戦国指折りの大戦略家・真田昌幸の実像〜評価が「異常に高い」真田・「幸村効果」と「信玄効果」で戦国最強武将へ・武田流の直系〜|真田昌幸1・人物像・エピソード

前回は「『最後の勝利者』となった「忍耐の人」徳川家康の実像〜信長と家康の類まれなる超長期同盟・「長い目」で考える超大戦略〜」の話でした。

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戦国大名 真田昌幸(Wikipedia)
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戦国指折りの大戦略家・真田昌幸の実像:評価が「異常に高い」真田

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左上から時計回りに、戦国大名 織田信長、徳川家康、上杉謙信、武田信玄(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

キラ星のごとく、多数の優れた人物が多数登場した戦国時代。

歴史で人気の時代は、戦国時代・幕末維新の二つの時代です。

中でも、戦国時代の人気は圧倒的であり、NHKの大河ドラマの主人公は多くは戦国期の武将です。

「歴史好き」の中には、第二次世界大戦も注目を集めていますが、一般的な人気は高くありません。

それは、第二次世界大戦は近い過去であり、「戦争=殺人」の印象が強いからでしょう。

我が国にとっては「短い一時期」とは言え、世界中を敵に回した挙句に大敗戦したことも大きな理由です。

残る戦国時代と幕末維新でも、やはり戦国時代の人気は他を圧しており、抜群の大人気です。

その理由は、各大名や武将たちの生き様にロマンを感じることが出来ることが最大の理由です。

筆者も小学生の頃、最初に歴史に興味を持ったのは戦国期であり、織田信長でした。

幕末維新においても、真偽定かでないエピソードが多数あります。

そして、450年ほど前の戦国時代となると「伝説だらけ」となり、武将たちに様々な脚色が生まれます。

それら「様々な脚色」が高じてゆくと、「実像を大きく飛躍して超人のような人物」となる傾向があります。

織田信長・武田信玄・上杉謙信などの超有名大名・武将たちに対しても、その傾向はあります。

中でも、この「実像を飛躍して超人化」した傾向が強いのが真田一族と言えそうです。

ワシは小さな大名だったかも
しれないが・・・

戦略や戦術においては、
ワシの右に出る者は大しておるまい・・・

戦国時代の人気は、歴史シミュレーションゲームにも反映され、最も大人気です。

「信長の野望」や「天下統一」などのシリーズにおいて、異常に高い能力が与えられる真田昌幸。

筆者と同年代の方ならば、「信長の野望・武将風雲録」をプレイした方も多いかと思います。

このゲームでは、「戦闘力」という合戦における軍事能力が最も重要です。

武将名戦闘力
上杉謙信100
武田信玄96
竹中半兵衛(重治)94
真田昌幸90
織田信長88
徳川家康88
北条氏康85
主な武将の戦闘力(信長の野望 武将風雲録:1570年頃)

プレイしていると、真田昌幸の異常な強さが際立っています。

このゲームは「戦闘力95以上は異常に強い」設定ですが、「戦闘力90以上」は超強力です。

ワシの采配は
戦国最強クラスなのだ!

真田昌幸が名将であることは間違いないですが、それにしても「超強力すぎる」かもしれません。

「幸村効果」と「信玄効果」で戦国最強武将へ:武田流の直系

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戦国武将 真田信繁(幸村)(Wikipedia)

「信長の野望」シリーズなどのゲームにおいて、武将の能力は多少上下し、評価が揺れることがあります。

その中、真田昌幸に対しては、「揺るがない鉄壁の極めて高い評価」が定着しています。

そして、真田昌幸の名声をさらに強固にするのが、次男の真田信繁(幸村)です。

一般的には、真田「幸村」と言う名前で知られている信繁の能力もまた「最強クラス」です。

武将名戦闘力
真田幸村(信繁)97
真田昌幸90
明智光秀90
徳川家康88
柴田勝家88
羽柴秀吉74
主な武将の戦闘力(信長の野望 武将風雲録:1582年頃)

本能寺の変の後のシナリオになり、信長・信玄たちが消えた後は、真田幸村が最強です。

しかも「唯一人の戦闘力95超え」であり、真田幸村が合戦に出てゆくと、

我が真田幸村の
槍を受けてみよ!

敵軍をバッタバッタと倒してゆき、面白いように敵軍が減少してゆきます。

この真田幸村さえ
いれば、合戦は絶対に勝利!

真田幸村の「あまりの強さっぷり」で、ゲームならではの痛快さを楽しめます。

ゲームにもよりますが、本能寺の変以降ならば「戦闘力・軍事力ツートップ」となることもある真田親子。

我が息子・信繁(幸村)の
強さは、このワシが教え込んだからじゃ!

戦国期の武将の高い評価は「親→子」であることが、一般的に多いです。

実像は様々な評価あれども、織田信忠や武田勝頼などは、やはり父の信長・信玄の影響が強いです。

この中でも、真田昌幸の評価は珍しく「子→親」の傾向があります。

大坂の陣で、暴れまくって徳川家康を切腹寸前まで追い詰め、敗北・戦死した真田信繁(幸村)。

もう少し、もう少しで、
宿敵・家康の首を取れたのだが・・・

実に無念・・・
我が生命はこれまで・・・

この真田信繁に対しては、

もし、真田信繁(幸村)が、
豊臣家・大坂方の采配を執っていたら・・・

と「判官贔屓」したくなる要素が満載で、それが極めて高い評価に繋がっています。

その結果、

この超強力な真田信繁(幸村)の
父・昌幸もまた超強力にして、「超強力・真田親子」だ!

もともと高い評価の昌幸は、「幸村(信繁)効果」によってさらに強力になった傾向があります。

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戦国大名 武田 晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

さらに、大戦略家・大戦術家であった真田昌幸は、武田流戦略の後継者でもありました。

武藤喜兵衛(真田昌幸)は
我が目なり!

若き頃から、信玄の近習兼人質として仕え、信玄から「戦略の薫陶」を受け続けた武田直系・真田昌幸。

ワシの戦略の根幹は
武田信玄様から引き継いだのだ!

「西上作戦」の途中で、

むう・・・
我が生命もこれまでか・・・

病に敗北して「事実上の戦死」をした信玄にも共感が強いです。

もし、武田信玄が病死せずに、
西上作戦を続けていたら・・・

「幸村効果」に加え、「信玄効果」によって更に強化された真田昌幸の像は「最強」となりました。

合戦の指揮と謀略にかけては、「戦国一」の異名をとる真田昌幸。

次回からは、具体的な合戦における采配などを考えてゆきます。

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