関東に本拠地を移すべきだった上杉謙信〜関東管領の超威光・異常に軍事能力が高い景虎・「戦の神の化身は最強」のロジック〜|上杉謙信10・人物像・軍事能力・エピソード

前回は「越後制圧に苦労し続けた長尾景虎〜軍事力に権威を付加することを目論んだ景虎・三好松永と和した深謀遠慮〜」の話でした。

戦国大名 上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
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異常に軍事能力が高い景虎:「戦の神の化身は最強」のロジック

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左上から時計回りに、戦国大名 織田信長、徳川家康、上杉謙信、武田信玄(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

多数の大名・人物がキラ星の如く登場した、日本の戦国時代。

日本の歴史で最も人気が高い戦国時代は、個性的で異常なほど能力が優れた人物が多数出ました。

軍事力・戦闘力、あるいは戦略・戦術など「軍事能力が極めて高い」人物も多数います。

武将名戦闘力
上杉謙信100
武田信玄96
竹中半兵衛(重治)94
真田昌幸90
織田信長88
徳川家康88
黒田官兵衛86
北条氏康85
羽柴秀吉74
主な武将の戦闘力(信長の野望 武将風雲録:1570年頃)

軍神というと、必ず筆頭に上がるのが上杉謙信です。

さらに、謙信は「突出して高い」傾向が強いです。

信長の野望・天下統一などの戦国シミュレーションゲームにおいて、「軍事力筆頭」は常に謙信です。

この「軍事力筆頭」は、多分に「謙信に対するイメージ」が強いと思われます。

我は毘沙門天の
化身なり!

生涯、不犯を貫き、「女性に近づかなかった」と言われる異常な存在である謙信。

もちろん、結婚はしていないため、実の子は生まれなかった謙信。

当時の戦国大名で「不犯、結婚しない」のは異例中の異例でした。

我が全エネルギーを
合戦に向けるのだ!

合戦前には、一人閉じこもって、「毘沙門天と対峙して軍略を練った」と言われる謙信。

毘沙門天様・・・
次の戦いはどのようにすべきでしょうか・・・

むう・・・
我がこう出たら、敵はこう出てくるな・・・

むむ・・・
毘沙門天の啓示を受けたぞ!

この「毘沙門天との唯一人の対峙」もまた、謙信を神がかりにするための儀式でもありました。

上杉謙信:越後統一(歴史群像シリーズ 戦国合戦大全 学研)

越後守護代という比較的上の家柄ながら、越後統一に極めて大きな困難を持った謙信。

我は「毘沙門天の化身」
つまり「戦の神様の化身」なのだ!

戦に関して、我を
超える武将はいない!

戦の神同然である我は、
戦国最強なのだ!

こうして「戦国最強の軍神=上杉謙信」のイメージが生まれていきました。

関東に本拠地を移すべきだった上杉謙信:関東管領の超威光

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戦国大名 朝倉義景(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

同じ守護代である、越前守護代の朝倉家は比較的易々と越前統一を成し遂げ、

我が越前は
完全に朝倉のもの!

ただ、隣国の加賀を
根白にした一向宗がうるさい・・・

一向宗と死闘を繰り広げたものの、越前は完全に支配下に置いていたのが朝倉でした。

ところが、越後北方の国衆・揚北衆は、謙信が越後統一を成し遂げた後も、

俺たちは俺たち!
長尾家なんか関係ないぜ!

と守護代・長尾家に反旗を翻し続けました。

まずは、越後を
しっかり固めなければ・・・

この中、北条家によって「関東から叩き出された」上杉憲政がやってきました。

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戦国大名 北条氏康(Wikipedia)

関東管領の上杉を
関東から追い出すのだ!

これからは、関東の王は
関東管領上杉家ではなく、我が北条!

この頃、並みいる戦国大名の中でも、毛利家・大友家と共に大領土を有した北条家。

北条家初代の伊勢新九郎(北条早雲)は「政所執事の伊勢家の関係者」とも言われますが、諸説あります。

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関東公方の統治国(新歴史紀行)

関東の守護たちを束ねる関東公方を補佐する関東管領。

時代によって権限は異なるとしても、「おおむね関東十カ国の守護を指揮」するのが関東管領でした。

ところが、その絶大な権限を持つ関東管領が、北条家に敗北を続けた結果、越後に来たのでした。

長尾殿・・・
長尾殿は越後守護代の由緒ある家柄・・・

関東管領であり、関東最高の家柄の一つ・上杉家の当主・憲政は、当然家柄を気にしました。

下剋上と表現される戦国時代は、多数の「家柄が低い」人物がのし上がりました。

守護・守護代・国衆(地侍)出身大名
守護武田家・大友家・島津家・今川家
守護代長尾家(上杉家)・朝倉家
国衆(地侍)三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家・(豊臣家)
戦国期の大名の家柄:守護・守護代・国衆(地侍)

このうち、正統派とも言える守護大名から戦国大名となったのが、武田・大友・島津・今川などです。

家柄を気にする憲政は、頼るならば、本来はこれらの「正統派大名」がよかったでしょう。

近くの武田は
守護だから良さそうだが・・・

武田晴信は、
よく分からない・・・

景虎は
若々しいし、良さそうだ・・・

長尾は守護代で、
将軍家とも繋がりがあるから、良いだろう・・・

こんな思いを抱いていたのでしょう。

そして、

景虎殿に我が上杉家を
継いでいただきたい・・・

分かりました!
今日から上杉政虎と名乗ります!

こうして、若きバリバリの関東管領・上杉政虎が誕生しました。

これで、今や上杉政虎となった
景虎は、上野を取り戻してくれるだろう・・・

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1556-61年頃の勢力図(歴史人 2020年11月号 学研)

関東管領の強力な権威を持った政虎は、

ゆけ!ゆけ!
関東を我が手に!

な、
なに?!

北条家を突き崩し、関東の大部分を支配下に納めた政虎。

ところが、

では、越後に
帰ります・・・

えっ!
越後は関東外ですぞ!

関東管領なのですから、
関東周辺に居て頂きたいのですが・・・

いえ・・・
越後は我が国ですから・・・

ここで、後に謙信となる政虎が、関東に本拠地を移動していたら。

その時、「関東は北条ではなく、上杉のもの」になっていたかも知れません。

超強力であった関東管領の超威光と関東の大領土を持ってすれば、越後の国衆も従ったでしょう。

政虎の「越後が本拠地」という信念は、戦国の様相に大きな影響を与えました。

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