抜群の優等生だった山口多聞〜「多聞」の名前の由来・「忠臣の鑑」の軍神楠木正成・開成中学から海軍兵学校へ・軍人育成を最優先した明治新政府〜|山口多聞2・能力・エピソード

前回は「極めて人気が高い闘将・山口多聞の実像〜山口多聞と真田信繁(幸村)への類似した切ない共感・ミッドウェイ海戦・陸軍軍人よりも人気が高い海軍軍人・「悪役」東條英機のイメージ〜」の話でした。

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山口多聞 第二航空戦隊司令官(Wikipedia)
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「多聞」の名前の由来:「忠臣の鑑」の軍神・楠木正成

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楠木正成(Wikipedia)

1892年に生まれた山口多聞。

多聞の父

大楠公(楠木正成)のような
人物になって欲しい!

このような思いを強く持っていた父は、大楠公(楠木正成)の幼名「多聞丸」から、

多聞の父

よしっ!
我が子は「多聞」だ!

そのまま「山口多聞」という名前にしました。

「忠臣の鑑」であり、軍神のような存在の楠木正成。

現代も、皇居のすぐ近くに巨大な銅像があり、楠木正成への「日本人の思い」が残っています。

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参与・儒学者 横井小楠(Wikipedia)

幕末に、革新的考えや思想面で大きな影響を与えた横井小楠は、

横井小楠

大楠公(楠木正成)のような
大きな人物になりたい!

横井小楠

大楠公にあやかるために、
小楠と名乗る!

大楠公に対して「小さな楠」という意味の「小楠」を名乗ったのでした。

幕末から第二次世界大戦にかけた時代、楠木正成の影響力は絶大だったようです。

山口多聞

よしっ!
楠木正成のように、お国に尽くすのだ!

多聞が生まれた1892年は、大日本帝国の揺籃期でした。

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大日本帝国憲法発布(Wikipedia)

その2年前の1890年には、大日本帝国憲法が施行され、「東アジア初の憲法」でした。

事実上、「アジア初の憲法」とも言え、アジアで先行していた清(中国)に先んじた大日本帝国。

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日清戦争(Wikipedia)

そして、多聞が2歳の時には、日清戦争で大日本帝国が清に快勝しました。

大日本帝国

大国である清に
大勝利した!

大日本帝国

これからは、我が大日本帝国が
アジアの帝王なのだ!

快勝した大日本帝国は、「アジアの帝王」となりました。

この頃は、「大日本帝国という国家が日々成長する」躍動期だったでしょう。

そして、「軍人として国家に尽くす」ことが「何より最優先された」時代。

山口多聞

俺も一生懸命勉強して
軍人になって、帝国を守る!

まさに「楠木多聞」そのままのような「模範的少年時代」を過ごした山口多聞。

開成中学から海軍兵学校へ:軍人育成を最優先した明治新政府

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開成中学時代の山口多聞(中央)(歴史街道 2012年6月号)

そして、当時も名門の名が高かった開成中学に入学した山口多聞。

現代、「日本の中高のトップ校の筆頭格」である開成中学は、1871年に設立されました。

つまり、「明治維新の3年後」という極めて早い時期に設立された開成中学。

山口多聞

開成中学で
一生懸命勉強するのだ!

もともと成績優秀だった山口多聞は、猛勉強しました。

開成中学教員A

我が校、開学以来の
秀才だな・・・

「開学以来の秀才」と言われた山口多聞。

そして、1909年に17歳の頃に帝国海軍軍人のエリートコースである海軍兵学校に入学しました。

山口多聞

海軍兵学校に
入学したぞ!

海軍兵学校は「16歳から19歳の男子が受験資格あり」で、入学時期には幅がありました。

そのため、海軍兵学校は、現代の教育制度では「高校から大学」となりますが、位置付けは「大学同等」でした。

設置年大学名
1868年陸軍士官学校(前身の兵学校)
1869年海軍兵学校(前身の海軍操練所)
1877年東京帝国大学(帝国大学)
1897年京都帝国大学
1907年東北帝国大学
1911年九州帝国大学
1918年北海道帝国大学
1924年京城帝国大学(韓国、のちに廃止)
1928年台北帝国大学(台湾、のちに廃止)
1931年大阪帝国大学
1939年名古屋帝国大学
海軍兵学校・陸軍士官学校・帝国大学設置年(Wikipedia)
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左上から時計回りに、木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(国立国会図書館)
大久保利通

とにかく、
欧米に追いつくことが、まず第一だ!

木戸孝允

うむ・・・
そして、軍事力の増強だな・・・

西郷隆盛

エゲレス(英国)は、
中国に攻め込んだごわす・・・

西郷隆盛

とにかく、軍勢を整えて、
エゲレスやメリケン(米国)に対抗するごわす!

「欧米に追いつく」ために、「お雇い外国人」を呼び寄せて、大学を整備した明治新政府。

最初に、現在の東大である帝国大学(東京帝国大学)を設立したのが、1877年でした。

学問を超重視した明治新政府ですが、それ以前に「外国に侵略されては意味がない」ので、

大久保利通

軍人の指揮官を
多数要請しなければならん!

木戸孝允

うむ・・・
陸軍と海軍の士官学校が必要だな・・・

当時、陸軍が主流だったため、陸軍士官学校が先に1868年に、翌1869年に海軍兵学校が設立されました。

陸士(陸軍士官学校)と海兵(海軍兵学校)を急いで設立した事実からは、

木戸孝允

とにかく、陸海軍を指揮する
若者を育成するのだ!

軍人育成を最優先した「明治新政府の思い」が、ひしひしと伝わってきます。

いずれも、それぞれ「陸海軍の司令官・将軍・提督を養成するためのエリートコース」でした。

陸士・海兵ともに超難関であり、「帝大(東大)よりも難関」だったと思われます。

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海軍兵学校生徒館(現 海上自衛隊幹部候補生学校)(Wikipedia)
山口多聞

ますます勉強して、
帝国海軍軍人として、帝国を守る!

晴れて、海軍兵学校に入学した山口多聞青年は、ますます燃えて、学問に打ち込みました。

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