「松下村塾」最年長の前原一誠〜「萩の乱」語ろうとしない伊藤博文・1876年10月末連発した士族反乱・「神風連」「秋月」と長州「萩の乱」〜|伊藤公直話29・エピソード

前回は「西南戦争の運命決した「神風連の乱」〜消えた薩摩巨頭種田政明長官・久坂も高杉も大村も消えた長州・明治政府の認識「薩摩の江華島事件」〜」の話でした。

目次

1876年10月末連発した士族反乱:「神風連」「秋月」と長州「萩の乱」

New Historical Voyage
神風連の乱(Wikipedia)

1876年10月、熊本県で勃発した「神風連の乱」。

「神風連の乱」は、若き児玉源太郎らが奮戦して、一日で鎮圧されてしまいました。

New Historical Voyage
小松綠「伊藤公直話」(新歴史紀行)
伊藤博文

それで、北海道を巡回して
帰途、福島に泊まっていると、

伊藤博文

熊本(神風連)騒動の
電報に接した。

伊藤博文

然るに当時、主権論が盛んで、
主権は天皇にありとか、主権は議員にありとか言って、

伊藤博文

大分やかましかった。
が、これは主にアメリカ・イギリスあたりから入ったのだ。

「たった一日で鎮圧」ということもあり、伊藤博文は後年振り返った際、「神風連」の事実のみ触れました。

New Historical Voyage
種田政明 熊本鎮台司令長官(Wikipedia)
種田政明

な、なにっ!
士族が蜂起した、だとっ!

種田政明熊本鎮台司令長官は、自宅に踏み込まれて、

種田政明

うぐっ!

あえなく戦死してしまいました。

名前生年
大山 綱良1825
西郷 隆盛1828
大久保 利通1830
村田 新八1836
篠原 国幹1837
種田 政明1838
桐野 利秋1839
別府 晋介1847
明治時代の有力旧薩摩藩士

当時、薩摩重鎮であり、主に「薩摩を抑えるため」に置かれた熊本鎮台長官だった種田政明。

この頃は、不平士族たちが全国で不穏な動きをしていました。

この点では、種田長官は「脇が甘かった」と言えます。

伊藤博文は、あっさりした姿勢でしたが、実は「神風連」は不平士族たちの反乱の端緒でした。

反乱勃発時期反乱名称反乱の首領
1876年10月24日神風連の乱敬神党
1876年10月27日秋月の乱秋月党
1876年10月28日萩の乱前原 一誠
1877年1月29日西南戦争西郷 隆盛
1976年末以降の士族反乱

上の表の通り、1976年10月末に「神風連」「秋月」「萩」と連続して反乱が勃発しました。

New Historical Voyage
元参議 前原一誠(Wikipedia)
前原一誠

松蔭先生の
思いをもう一度!

前原一誠

新政府の連中の政治など、
松蔭先生が望んだものではないわ!

中でも、元参議であった前原一誠が引き起こした萩の乱は、当時の明治政府を「凍らせた」はずです。

なんといっても、「薩長閥」のうちの「長州」が引き起こした「大反乱」でした。

「松下村塾」最年長の前原一誠:「萩の乱」語ろうとしない伊藤博文

New Historical Voyage
左上から時計回りに木戸孝允、前原一誠、伊藤博文、山縣有朋(国立国会図書館,Wikipedia)

1876年当時の長州閥は、木戸孝允が総帥であり、前原一誠の派閥は「小さかった」とされます。

そして、木戸孝允と前原一誠は、極めて険悪な仲だった説があります。

名前生年松下村塾
吉田 松陰1830◯(指導者=先生)
木戸 孝允(桂小五郎)1833–
前原 一誠1834◯
入江 九一1837◯
山縣 狂介(有朋)1838△
高杉 晋作1839◯
久坂 玄瑞1840◯
伊藤 博文(俊輔)1841◯
吉田 稔麿1841◯
長州藩・松下村塾生たち

この「木戸と前原の不和の理由」は諸説ありますが、一つには「一つ違いの年齢」があります。

現代も当時も、「年齢が多少離れる」と仲が良好になりますが、「一つ違い」はライバル視します。

そのため、「一つ違いの年齢」だった木戸と前原は、双方が実力者であったこともあり、

木戸孝允

前原は、理想論ばかりで、
それではダメなのだ!

前原一誠

木戸は口先ばかり
ではないか!

お互い険悪だったと思われます。

吉田松陰の松下村塾が中心派閥であった長州藩。

松下村塾に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

幕末の三大志士グループ

・長州・松下村塾:高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、伊藤博文、井上馨など

・薩摩・精忠組:西郷隆盛、大久保利通、有馬新七、大山綱良など

・肥前・義祭同盟:江藤新平、大隈重信、副島種臣、大木喬任、島義勇など

明治維新という革命を成し遂げるためには、集団行動が必須であり、それらの中核にあった松下村塾。

松下村塾に匹敵する各藩の組織は、薩摩の精忠組、肥前の義祭同盟でした。

そして、「松下村塾出身者」とは言い難い、木戸孝允を除くと、

前原一誠

この前原が、
松下村塾生の最年長よ!

上下関係が現代よりも遥かに強かった当時、「松下村塾生最年長」だった前原は、

前原一誠

この前原に
続くのだ!

元長州藩士S

前原先生に
続け!

一定の勢力を有したのは当然でした。

そのため、前原一誠による「萩の乱」は、大きな反乱になる可能性がありました。

ところが、伊藤博文は、後年「萩の乱」に対して、あまり語っていません。

これは、「長州の反乱だから語りたくない」もあります。

伊藤博文

イギリスでは、
主権の議論はあまり言わなかったが、

伊藤博文

ドイツなどでは、
よほど明らかになっていた。

伊藤博文

現にブルンチュリー・スタイン・グナイストらの
論も出ていた。

まるで「萩の乱」など「なかった」ように、さらっと「主権の話」を続けた伊藤博文。

この「妙な割り切り方」もまた、不思議に感じます。

New Historical Voyage

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次