前回は「真珠湾奇襲攻撃 38〜天敵登場〜」でした。


戦艦こそが、海軍の主力だ!
空母は、山口・大西たちに任せた!
「花の40期」と言われるほど、多士済々の海兵40期が、山本長官を補佐します。


大西・宇垣は敗戦時に非常に大きな決意を実行しますが、それはまたの機会にご紹介します。
他に福留繁軍令部第一部長、城島高次翔鶴艦長らがいる海兵40期。


この山口・大西・宇垣という海兵40期三羽烏が、山本長官を近くで支えていたのです。





真珠湾奇襲攻撃を、源田と共にまとめたのは、私だ!
それぞれ優秀な成績で海兵卒業しましたが、特に優秀だったのは山口司令官。
なんと海兵を、次席卒業しました。
当時も、東大などの帝大はありました。
陸軍士官学校・海軍兵学校は全国のエリートたちが集う、東大と同格かそれ以上の存在でした。
非常に優れた若者たちが、集っていたのです。
その中でも、特に優れた頭脳と非常に個性的な面々が揃った海兵40期。
草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長は海兵41期卒。


彼らの1期下に当たります。
さらに伊藤整一 軍令部次長は海兵39期で、山口たち40期の1期上です。


当初、真珠湾奇襲攻撃に猛反対していた伊藤軍令部次長。
永野軍令部総長の決断に従って、作戦を認可します。
海兵40期と、その前後の面々が集って真珠湾奇襲攻撃を支えていた真珠湾奇襲攻撃。
中でも、正規空母6隻のうち2隻含む、主力攻撃隊の約1/3を任された山口司令官。



米海軍を、叩きに叩きまくるのだ!
二航戦司令官として空母飛龍に座乗し、真珠湾 米海軍基地の猛攻撃を最前線で指揮していたのでした。



ゆけ〜!
米海軍を撃破せよ!