前回は「近世に引導を渡した男・勝海舟〜幕末最強の大言壮語の男・新生日本の立役者の一人・坂本龍馬と勝海舟・咸臨丸で米国へ〜」の話でした。

幕末維新の長老格だった勝海舟:「高利貸し旗本」の勝家

幕末維新の時期、綺羅星の如く多数の人物が登場しました。
上の、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、高杉晋作などと比較すると、勝の年齢が明らかに上です。

まあ、西郷や木戸が
討幕側の中心人物だったが・・・



俺から見れば、
彼らは小僧たちだな・・・
1823年に生まれた勝から見れば、討幕側の兄貴分である西郷や木戸は「小僧」だったでしょう。
幕臣ながら、比較的身分は低い家柄に生まれた勝麟太郎(海舟)。





我が小栗家は
2,000石の名門旗本だ!
後に対立することになり、「天敵」とも言える存在になる小栗忠順は1827年生まれです。



我が榎本家は、
徒目付の家柄だ!
榎本武揚は、徒目付という「目付の子分」の家柄で高くはありませんが、歴とした幕臣でした。



我が川路家は
代官の家柄だ!
幕臣の長老格であった川路聖謨は、代官の出身で、幕臣としては中程度の格でした。
名前 | 生年 |
川路 聖謨 | 1801年 |
勝 海舟(麟太郎) | 1823年 |
小栗 忠順 | 1827年 |
榎本 武揚 | 1836年 |
幕末に活躍した優れた幕臣たちをみると、勝麟太郎が年齢的に中堅どころにいるのが分かります。
勝が生まれた1823年は文政年間であり、徳川幕府によって安定した時代でした。
この時代は、文化時代・文政時代で合わせて「化政時代」と呼ばれる時代で、太平の世でした。





私が第十一代将軍
徳川家斉である!
将軍家斉の治世のもと、幕臣であれば「将来が安泰であった」時代でした。
先ほどあげた幕末の名幕臣たちと、勝が大きく異なる点が一点ありました。
それは、「勝家が元は幕臣ではなかったこと」でした。
盲人であった、勝の曽祖父が「盲人に許された高利貸し」で巨万の富を得ました。
そして、その財力に物を言わせて、小身旗本の勝家の跡取りとなったのが、勝麟太郎の父・小吉でした。



ま、俺は
歴とした幕臣ではないが・・・



「徳川幕府の幕臣」である
というプライドは抜群だぜ!
周囲の目から見れば「高利貸し旗本」であった勝麟太郎。
その「曖昧な立場」故に、人一倍「徳川のために」という気持ちはあったでしょう。
老中・阿部正弘による抜擢:オランダ語の学びと優れた意見書


世が太平であったならば、「大した出世は不可能」だった勝麟太郎のポジション。
この「出世に大きな制限がある」立場の中、勝の人生が開かれる大いなる出来事が勃発しました。



Hello!
Japanの皆さん!



我がUnited Statesと
条約を締結しましょう!
1853年、軍艦四隻を率いて、米国からペリー提督がやってきました。



条約締結しないなら、
Edoを砲撃しますよ!


この頃、海外からの接触が増えていましたが、突然、軍艦四隻による「恫喝外交」を受けた幕府。



さて・・・
どうするか・・・
備後福山・阿部藩の藩主として生まれた阿部正弘。





若いながら、
阿部正弘は大した人物だ!



彼に老中になってもらい、
幕閣を仕切ってもらおう!



はっ!
お任せください!
第十二代将軍・徳川家慶に大いに気に入られた阿部正弘は、25歳の若さで老中になりました。
1843年のことであり、この時は大老が不在だったため、事実上の「総理大臣格」となった阿部正弘。
代々、老中になることが多かった阿部家でしたが、「25歳での抜擢」は将軍の権力の強さを感じさせます。
つまり、1843年の時点では、徳川将軍の権力はかなり強力であったことを示します。



これは、
困ったな・・・
優秀で実直な性格だった阿部正弘は、真剣に悩んでしまいました。



・・・・・
本来ならば、「総理大臣」である老中・阿部正弘がガンガン決定すべき政策でしたが、



メリケンの言う通り、
条約を締結するか・・・



あるいは、突っぱねるか、
または他の手段か・・・



どうにも
決めかねる・・・



ここは、様々な人物の
意見を聞こう・・・
ここで、阿部正弘は「意見書を求める」ことにしました。
勝が30歳になる歳のことで、若い頃からオランダ語を熱心に学んだ勝は、



よしっ!
外国のことなら、俺は自信があるぜ!
オランダ語をかなり習得していた勝は、一生懸命意見書を作成しました。



私は、メリケンなどに対して、
このように考えます!



な、なにっ!
これは優れた意見だ・・・
老中・阿部正弘の目に留まった、勝の意見書。



この勝という
旗本は小身だが・・・



今の時代は、
優れた人物が欲しい・・・



よしっ!
勝を抜擢しよう!
そして、老中・阿部正弘によって、勝の人生は大きく開かれることになりました。
幕臣とは言え、低い身分だった勝麟太郎が、ここから一気に表舞台に出てゆきます。