昭和天皇「日本は戦わずして滅びる」〜米国の石油禁輸と人造石油・閑院宮参謀総長と伏見宮軍令部総長の問題点・歪んだ皇族総長体制〜|昭和天皇独白録36・昭和の真実

前回は「東久邇宮「理解できぬ」開戦論者東條首相〜「絶対不可能」日米協調邁進目指した東條内閣「絶対に平和限らぬ」明言・皇族総長登場と陸海軍混乱〜」の話でした。

目次

閑院宮参謀総長と伏見宮軍令部総長の問題点:歪んだ皇族総長体制

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左上から時計回りに、昭和天皇、東久邇宮稔彦王、東條英機首相、木戸幸一内大臣(国立国会図書館、Wikipedia)
東久邇宮

東條英機が
新首相、だと・・・

東久邇宮

信じられん・・・
東條は開戦論者ではないか・・・

1941年10月18日に組閣した東條英機首相率いる東條内閣。

昭和天皇が大命を降下した結果であり、「消去法的選択」でした。

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昭和天皇独白録(文藝春秋)
昭和天皇独白録

近衛によって首相に擬せられた
東久邇宮は、東條首相の出現に驚き、

昭和天皇独白録

その日記に
こう記している。

そして、昭和天皇独白録は、東久邇宮が「東條内閣出現に驚愕」して日記に記したことを記録しました。

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閑院宮載仁親王 参謀総長(Wikipedia)

昭和は、閑院宮載仁親王が長く、陸軍参謀総長に就任しました。

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伏見宮博恭王 軍令部総長(Wikiepdia)

あるいは、伏見宮博恭王が長く、海軍軍令部総長に就任しました。

いずれも、かなり強い影響力を持ち、伏見宮博恭王に至っては「帝国海軍のドン」でした。

名前生年役職
昭和天皇1901天皇
閑院宮載仁親王1865参謀総長
東久邇宮稔彦1875後の首相(戦後初)
伏見宮博恭王 1887軍令部総長
昭和天皇と皇族たち
昭和天皇

海軍も、ロンドン会議以来、内部は乱れていたが、
既に陸軍に閑院宮の先例が出来たので、

昭和天皇

海軍の要求を容れて、伏見宮に
軍令部総長(昭和七年二月)、

ここで、「昭和天皇独白録」において、昭和天皇の言動は、(以下の部分、書き落としか)と続きます。

昭和天皇

然し、この結果は、連絡会議等に
御本人は出席されず、

昭和天皇

次長のみが出席するという
変なことになり、近衛たちが、

近衛文麿

この状況は良くないので、
変えて頂きたいです。

昭和天皇

と申し出る様になったこと、
且「ロボット」になった傾向も見えたので、

昭和天皇

先づ参謀総長は杉山に
代わって貰い(昭和十五年十月)、

昭和天皇

伏見宮は病気になられたので、
その機会に代わって頂いた。(昭和十六年四月)

ここで、注目すべきは、伏見宮の軍令部総長交代時期です。

海軍兵学校に入学し、途中でドイツのキール海軍兵学校、海軍大学校で学んだ伏見宮。

「お飾り」ではなく、バリバリの海軍軍人の人生を歩み、1932年に軍令部長(総長)に就任しました。

その後、1941年まで軍令部総長であり続けた伏見宮は、絶大な影響力を持ちました。

日米開戦の年の1941年まで9年間もの間、軍令部総長であった伏見宮。

9年もの間、さらに、満洲事変後の有事に軍令部総長として君臨し続けたのは、「長すぎた」のでした。

当初は「皇族の力で抑える」狙いは、皇族総長体制によって、軍部は歪んだ、と言えます。

昭和天皇「日本は戦わずして滅びる」:米国の石油禁輸と人造石油

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東條英機 内閣総理大臣兼陸軍大臣(国立国会図書館)
東條英機

なんとか
米国と協調を・・・

国内では東久邇宮などが、海外ではルーズベルト大統領らが「東條は開戦派」と目す中、

東條英機

御上の御心には、
従わねば・・・

昭和天皇には「絶対服従」だった東條英機は、本気で日米交渉妥結を目論んだ、と言われます。

昭和天皇

総理になった東條は、
九月六日の御前会議の決定を白紙に還すべく、

昭和天皇

連日、連絡会議を開いて
一週間寝ずに研究したが、

昭和天皇

問題の重点は
油であった。

昭和天皇

及川の戦争回避案は、内地で
人造石油を造るにある。

昭和天皇

その為に、二百万トンの鉄が入用で、
之は陸海軍から提供せねばならぬ、

昭和天皇

又非常に多くの工場を使用せねばならぬ関係上、
内地の産業はほとんど停止の危機に陥ることになる。

昭和天皇

之では、日本は
戦わずして滅びる。

とにかく、問題の根本は「油、油、油」だった当時。

人造石油の製造を真剣に検討しましたが、人造石油には明らかに限界が見えていました。

昭和天皇

実に石油の輸入禁止は、
日本を窮地に追い込んだものである。

昭和天皇

かくなった以上は、万一の僥倖に期しても、
戦った方が良いという考えが決定的になったのは、

昭和天皇

自然の勢と
言わねばならぬ。

とにかく、米国による「石油禁輸」は、大日本帝国の根幹を揺るがしていました。

この状況に対して、昭和天皇は戦後になっても、「戦った方が良いは自然の流れ」と明確に語っています。

昭和天皇

若し、あの時、私が主戦論を抑えたらば、
陸海に多年錬磨の精鋭たる軍を持ちながら、

昭和天皇

ムザムザ米国に屈服すると
云うので、

昭和天皇

国内の与論は必ず沸騰し、
クーデタが起こったであろう。

そして、昭和天皇は断言しました。

1941年10月時点で、昭和天皇が世論を抑えたならば「クーデター発生」と。

この「クーデター」とは、「二・二六事件の発展版」を想定したいた、と考えます。

昭和天皇

実に
難しい時であった。

昭和天皇

その内に、ハルの所謂最後通牒がきたので、
外交的にも最後の段階に立至った訳である。

そして、どうにもならない中「ハル・ノート」が飛来してきて、日米開戦決定に至ったのが歴史でした。

この昭和天皇の回顧を静かに眺めてみると、どう考えても「米国が仕掛けた」のが日米戦争でした。

何をどうやっても「原油がなければ、大日本帝国が滅びる」のが明らかだった当時。

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Franklin Roosevelt米大統領(Wikipedia)
Roosevelt

JapanがChinaから
撤退しないならば、石油は禁輸する!

Roosevelt

我がUSから石油を得られなければ、
Japanは壊滅するか、戦争を仕掛けるか、だ!

このようにルーズベルト大統領が「日米戦争を誘導した」と考えるのが、最も合理的思考です。

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日本の軍需物資の依存度:1941年(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

とにかく、米国による「石油禁輸」によって、日本は「一か八かの戦争」に突き進んだのでした。

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