「日本をいま一度、せんたくいたし申し候」坂本龍馬〜「無国籍」だからこそ見えた「世界の中の日本」・土佐藩で著しく差別された郷士・深く根付いた関ヶ原の合戦の影響・龍馬の精神が宿っている言葉〜|未来への威言

前回は「『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ』山本五十六〜山本の対米戦への思い・米海軍と大日本帝国海軍の頂上決戦・山本の精神が宿っている言葉〜」の話でした。

目次

日本をいま一度、せんたくいたし申し候

土佐藩士 坂本龍馬(国立国会図書館)

日本をいま一度、
せんたくいたし申し候!

こう言い放った大言壮語の男・坂本龍馬。

坂本龍馬の至言

日本をいま一度、せんたくいたし申し候!

手紙の中で、坂本龍馬が書いた言葉です。

当時は、土佐藩・長州藩・薩摩藩など「藩が国家」のような状況でした。

「脱藩した」後で許された龍馬ですが、自分の背景は土佐藩です。

土佐藩なんか、
脱藩してやる!

と考えた龍馬。

背景を無くした龍馬は、当時幕府の重鎮であった勝海舟の門弟となり、世に出てゆきました。

徳川幕府なんか、
どうでもいいぜ!

と言っていたと言われる師・勝海舟。

この勝の影響もあるでしょうが、「日本を!」と言っていることが、彼の人物の大きさを示します。

土佐藩で著しく差別された郷士:深く根付いた関ヶ原の合戦の影響

左上から時計回りに、木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(Wikipedia)

明治維新の原動力の一人となったと言われる坂本龍馬。

維新前夜に暗殺されてしまったため、明治維新を見ることなく、この世を去りました。

「徳川幕府の屋台骨がグラついていた」とは言え、バリバリの幕藩体制の世の中。

現代とは異なり、「近くへ旅行すること」すら「藩の許可が必要」な場合が多かった時代です。

若い頃から剣術士として江戸で学び、身分制度が異常に厳しかった土佐藩を脱藩した龍馬。

薩摩藩士の西郷隆盛・大久保利通もまた、薩摩藩の「下士出身」であります。

その意味では、下士とも言える郷士出身の坂本龍馬ですが、状況は全く異なりました。

土佐藩の身分制度

上士・下士:関ヶ原の合戦で新たに国主となった山内家の侍

郷士:関ヶ原の合戦で敗北、国を失った長宗我部家の侍

土佐では、主に昔の主君であった長宗我部家出身者であった郷士たち。

「下士のさらに下の身分」であった郷士に対する風当たりは、極めて厳しいものでした。

郷士など
人間ではないわ!

郷士など、われら上士に対して、
常に土下座でもしていろ!

さらに、商人出身で「郷士株を買った」と言われる才谷屋出身の坂本龍馬。

ここは、
私の生きる世界ではないな・・・

あまりに苛烈な身分制度で「差別を受けていた」とも言える坂本龍馬。

土佐藩を
脱藩しよう!

ついに脱藩に踏み切り、「無国籍」となります。

「無国籍」だからこそ見えた「世界の中の日本」

土佐藩出身の政治家:左上から時計回りに、後藤象二郎、板垣退助、佐々木高行、谷干城(Wikipedia)

後に明治新政府で活躍した土佐藩出身の政治家・軍人たちは、みな上士出身です。

結局、
身分が影響するのか・・・

新政府の顔ぶれを見たなら、龍馬はきっとがっかりしたに違いないでしょう。

だが、身分に縛られている
土佐藩にいては・・・

俺の人生は
開けない!

思い切って、現代で言う「無国籍」となった決断は、かなりの飛躍でした。

現代では、

私はJapanの国籍を持つ
Japaneseです。

私の国籍は
United StatesとFranceよ。

「国籍を有すること」が大前提であり、無国籍ならパスポートもなく、困った時に大使館にも駆け込めません。

幕末当時にも大使館に相当する「藩邸」があり、江戸などでは土佐藩士は

土佐藩邸に所属し、
身分を守られている・・・

存在でした。

その中「脱藩が流行った」とは言え「本当に脱藩した」龍馬の実行力は相当なものです。

「無国籍」となったからこそ、「土佐の世界」から脱して「世界の中の日本」が見えた龍馬。

土佐なんか、
どうでも良い!

日本を、日本を
なんとかしなければならない!

こう一気に論理飛躍して、「日本を相手に考える」思考にジャンプした龍馬。

この視点は、西郷・大久保・木戸たちが持ち得なかった視点でした。

日本を、ごわすか・・・・
おいどんは、まず薩摩ごわす・・・

藩を廃止して、新たな国家を!
だが、周囲は私を薩摩人と考える・・・

もちろん藩は廃止!
だが、私は長州人を最も大事にする・・・

死ぬまで「薩摩ファースト」だった「藩から見た視線」で終始した西郷隆盛。

藩をなくすことを推進したものの、伊藤博文・井上馨たち「長州人」を可愛がり続けた木戸孝允。

それは、私たち日本人が「米国人・英国人・中国人などの外国人より日本人を優先する」のと同様でした。

その中、

私たちは、薩摩人でも長州人でもなく、
日本人!

という「はるかに高い位置」から日本を考えていた龍馬。

謎が多すぎて、実際に何を成し遂げたのかは諸説ある坂本龍馬。

この「日本を」と各藩を超越した視点こそが、龍馬の最大の持ち味だったのでしょう。

遥か高き位置から日本の変革を試みた龍馬。

龍馬の「縦横無尽の活躍」は、1867年12月10日に突然停止することになりました。

坂本、
死ね!

うぐっ・・・

中岡慎太郎と共に、突然暗殺されてしまった龍馬。

日本の大変革の達成である明治維新を見ることなく、この世を去りました。

新歴史紀行

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次