前回は「靖国神社の桜〜日本の精神の故郷・祀られていない賊となった英雄西郷隆盛・国家を護った英霊たち・靖国神社の成り立ちと明治維新〜」の話でした。
徳川幕府の終わりと明治維新の戦争:徳川海軍の筆頭・榎本武揚

日本人にとって、特別な時期である春の桜満開の頃。
そして、靖国神社の桜は、何度見ても「格別」であり「別格」です。
明治維新・戊辰戦争直後の1869年、靖国神社の前身の「東京招魂社」が設立されました。

1868年に勃発した鳥羽・伏見の戦いで、新政府軍は大勝利しました。
そして、トドメを刺されたのが徳川幕府でした。


この私が
「朝敵」になっただと・・・
人一倍「勤王思想」が強い水戸藩出身で、「御三家のサラブレッド」だった徳川慶喜。
朝敵指定を受け、慶喜は一気に戦う意志をなくしてしまいました。



やむをえん・・・
徳川は負けを認めよう・・・
早々に、将軍であった徳川慶喜が「敗北を認めた」ことで、「徳川幕府は終わり」となりました。
当時「徳川幕府の屋台骨はグラグラだった」と表現されることが多い、幕末時期の徳川幕府。
この「グラグラだった」のは新政府側の一方的な見方であり、実際には多数の優れた人物が幕臣にいました。





私は、徳川幕府が瓦解した、
など絶対に認めん!
かなり優秀な能力を持ち、オランダ留学をして海軍や、当時最先端の科学技術を学んだ榎本武揚。
おそらく、当時、榎本を超える「欧米的学問」を身につけていた人物は、極めて少数だったでしょう。



慶喜様!
まだ我らには海軍があります!
実際、海軍においては、薩長軍を圧倒していたのが徳川幕府でした。



我らが海から攻めれば、新政府軍こそ
瓦解します!
懸命に「徹底抗戦を説く」榎本に対して、将軍慶喜は、



いや、もう良いのだ・・・
余は朝敵として戦いたくない・・・
もはや意気消沈している慶喜は、既に完全に諦めていました。
大内戦の最中に設立された東京招魂社:続く戦争の嵐と箱館戦争





こんなバカなことが
認められるか!



私の支配下の海軍を引き連れ、
東北へ向かう!
当時、奥羽列藩同盟が形成され、会津をはじめとする奥羽諸藩
徳川家の支配下の軍艦は「新政府軍に引き渡す」約束でした。
すでに、新政府側になり「恭順派」となっていた勝海舟が榎本のところにやってきて、



まあ、榎本よ・・・
ここは、約束通りにして欲しい・・・
元上司である勝に言われると、若手の榎本は「従わざるをえない」立場でした。



分かりました・・・
引き渡しましょう・・・
そして、いくつかの軍艦を引き渡したものの、



最強の開陽丸は
残した・・・


いくつかの徳川幕府海軍の軍艦の中で、最強であった開陽丸他数隻を保全した榎本。



よし、これで
我が海軍の戦力は、薩長軍と対抗できる!
なかば、「元上司」の勝海舟を「騙す形」で東北に脱走した榎本艦隊。



東北へ向かって、
薩長と戦うぞ!
そして、奥羽列藩同盟の旗色が悪くなると、



やむをえん・・・
蝦夷地へ!





私も
榎本軍に加わりましょう!





私も
榎本軍に加わりましょう!
土方歳三や大鳥圭介らが加わり、



蝦夷地に我が共和国を
建国する!
こう息巻いていた榎本でしたが、「時の勢い」に負け、新政府軍に敗北しました。
この箱館戦争(五稜郭の戦い)が終了したのは、1869年6月27日。
そして、同年に靖国神社の前身である東京招魂社が設立されました。


つまり、大内戦の最中に、



我が国の内戦で亡くなった
方を「英霊」として祀ろう・・・



これから戦争が増える可能性が
高い・・・



これからは、海外でも
「英霊」たちが出ることだろう・・・
戦争名称 | 英霊(柱) |
戊辰戦争 | 7,751 |
西南戦争 | 6,971 |
日清戦争 | 13,619 |
日露戦争 | 88,429 |
日中戦争 | 191,250 |
第二次世界大戦 | 2,133,915 |
その他 | 24,649 |
合計 | 2,466,584 |
そして、現在では、246万柱(名)を超える英霊たちが、靖国神社で祀られています。