前回は「「強面度」No.1だった宇垣纏〜「帝国海軍戦艦の超集大成」戦艦武蔵・「ジェントルマン」の帝国海軍軍人・引き裂かれた帝国陸海軍〜」の話でした。

帝国海軍航空隊の模範・吉良俊一:困難な空母黎明期の空母着艦

海軍兵学校40期を卒業した宇垣纏。
宇垣纏海兵を9位の
上位で卒業した!
後に、海兵40期は「花の40期」と呼ばれ、多数の将星を生み出しました。
| 海軍兵学校卒業期 | 名前 | 専門 | 役職 |
| 32 | 山本 五十六 | 航空 | 連合艦隊司令長官 |
| 36 | 南雲 忠一 | 水雷 | 第一航空艦隊司令長官 |
| 37 | 小沢 治三郎 | 航空 | 南遣艦隊司令長官 |
| 40 | 宇垣 纏 | 大砲 | 連合艦隊参謀長 |
| 40 | 大西 瀧治郎 | 航空 | 第十一航空艦隊参謀長 |
| 40 | 吉良 俊一 | 航空 | 第十二連合航空隊司令官 |
| 40 | 福留 繁 | 大砲 | 軍令部第一部長 |
| 40 | 山口 多聞 | 航空 | 第二航空戦隊司令官 |
| 41 | 草鹿 龍之介 | 航空 | 第一航空艦隊参謀長 |
確かに、海兵40期は、優れた個性的海軍士官が多いのが目立ちます。
海兵40期と真珠湾奇襲攻撃に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
宇垣纏、大西瀧治郎、山口多聞
宇垣纏、大西瀧治郎、山口多聞の三名を、筆者は「海兵40期三羽烏」と考えます。
「作戦の神様」と当時呼ばれた福留繁は、結局「机の上の戦略家」でした。
他に40期には、航空の先駆けとなった吉良俊一がいます。





これからは空母と
航空隊の時代だ!
山口多聞、大西瀧治郎など、航空派の先駆けとなった40期において、吉良俊一もまたその一人でした。


1922年に「世界初の新造空母」を生み出した帝国海軍。
ところが、「空母から発艦」は比較的容易でしたが、「空母への着艦」は極めて困難でした。



空母へ上手く着艦
出来たものには、賞金を与える!
困った帝国海軍は、「空母着艦成功者」に対して賞金を与えることを公表しました。



なら、俺が空母へ
着艦成功して見せるぜ!
そして、当時日英同盟で友好関係にあった、英国海軍士官が見事「空母着艦」を果たしました。



では、賞金を
頂きます!
これに対して、負けん気の強い吉良俊一は、



英国海軍士官に出来ることは
帝国海軍士官も出来るぜ!
自ら操縦して、英国海軍士官の空母着艦成功一週間後に着艦に成功しました。



よしっ!
鳳翔へ着艦成功!



吉良俊一は
大した人物だな!
吉良俊一は、「帝国海軍航空隊の模範」となりました。
「空軍独立」のドイツと大英帝国vs「空軍非独立」の大日本帝国と米国


このように、空母に関しては、「世界の海軍の先頭を走っていた」大日本帝国海軍。



確かに空母航空隊には、
大いなる可能性がある・・・
「バリバリの大砲屋」だった宇垣纏もまた、空母航空隊へ熱い視線を注ぎました。



これからは
空母の時代だ!



そうだ!
空軍を創設すべきだ!
1930年代は、軍縮時代でしたが、各国海軍は空母航空隊の技術革新と研究を続けていました。
そして、大英帝国やドイツは陸海軍に加えて、空軍を分化させ陸海空軍となっていました。





これからは航空隊と
戦車の時代だ!
特に、ドイツは飛行機の技術を極めて重視し、1930年代に権力を握ったヒトラーは、



とにかく、さらに戦闘機などの
研究を進めるのだ!
猛烈に戦闘機などの研究を推進しました。
その結果、第二次世界大戦初期には、ドイツの航空機の技術は世界一と思われるほど卓越していました。


そして、圧倒的な科学力と技術力が結集したメッサーシュミットが、欧州を制圧しました。


空軍を分化させたドイツ第三帝国と大英帝国に対して、米国と大日本帝国は未分化でした。
第二次世界大戦の時点では、大日本帝国は「陸海軍」であり、米国は「陸海軍+海兵隊」でした。
この「空軍分化と未分化」は、各国の軍隊の性格にも寄りますが、地理的性質も大きいものでした。
航空機は「大陸から出撃する」であった欧州。
それに対して、広い太平洋がある大日本帝国と米国は、航空機は「島か空母から出撃する」でした。
そのため、大日本帝国と米国は、第二次世界大戦時は「空軍は陸海軍の一部」という発想でした。



海上では、空母から発艦して、
空母へ着艦しなければならない空母航空隊・・・



その戦力は巨大だが、
制約もまた強い・・・
「鉄砲屋」であった宇垣纏は、空母航空隊の未来を認めながら、



やはり、戦艦の強烈な
砲撃で敵を倒すのだ!
戦艦主体の発想を堅持しました。


