前回は「知覧武家屋敷 1〜美しき日本家屋と風景・木造建築・繊細な日本文化〜」の話でした。
知覧武家屋敷の庭園

庭園も非常に日本らしく、美しい知覧武家屋敷。
特攻平和記念館で、特攻隊の悲劇的な歴史を改めて考えました。
そして、色々と考えた後に、少し歴史を遡って、美しく平和な雰囲気の武家屋敷を歩いていいます。
すると、なんだか不思議な気持ちになりました。

(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社、WIkipedia)
日々の日本においては、このような武家屋敷は「近い過去の歴史」であるような印象です。
そして、特攻隊の記憶は「遠い昔の歴史」であるかのような錯覚に陥ります。
まるで、「神風特別攻撃隊の歴史は、遠い異国の歴史」という風にすら感じられます。
武家屋敷の鯉たち

街中に小川があって、鯉が泳いでいます。
道路脇に小川の流れがあって、鯉たちが悠々と泳いでいる様は「平和の象徴」とも考えられます。

美しい鯉たちを守るためか、網もかかっています。

とても元気な鯉たちで、いまにも網を破ってこちらにやってきそうな印象すらあります。
美しい日本家屋・屋敷群と庭園に、美しい鯉が楽しめる、非常に稀有な空間です。

神風特別攻撃隊への視線

神風特別攻撃隊は、二度とあってはならないことです。
このような事態にならない様に考え、生きて行くのが日本人の使命とも言えるでしょう。
それでも、一部の海外からの視点は、日本は「Samuraiの国」であり「Kamikazeの国」と見られている事実もあります。
海外では、「自爆攻撃」のようなことがあるといまだに”Kamikaze Attack”と表現・報道されることがあります。
日本では「まるで神風」という報道は聞いたことがなく、あり得ないでしょう。
「放送コード」みたいなものがあるのか、「暗黙の了解」なのか。
神風特別攻撃隊、Kamikazeの歴史は、もう少し多くの日本人が直視した方が良いでしょう。
真珠湾奇襲攻撃すら、なんとなく「遠い昔」でむしろ「なかったこと」と流す雰囲気の日本。
神風特別攻撃隊に対しては、賛否いずれにしても、一定の考え方を持っているべきと考えます。
様々な思いを起こさせてくれる知覧の特攻平和記念館と武家屋敷。
知覧という比較的小さな街の中で、第二次世界大戦と幕末維新の歴史を感じることができます。

日本の様々な激動の時代が交錯する地である知覧。
これらは、鹿児島市中心から日帰りでも十分訪れることができます。
ぜひ訪れてみてください。