前回は「足利将軍家が喜んで滞在した「大都市」一乗谷〜若狭武田と甲斐武田・極めて重要だった日本海の流通・「流通の要」と一乗谷の繁栄・日本古来の軸組建築の町屋〜」の話でした。
谷が生み出した優美な都市・一乗谷
戦国時代の「街全体の空間と香り」が感じられる貴重な一乗谷朝倉氏遺跡。
昔の町屋や木造家屋などが復元展示されている場所は、他にもたくさんあります。
知覧特攻平和会館付近にある知覧武家屋敷もまた、昔の建築と街が復元された貴重な空間です。
知覧武家屋敷には多数の建築・屋敷が復元されており、庭園の手入れも行き届いています。
一乗谷朝倉氏遺跡を歩いていると、知覧武家屋敷などを思い出しましたが、やはり何かが違います。
この「違う何か」は、やはり一乗谷朝倉氏遺跡独特であり、「一乗谷朝倉氏遺跡にしかない」ものです。
このような「昔の建築」や「昔の街並」の復元の際に、非常に大事なのは「周囲の景観」です。
丹精込めて建築や街並を昔の雰囲気にしても、周囲に現代の建物が見えては興醒めしてしまいます。
そのため、平屋がほとんどの建物や街並に対して、「周囲は空しか見えない」のが理想です。
知覧武家屋敷は、この点も非常に行き届いていて周囲に現代的光景が見えず、遠くに山が見えるだけです。
そして、この一乗谷朝倉氏遺跡でもまた、周囲に現代的光景は一切見えません。
周囲に見えるのは、「一乗谷」という特殊な、ひょっとすると日本でただ一つであった街です。
この「谷」が名称に含まれた、比較的珍しい大都市だった一乗谷。
両側には「谷」を作り出す山々が連なり、往時の光景を目の当たりにすることが出来ます。
発掘された往時の都市の光景:山と空が美しき都市
一乗谷朝倉氏遺跡を訪問した時は、比較的雲が多かったですが、少し晴れ間が見えてきました。
ここでは、丁寧に復元された町屋と共に、発掘された土塁などの遺跡が見受けられます。
この「復元建築と遺跡が共存する」不思議な空間が、一乗谷朝倉氏遺跡の醍醐味です。
土塁や過去の井戸がある周辺は、復元せずに「発掘されたそのままの光景」を見ることができます。
往時の大都市・一乗谷の時は、きっとこの周辺にも大きな屋敷が建っていたのでしょう。
復元された町屋を思い起こしながら、「あったであろう武家屋敷」をイメージしてみるのも楽しいです。
街の通りへ戻ってみると、近くの山と青い空と白い雲が、街を引き立てます。
まさに「山と空が美しき都市」が一乗谷です。
おそらく、朝倉氏が作り出した都市である一乗谷。
既存の都市であれば、自然発生的に生まれた道が曲がったりすることもあると思われます。
河川による物流が大事であった当時は、周囲の河川などの自然に影響されることが多いです。
それに対して、ここ一乗谷では真っ直ぐ伸びた道が多く、ビシッとした都市構造が感じられます。
朝倉将棋と大戦略:酔象と太子が生む複雑怪奇な面白さ
朝倉氏独特の「朝倉将棋」を楽しんでいる武家と武家屋敷の空間が展示されていました。
「自家の将棋」を持っていた朝倉氏。
「何が独特か」というと、飛車と角の間に「酔象」があることです。
「酔象」は「真後ろ以外はどこでも動ける」駒で、敵陣に入ると「太子」になります。
そして、「太子」は大将・王と同様に「どの方向でも動ける」駒になります。
これだけでも十分面白いのですが、さらに面白いのが「太子」の存在です。
名前通り、大将・王と同格であり、「大将・王を取られても太子が残っていれば負けない」です。
つまり、普通の将棋では「大将・王がボス」ですが、朝倉氏将棋では「大将・王と太子がボス」です。
・「酔象」が敵陣に入ると「太子」となる
・「太子」は「大将」と同格であり、両方取られない限り負けない
「酔象」は敵陣に入らなければ、「「太子にならない(なれない)」のが面白いです。
勇猛果敢な若者でなければ「太子になれない」ので、「ボスを二人にする」には積極姿勢が大事です。
ここで「積極姿勢をとって太子にする」か、防衛中心で酔象で守るか、で大きく戦略が変わります。
我が朝倉家には
朝倉だけの朝倉氏将棋がある!
他の将棋にはない
大戦略が必要なのだ!
大都市一乗谷に加えて、莫大な経済力と強い軍事力を持っていた朝倉氏。
その「朝倉独特の強さ」が、この朝倉氏将棋からは感じられます。
信長の織田家なんぞとは
格が違うわ!
当時、日本有数の強力な大名であった朝倉氏。
我が朝倉は、
「天下の朝倉」なのだ!
その「朝倉氏オリジナルの強さ」が随所に感じられるのが、一乗谷朝倉氏遺跡です。
次回は上記リンクです。