前回は「日本の中心・重心であり続けた京と大坂〜織田信長が考えていた大坂の未来・秀吉が「信長の構想」を継承して完成した大坂城〜」の話でした。
地名が変わった数少ない世界的大都市東京:江戸から東京へ

現在の首都・東京は、かつては江戸と呼ばれる大都市でした。
世界の都市の中でも、知名度が圧倒的に高いTokyoは、「名称が変化した数少ない都市」の一つです。
植民地発祥の米国は、New Yorkは元はNew Amsterdamという名称でしたが、欧州は不変です。
Paris,London, Berlin, Copenhagenなど、国境が「常に変化した」欧米は「都市の名前は不変」です。

我が徳川家が、
江戸に幕府を開くのだ!
徳川家の本拠地で、1603年に征夷大将軍に就任した徳川家康は初代将軍として、江戸幕府を開設しました。
実は、そもそも徳川家は「三河出身」であり、徳川家は東海地方・甲信地方に蟠踞していました。





我が徳川家は、
三河発祥なのだ!
本能寺の変まで「織田家の盟友」であり続けた徳川家康。


本能寺の変で、信長が横死した後に一気に台頭した羽柴秀吉と雌雄を決することになりました。
江戸の地と無関係だった徳川家:「目下」の羽柴秀吉と勝負





私が織田信長様の
後を継いだ羽柴秀吉です!



信長様の同盟者だった
徳川殿、勝負!



秀吉か・・・
奴とも長い付き合いだが・・・



織田殿亡き後は、
織田殿のご子息が継がれるならば・・・



我が徳川は、織田を
支えよう・・・
どう考えても、徳川家康は羽柴秀吉の「目上の人物」でした。
・柴田勝家:越前
・羽柴秀吉:播磨
・明智光秀:丹波
・滝川一益:上野
・丹羽長秀:近江
・徳川家康:駿河
形式的には、「織田四天王+丹羽長秀」と同格だった徳川家康。
武田討滅戦では、信長から「駿河を拝領する」立場となっていました。



確かに、信長殿の家臣同然の
扱いを受けていたが・・・



私は、独立大名であり、
織田家家臣の秀吉とは格が違うわ!
羽柴秀吉と徳川家康では「格が違う」のは事実でした。



秀吉が織田家を
継ぐ、など許せん!



信長殿次男の信雄殿の
要請もあり、我が徳川は羽柴と戦う!
この頃の、徳川家康や徳川家にとっては、駿河・遠江・三河・甲斐・信濃こそが本拠地でした。
そして、近い将来に移動することになる江戸は、「地名を知っていた」かも疑わしいです。



我が羽柴は
織田家のほぼ全てを継いでいる!



この私と戦って、
勝てると思っているのか!



何がなんでも、信長殿の
子息からの要請を断ってまでして・・・



家臣だった、秀吉なんぞに
従うわけにはいかん!
家康がこう考えたのは当然であり、織田家と20年以上続いた「稀有な同盟」を、



信長殿は死んだが、
まだ織田殿との同盟は生きている!



それは、すなわち信長殿の
子息との同盟なのだ!
頑ななまでに「織田・徳川同盟」を守ろうとする家康でした。
この頃は、江戸は家康とも徳川家とも「無関係」でした。