無国籍となった坂本龍馬〜封建制度における「脱藩」の意味・「道なき道」を切り拓いて歩いた伊予山中〜|龍馬脱藩行3

前回は「脱藩=大犯罪を敢行した龍馬〜土佐から伊予の山々へ・「土佐→江戸」の1/3ほどの「土佐→長州」・江戸での遊学と剣術修行〜」の話でした。

目次

無国籍となった坂本龍馬:封建制度における「脱藩」の意味

新歴史紀行
左上から時計回りに木戸孝允、坂本龍馬、西郷隆盛、中岡慎太郎(国立国会図書館)

幕末維新の人物の中で、最も人気がある人物の一人である坂本龍馬。

坂本龍馬

日本をいま一度、
せんたくいたし申し候!

こう手紙で「大言壮語」した坂本龍馬。

このスケール感覚の大きさこそが、龍馬が大人気の最大の理由です。

龍馬のこの言葉に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

そして、キラ星の如く登場した幕末維新の人物の中でも、実行力は最たるものでした。

坂本龍馬

土佐藩を
脱藩するぜよ!

思い切って、土佐藩を脱藩した坂本龍馬。

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土佐藩の人物たち:左上から時計回りに、山内容堂(豊信)、後藤象二郎、谷干城、乾(板垣)退助、(国立国会図書館、Wikipedia)

薩長土肥と呼ばれる、「討幕(倒幕)主導四藩」のうち、土佐藩は異様なほど身分秩序が厳しい組織でした。

坂本龍馬

土佐藩に居ては、
私は芽が出ない・・・

「上士が動かす」ことが明確だった土佐藩では、下士だった龍馬には「出番」はなかったのでした。

そして、ついに若き27歳ころの坂本龍馬は1862年に「出身藩を脱出する」ことにしました。

Ne Historical Voyage
坂本龍馬脱藩之日記念館(新歴史紀行)
坂本龍馬

土佐藩を脱藩して、
長州へ!

そして、長州へ向かった坂本龍馬。

封建制度の当時において、脱藩とは「無国籍になること」に等しい状況でした。

現代で、「無国籍になる」ことを「選択する」ことは、基本的には考えられません。

幕末において、一部で「流行現象」となった脱藩は、それほど大きなことを意味しました。

「道なき道」を切り拓いて歩いた伊予山中

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坂本龍馬・脱藩の道:愛媛県河辺町(新建築未来紀行)

四国の山々を必死に駆け抜けたと思われる坂本龍馬。

龍馬の脱藩行は、「隠密行動」であったはずで、公式記録はありません。

そもそも、公式記録を「残せる状況ではなかった」はずであり、

坂本龍馬

とにかく、
長州に辿り着かなければ・・・

名前生年所属
大村 益次郎1825長州
西郷 隆盛1827薩摩
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
坂本 龍馬1835土佐
中岡 慎太郎1838土佐
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
幕末維新の志士たちの生年

討幕(倒幕)を主導した人物たちは、概ね20代から30代でした。

当時の27歳は、現代の35歳頃にあたると考えられますが、極めて重大な決断をした龍馬。

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戊辰戦争:左上から時計回りに、西郷隆盛、徳川慶喜、松平容保、木戸孝允(国立国会図書館)

龍馬が脱藩した頃は、薩摩は佐幕で幕府側でした。

西郷隆盛

長州は、やたらと
暴れているが・・・

西郷隆盛

我が薩摩は
幕府側だ・・・

龍馬が脱藩した1862年の2年後に、禁門の変を起こした長州。

当時の長州は、日本において最も活動的であり、広く人物を受け入れていました。

坂本龍馬

土佐藩を脱して、
長州から新たな未来を!

そして、大藩であり発言力も強かった土佐藩を「脱藩=脱出する」という罪をあえて犯した龍馬。

龍馬の行き先は、「長州しかなかった」のが現実でした。

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坂本龍馬・脱藩の道:愛媛県河辺町(新建築未来紀行)

愛媛県の山奥にあたる川辺町には、龍馬脱藩行の伝承がある道があります。

上の写真のように、かろうじて人が行ける道であり、傾斜が強い山道です。

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坂本龍馬・脱藩の道:愛媛県河辺町(新建築未来紀行)

「道なき道」を切り開いて歩いた伊予の山中において、

坂本龍馬

この龍馬が、
世界を変えるぜよ!

このように「熱い気持ちを持っていた」と考えたいですが、実際は当時の龍馬は、

坂本龍馬

とにかく、途中で
捕まってはならないぜよ・・・

ひたすら必死に「北西の長州」へ向かって歩き続けていたのでしょう。

「捕まったら終わり」の中、「雄大な夢」を考えている場合ではなかったはずです。

「生死の境」を何度も経験した、多数の幕末の志士たち。

坂本龍馬

脱藩して、坂本家にも
大きな傷を負わせてしまったぜよ・・・

龍馬の「脱藩行」は、その中でも「最たるもの」の一つでした。

そして、この脱藩行は、龍馬の精神力を大いに強化したのは間違いなかったでしょう。

次回は上記リンクです。

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