奇襲攻撃の中心となる海兵40期〜宇垣纏連合艦隊参謀長・山口多聞第二航空戦隊司令官・海兵40期前後の将星達・草鹿参謀長と伊藤次長〜|真珠湾奇襲攻撃39・太平洋戦争

前回は「日本海軍の天敵ニミッツ新長官の登場〜キンメル長官の後任人事の模索・キング司令官とハル長官の思惑・キンメル長官の負傷〜」の話でした。

目次

奇襲攻撃の中心となる海兵40期:宇垣纏連合艦隊参謀長

宇垣纏 連合艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

戦艦こそが、海軍の主力だ!
空母は、山口・大西たちに任せた!

海軍兵学校卒業期名前専門役職
32山本 五十六航空連合艦隊司令長官
36南雲 忠一水雷第一航空艦隊司令長官
37小沢 治三郎航空南遣艦隊司令長官
40宇垣 纏大砲連合艦隊参謀長
40大西 瀧治郎航空第十一航空艦隊参謀長
40福留 繁大砲軍令部第一部長
40山口 多聞航空第二航空戦隊司令官
連合艦隊幹部の専門・役職・海軍兵学校卒業期(1941年12月)

「花の40期」と言われるほど、多士済々の海兵40期が、山本長官を補佐します。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

航空派の第一人者の一人として、真珠湾奇襲攻撃の具体的な立案・計画を指導した大西瀧治郎 第十一航空艦隊参謀長。

大西よ・・・
具体的な奇襲攻撃を立案を任せる!

大西瀧治郎 第十一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

お任せを!

真珠湾奇襲攻撃を、
源田と共にまとめたのは、私だ!

新歴史紀行
源田実 第一航空参謀(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

若き航空派のエリート源田実 第一航空参謀と共に、大西第十一航空艦隊参謀長は作戦を練りに練りました。

山口司令官たちと共に、長年中国で海軍の陸上航空隊を指揮してきた大西参謀長。

この直前には、中国本土で中国軍と死闘を繰り広げていました。

蒋介石 中国国民政府主席(Wikipedia)

この頃、強力な日本軍の攻撃に対し、中国で最大勢力であった国民政府の蒋介石主席。

日本軍が
強すぎる・・・

やむを得ん!
重慶へ首都を移す!

はるか内陸部の重慶へ首都を移していました。

ならば、
重慶を爆撃せよ!

海軍航空隊を率いて、重慶を爆撃し続けた大西 第十一航空艦隊参謀長。

おのれ・・・

こんなところまで
爆撃してくるのか・・・

航空隊に関しては、高い能力と多くの経験を持っていました。

大西・宇垣は敗戦時に非常に大きな決意を実行しますが、それはまたの機会にご紹介します。

山口多聞第二航空戦隊司令官

山口多聞 第二航空戦隊司令官(WIkipedia)

そして、南雲機動部隊・第一航空艦隊の第二戦隊を率いる山口多聞司令官。

第一航空艦隊(ビッグマンスペシャル 連合艦隊上巻 勃興編 世界文化社)

この山口・大西・宇垣という海兵40期三羽烏が、山本長官を近くで支えていたのです。

それぞれ優秀な成績で海兵卒業しましたが、特に優秀だったのは山口司令官。

なんと海兵を次席卒業しました。

勉強は昔から
得意だ!

実務にも
自信がある!

当時も、東大などの帝大はありました。

陸軍士官学校・海軍兵学校は全国のエリートたちが集う、東大と同格かそれ以上の存在でした。

非常に優れた若者たちが、集っていたのです。

その中でも、特に優れた頭脳と非常に個性的な面々が揃った海兵40期。

他に福留繁 軍令部第一部長、城島高次 翔鶴艦長らがいる海兵40期。

海兵40期前後の将星達:草鹿参謀長と伊藤次長

草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

草鹿龍之介 第一航空艦隊参謀長は海兵41期卒。

彼らの1期下に当たります。

我が第一航空艦隊こそ、
連合艦隊の要なのだ!

さらに伊藤整一軍令部次長は海兵39期で、山口たち40期の1期上です。

伊藤整一 軍令部次長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

当初、真珠湾奇襲攻撃に猛反対していた伊藤軍令部次長。

永野軍令部総長の決断に従って、作戦を認可します。

軍令部としては、
南の油田確保を最優先してもらいたいが・・・

海兵40期と、その前後の面々が集って真珠湾奇襲攻撃を支えていた真珠湾奇襲攻撃。

中でも、正規空母6隻のうち2隻含む、主力攻撃隊の約1/3を任された山口司令官。

米海軍を、
叩きに叩きまくるのだ!

二航戦司令官として空母飛龍に座乗し、真珠湾 米海軍基地の猛攻撃を最前線で指揮していたのでした。

ゆけ〜!
米海軍を撃破せよ!

新歴史紀行

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