前回は「西南戦争の運命決した「神風連の乱」〜消えた薩摩巨頭種田政明長官・久坂も高杉も大村も消えた長州・明治政府の認識「薩摩の江華島事件」〜」の話でした。
1876年10月末連発した士族反乱:「神風連」「秋月」と長州「萩の乱」

1876年10月、熊本県で勃発した「神風連の乱」。
「神風連の乱」は、若き児玉源太郎らが奮戦して、一日で鎮圧されてしまいました。

伊藤博文それで、北海道を巡回して
帰途、福島に泊まっていると、



熊本(神風連)騒動の
電報に接した。



然るに当時、主権論が盛んで、
主権は天皇にありとか、主権は議員にありとか言って、



大分やかましかった。
が、これは主にアメリカ・イギリスあたりから入ったのだ。
「たった一日で鎮圧」ということもあり、伊藤博文は後年振り返った際、「神風連」の事実のみ触れました。





な、なにっ!
士族が蜂起した、だとっ!
種田政明熊本鎮台司令長官は、自宅に踏み込まれて、



うぐっ!
あえなく戦死してしまいました。
| 名前 | 生年 |
| 大山 綱良 | 1825 |
| 西郷 隆盛 | 1828 |
| 大久保 利通 | 1830 |
| 村田 新八 | 1836 |
| 篠原 国幹 | 1837 |
| 種田 政明 | 1838 |
| 桐野 利秋 | 1839 |
| 別府 晋介 | 1847 |
当時、薩摩重鎮であり、主に「薩摩を抑えるため」に置かれた熊本鎮台長官だった種田政明。
この頃は、不平士族たちが全国で不穏な動きをしていました。
この点では、種田長官は「脇が甘かった」と言えます。
伊藤博文は、あっさりした姿勢でしたが、実は「神風連」は不平士族たちの反乱の端緒でした。
| 反乱勃発時期 | 反乱名称 | 反乱の首領 |
| 1876年10月24日 | 神風連の乱 | 敬神党 |
| 1876年10月27日 | 秋月の乱 | 秋月党 |
| 1876年10月28日 | 萩の乱 | 前原 一誠 |
| 1877年1月29日 | 西南戦争 | 西郷 隆盛 |
上の表の通り、1976年10月末に「神風連」「秋月」「萩」と連続して反乱が勃発しました。





松蔭先生の
思いをもう一度!



新政府の連中の政治など、
松蔭先生が望んだものではないわ!
中でも、元参議であった前原一誠が引き起こした萩の乱は、当時の明治政府を「凍らせた」はずです。
なんといっても、「薩長閥」のうちの「長州」が引き起こした「大反乱」でした。
「松下村塾」最年長の前原一誠:「萩の乱」語ろうとしない伊藤博文


1876年当時の長州閥は、木戸孝允が総帥であり、前原一誠の派閥は「小さかった」とされます。
そして、木戸孝允と前原一誠は、極めて険悪な仲だった説があります。
| 名前 | 生年 | 松下村塾 |
| 吉田 松陰 | 1830 | ◯(指導者=先生) |
| 木戸 孝允(桂小五郎) | 1833 | – |
| 前原 一誠 | 1834 | ◯ |
| 入江 九一 | 1837 | ◯ |
| 山縣 狂介(有朋) | 1838 | △ |
| 高杉 晋作 | 1839 | ◯ |
| 久坂 玄瑞 | 1840 | ◯ |
| 伊藤 博文(俊輔) | 1841 | ◯ |
| 吉田 稔麿 | 1841 | ◯ |
この「木戸と前原の不和の理由」は諸説ありますが、一つには「一つ違いの年齢」があります。
現代も当時も、「年齢が多少離れる」と仲が良好になりますが、「一つ違い」はライバル視します。
そのため、「一つ違いの年齢」だった木戸と前原は、双方が実力者であったこともあり、



前原は、理想論ばかりで、
それではダメなのだ!



木戸は口先ばかり
ではないか!
お互い険悪だったと思われます。
吉田松陰の松下村塾が中心派閥であった長州藩。
松下村塾に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
・長州・松下村塾:高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、伊藤博文、井上馨など
・薩摩・精忠組:西郷隆盛、大久保利通、有馬新七、大山綱良など
・肥前・義祭同盟:江藤新平、大隈重信、副島種臣、大木喬任、島義勇など
明治維新という革命を成し遂げるためには、集団行動が必須であり、それらの中核にあった松下村塾。
松下村塾に匹敵する各藩の組織は、薩摩の精忠組、肥前の義祭同盟でした。
そして、「松下村塾出身者」とは言い難い、木戸孝允を除くと、



この前原が、
松下村塾生の最年長よ!
上下関係が現代よりも遥かに強かった当時、「松下村塾生最年長」だった前原は、



この前原に
続くのだ!



前原先生に
続け!
一定の勢力を有したのは当然でした。
そのため、前原一誠による「萩の乱」は、大きな反乱になる可能性がありました。
ところが、伊藤博文は、後年「萩の乱」に対して、あまり語っていません。
これは、「長州の反乱だから語りたくない」もあります。



イギリスでは、
主権の議論はあまり言わなかったが、



ドイツなどでは、
よほど明らかになっていた。



現にブルンチュリー・スタイン・グナイストらの
論も出ていた。
まるで「萩の乱」など「なかった」ように、さらっと「主権の話」を続けた伊藤博文。
この「妙な割り切り方」もまた、不思議に感じます。


