前回は「平清盛が目論んだ「新たな国家像」〜保元平治の乱と平氏の台頭・貴族による貴族のための政治・平将門と藤原純友の乱勃発と鎮圧〜」の話でした。
同じ桓武平氏だった平清盛と平将門:世界を一変させた将門の乱

名前の通り、「平安な時代」であった平安時代を築いた平安京。
794年に成立した平安京は、それ以前の平城京などと同様に「中国を模した都市」でした。
アジア、特に東アジアにおいて、長年圧倒的な国力と人口を持ち続けた中国。
平安京が成立する時代までに、中国では三国志・項羽と劉邦など多数の歴史の大舞台がありました。
日本においても、大小様々な争いがありましたが、中国と比較すると「小規模な反乱」程度です。
この平安だった日本において、最初に大騒動を起こした人物が平将門でした。


我こそは
新皇なり!
939年に、関東で反乱を起こした平将門。
現代の「東京付近である関東」で、反乱を起こした平将門は、「坂東の覇者」でした。
当時は、「田舎地帯」であった関東において、「新皇=新たな皇帝」を名乗った将門は、



関東を席巻して、
関東に新たな国を建てる!
日本の歴史上、最初の「地方の大反乱」であったと言って良いでしょう。
ほぼ同時期に、瀬戸内海の海賊のボスであった藤原純友が挙兵しました。


京・山城中心だった国家像において、「関東と瀬戸内海から挟撃」されることになった中央政府。
この「中央政府を挟撃」が同時期に行われたのは、「全くの偶然」とは思えず、



関東では私が挙兵して、
一気に勢力を広げ・・・



瀬戸あたりでは、
海賊の藤原純友が同時期に塀を挙げる・・・
平将門と藤原純友は、事前に「何らかの協議」をしていた可能性が高いと考えます。
「貴族の世」から「武士の世」を強烈に暗示した、平将門の乱は、日本の歴史の一大転機でした。
そして、939年の「将門の乱」をきっかけに、武士が台頭し、源平が相争う時代になりました。


平将門が反乱を起こすきっかけは、内部抗争であり、叔父の国香を殺したことでした。
そして、その平国香の系列が清盛でした。
その後、保元・平治の乱が勃発し、世を制したのが平氏筆頭の平清盛でした。



平将門殿は、
我が先祖・国香を倒した仇敵に当たるが・・・



将門殿にも言い分があり、
やむ得ない面もある・・・
本来、「将門は敵」でしたが、清盛は「将門と同じ名門の流れ」にいたのでした。



平将門殿は、
我が桓武平氏の先祖に当たる・・・
少し系列が異なりますが、元を辿れば「清盛と将門は同じ桓武平氏」だったのでした。
将門の思いを「別のかたち」で実現目論んだ清盛:福原遷都と王の望み





我が先祖は
平国香様であり・・・



将門殿の先祖は
平貞将殿・・・
系図を辿ってゆくと「別系統」ですが、間違いなく「同じ桓武平氏だった」清盛と将門。
名前 | 生年 |
平将門 | 903年(諸説あり) |
平清盛 | 1118年 |
源頼朝 | 1147年 |
そして、平将門から210年ほど後に生誕した清盛にとって、平将門は「大先輩」でした。



我こそは
新皇なり!
わずか2ヶ月という、短い期間で鎮圧されたとは言え、



坂東の覇者となった
将門殿は、一世の英雄だ・・・
「ある一定の広い地域のボス」となるのは、武士たるものの夢でした。



そして、今や平家のトップとなり、
私の世界となった・・・
平清盛は、朝廷の軍事権・警察権を握り、圧倒的な権力を持ちました。
誰が見ても「平清盛の時代」でしたが、清盛の上には常に天皇がいました。





清盛は我が味方で
あるが・・・



清盛の権力が
強すぎて、どうにもならない・・・



だが、だがだ・・・
我が国のトップは天皇なのだ!
後白河天皇は後白河法皇となり、院政を指揮し、積極的に最高権力を保持し続けました。



確かに、確かに
私が事実上の最高権力者だが・・・



私は、あくまで臣下のトップであり、
「その上」は行けない・・・
内大臣となった頃から、平清盛は「栄華を極めた先」を考え始めたのでしょう。



将門殿は、短い期間であっても、
間違いなく「坂東の王」であった・・・
どんなに上へ行っても、達成すると誰しも「もっと上」を目指したくなります。



この清盛も、天皇ではなくても
王となりたいが・・・
そして、いよいよ「人臣の極み」である太政大臣に就任した清盛。



平清盛を
太政大臣に任命する!



はは〜、
お任せを!


清盛の時代から「武家の時代」始まり、500年ほど後に「王政復古」となった明治維新。
この時、明治新政府が「担ぎ出した」のが、太政大臣・三条実美でした。



確かに、太政大臣は、
極官であるが・・・
人臣の極み・太政大臣は、極官ですが文字通り「大臣」であり、「臣下」であることが明白でした。



新たな地で、
王となりたい・・・



そして、天皇を廃する
訳にはいかないから・・・



天皇は我が一族にして、
操れば良い!
清盛の思考は一気に飛躍して、「天皇とは別の王の地位」を目指しました。



それには、坂東ではなく、
どこか開発が進んでいない適当なところであり・・・



京から遠すぎず、
近すぎず・・・



そして、宋との貿易に
ちょうど良い沿岸部だ・・・
清盛は、「新たな王となる地」として、下記三点を満たす地を探し続けました。
・坂東とは異なる未開発の地
・京から遠すぎず、近すぎず
・日宋貿易を躍進させる沿岸部



それは
福原だ!
そして、福原遷都を猛烈に目指し始めた清盛でした。