強なのだ!

チャーチルが若い頃は、確かに大英帝国は世界に君臨したNo.1の国家でした。

国家国家元首生年
大英帝国チャーチル1874
ソビエト連邦スターリン1878
米国ルーズベルト1882
イタリア王国ムッソリーニ1883
大日本帝国東條英機1884
ドイツ帝国ヒトラー1889
第二次世界大戦の主な国家元首の生年

それに対して、チャーチルよりも15歳年下で、家柄も大したことなかったヒトラー。

内心は、大英帝国の底力を十分に承知していたヒトラーは、

Hitler

UKと戦争を続け、USが
乗り込んできたらマズイ・・・

当時、「最近までNo.1だったUK+今No.1のUS」の合体を警戒していたはずです。

これは、極めて当然の発想でした。

新歴史紀行
大英帝国 1921年(Wikipedia)

まだまだ世界中に植民地を持っていた大英帝国に対して、ドイツ帝国の領土は限定されています。

「領土の広さ」を比較したら、とても「大英帝国の敵ではない」ことを認識していたヒトラー。

Hitler

UKを短期に
屈服させるのは、流石に不可能か・・・

その上で、「硬直化していた大英帝国との死闘」に対して、ヒトラーが決断したのが、

Hitler

バルバロッサ作戦で、
Sovietに侵攻!

Hitler

我が第三帝国の軍事力ならば、
Sovietを2,3ヶ月で屈服可能!

「禁じ手」であった独ソ戦でした。

日独によるソ連挟撃に揺れる帝国陸海軍

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靖国神社・遊就館(新歴史紀行)
久門有文

ヒトラー、
誤てり!

これに対して、当時の参謀本部は的確な判断を下していました。

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Joachim Ribbentrop独外務大臣(Wikipedia)
Ribbentrop

Matsuokaさん、
大事な話があります・・・

Ribbentrop

実は、我がGermanyは
なんとかしてSovietを打倒したい・・・

ソ連侵攻を「事前に松岡外相に通告」していたリッベントロップ外相。

おそらく、ドイツはこの「独外相による日本外相への通告」が「正式通告」同等と考えていたでしょう。

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1941年6月頃の日本政府・大本営幹部:左上から時計回りに、近衛文麿首相、松岡洋右外相、永野修身軍令部総長、杉山元参謀総長(Wikipedia)

これに対して、松岡外相は、

松岡洋右

ドイツが本当に
ソ連に侵攻するのか?

「半信半疑程度であった」のが当時の状況でした。

猛烈な個性で外務省を引っ張っていた松岡洋右。

現在の日本政府において、外相の存在はそれほど重くなく「誰でも良い」雰囲気すらあります。

それに対して、当時の松岡外相によって、外務省は「松岡軍団」とも言える組織でした。

トップが「半信半疑」であった以上、「松岡軍団」外務省高官たちもまた、半信半疑でした。

久門有文

ドイツがソ連に
侵攻したなら・・・

久門有文

我が国がソ連に
侵攻すれば、ソ連挟撃となるな・・・

「挟撃」は戦争・合戦において、非常に有利な手であり「やらない手はない」と言えます。

ここで、「日独によるソ連挟撃」に大いに揺れたのが帝国陸軍でした。

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大東亜戦争全史1(服部卓四郎 著、鱒書房)

この頃の様子は「大東亜戦争全史」に詳しく描かれています。

杉山元

ドイツは同盟国である我が国に
正式な「ソ連侵攻」を通告してこなかった・・・

日ソ中立条約によって、ソ連もまた友邦であった大日本帝国。

大日本帝国にとって「友邦同士が戦争」という事態に対し、根本的戦略の見直しが迫られました。

永野修身

差し当たって、
陸海軍の方針を再検討ですな・・・

独ソ戦開始直後から、陸海軍で綿密な協議が続けられ、「陸海軍部新国策案」が作成されました。

独ソ戦から2日後の1941年6月24日であり、「極めて迅速に新方針を固めた」帝国軍部。

「南北曖昧」な陸軍と「南が先」と明確な帝国海軍

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旭日旗(Wikipedia)
陸海軍部新国策案:1941年6月24日(抜粋)

第二の二

帝国は自存自衛上南方用域に対する各般の施策を促進す

之が為対英米戦準備を整へ、先づ「南方施策促進に関する件」に拠理仏印及泰に対する諸方策を完遂し以て南方進出の体制を強化す帝国は本号目的達成の為対英米戦を辞せず

第二の三

独ソ戦に対しては三国枢軸の精神を基調とするも暫く之に介入することなく密かに対ソ武力的準備を整へ自主的に対処す

独ソ戦争の推移帝国の為極めて有利に進展せば武力を行使して北方問題を解決し北辺の安定を確保す

「極めて迅速に固めた」のは事実ですが、どうにも曖昧であったのが現実でした。

この「陸海軍部新国策案」に対して、松岡外相は、

松岡洋右

大体は良いのだが、
「南方進出促進」と「北方問題を解決」・・・

松岡洋右

一体、南方と
北方のどちらを重視するのだ?

こう疑問を呈しましたが、この曖昧すぎる文章に対する反応として当然でした。

杉山元

陸軍は、北も南も
軽重なし!

杉山元

情勢の推移を
睨むのである!

そして、「情勢次第」という「方針にならない」ことを「決定したつもり」だった帝国陸軍。

永野修身

帝国海軍は、
南が先だ!

それに対して、「方針が明確だった」のが帝国海軍でした。

松岡洋右

然らば、
陸海軍の見解が異ふ!

「なら、陸海軍で見解が違う」と言う松岡外相に対して、

杉山元

ハッキリ言うが、
南北で軽重はない!

杉山元

南北同時に
出来ない!

杉山元

だが、南と北はどっちが先か、は
今は決められぬ!

そして、相変わらず「南北どちらか不明」を貫いた「南北曖昧」な陸軍。

それに対して、より「重油が生命線」だった帝国海軍は明確でした。

永野修身

油がなければ、
艦隊は動くことが出来んのだ!

ところが、陸海軍の足並みが揃わない状況が続いたのでした。

次回は上記リンクです。

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