昭和天皇「極力陸海軍協調を」〜「お叱り」から突然「組閣命令」へ・来栖特命大使派遣の真意・日独伊三国同盟調印者への米の冷たい視線〜|昭和天皇独白録34・昭和の真実

前回は「東條英機「陸軍を抑える」期待した昭和天皇〜御前会議白紙還元の行方・後継首相「極秘の御前会議」を知る者に限定・突然辞職した近衛首相〜」の話でした。

目次

昭和天皇「極力陸海軍協調を」:「お叱り」から突然「組閣命令」へ

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左上から時計回りに、近衛文麿首相、東條英機陸軍大臣、杉山元参謀総長、永野修身軍令部総長(国立国会図書館、Wikipedia)
近衛文麿

ここは、陸軍には折れて頂いて、
支那からの一部だけでも撤兵を。

東條英機

そんなこと
出来るわけないでしょう。

東條英機

満洲や、支那で戦死した
英霊たちに、何と申し上げれば良いのですか。

近衛文麿

もう、どうにも、どうにも
ならん・・・

近衛文麿

内閣総辞職
します。

「日米戦争必至」の中、近衛首相は、突然1941年10月16日に、突然辞職しました。

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昭和天皇独白録(文藝春秋)

この「東條内閣誕生」に関して、昭和天皇は「昭和天皇独白録」で説明しています。

昭和天皇

そこで、後継首相の人選であるが、
九月六日の御前会議の内容を知った者でなければならぬし、

昭和天皇

且又、陸軍を抑え得る力のあるものである
ことを必要とした。

昭和天皇

東條、及川、豊田が候補に上がったが、
海軍は首相を出すことに絶対に反対であったので、

昭和天皇

東條が首相に選ばれることに
なったのである。

近衛首相後継首相の人選

1.九月六日の御前会議出席者

2.帝国陸軍を抑えられる者

3.帝国海軍はなし

言わば、「消去法で選ばれた」のが、東條英機でした。

そもそも、近衛内閣が行き詰まった最大の原因を生み出したのが東條英機陸相でした。

昭和天皇独白録では触れられていませんが、東條英機にとって「組閣の下命」は極めて意外でした。

陸相補佐官

東條陸相、
皇居へお呼び出しです。

近衛内閣の崩壊が決定した直後、東條陸相は「皇居から呼び出し」を受けました。

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佐藤賢了 陸軍軍務課長(Wikipedia)
佐藤賢了

東條陸相が、
事実上、近衛内閣を倒閣したから・・・

佐藤賢了

御上から、
お叱りを受けるのではないですか?

東條英機

・・・
そうか・・・

佐藤賢了

支那事変の資料をお持ちになって、
御上にご説明しては・・・

東條英機

うむ・・・
そうしよう・・・

このように、昭和天皇から「お叱り」を受けると考えて参上した東條英機に対し、

昭和天皇

卿に
組閣を命ずる。

東條英機

は、
ははっ・・・

突然「お叱り」から「組閣命令」になった説が有力です。

昭和天皇

時局は極めて重大なる事態に直面せるものと思うと
云う事は、九月六日の御前会議の決定を白紙に還して、

昭和天皇

平和になる様、極力尽力せよと云う事なのだが、
之は木戸をして東條に説明させた。

そして、大問題の「九月六日御前会議は白紙還元」を命じた昭和天皇。

昭和天皇

そして、この条件書の写を岡海軍軍務局長に
渡させた、

昭和天皇

また、及川を別に読んで、極力陸海軍協調を
頼んだ。

昭和天皇が「極力陸海軍協調」を「わざわざ頼んだ」ほど、バラバラだった帝国陸海軍。

この状況で、まもなく「対米戦争開始」となりました。

来栖特命大使派遣の真意:日独伊三国同盟調印者への米の冷たい視線

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左上から反時計回りに、東條英機 陸相、杉山元 参謀総長、永野修身 軍令部総長、及川古志郎 海軍大臣(国立国会図書館)
及川古志郎

はっ、帝国陸海軍は、
協調致します。

「開戦するかどうか」は、「総理一任」と責任を回避し続けていた及川海相。

昭和天皇に対し、「帝国陸海軍協調」を約束しましたが、東條内閣では海相は交代しました。

昭和天皇

東條は、私の気持ちを汲んで
組閣した。

昭和天皇

そして、来栖(三郎)を華府(ワシントン)の
野村大使の許に送った。

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来栖三郎 米特命大使(Wikipedia)
来栖三郎

私が、米国に参り、
野村大使を補佐しましょう。

英語が極めて堪能だった来栖三郎を、新たな特命大使として送り込んだ東條首相。

これは、「英語が全然ダメ」だった野村大使の応援部隊として、交渉の円滑化を図ったものでした。

来栖三郎

私は、英語なら
得意ですよ!

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日独伊三国同盟(Wikipedia、左手前が来栖三郎 大日本帝国全権)

ところが、来栖三郎は、駐独大使の時に、日独伊三国同盟の締結に臨んだ人物でした。

この時、来栖三郎自身は、「日独伊三国同盟反対」だった説もあります。

いずれにしても、そうした「本人の心情」は、如何様にも考えられます。

そして、後から書いた手記なども「当時の心境をどこまで本当に示しているか」も諸説あります。

そのため、「本心は、本人しかわからない」ことが多いのが現実です。

少なくとも「日独伊三国同盟調印に立ち会う」は、「日独伊三国同盟肯定者」と見られました。

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左上から時計回りに、Franklin Roosevelt米大統領、Cordell Hull米国務長官、Frank Knox海軍長官、Henry Stimson陸軍長官(Wikipedia)
Hull

Japanから新たな特使として、
Kurusuが来ました。

Roosevelt

Kurusu?
誰だ?

Hull

Hitlerとの日独伊三国同盟
締結調印に臨んだ人物です。

Roosevelt

ということは、
「Hitlerの仲間」か?

Hull

まあ、そういうことに
なりますね。

Roosevelt

・・・・・

Roosevelt

なぜ、Japanは、そのような
人物を、わざわざ我がUSに送ってくる?

Roosevelt

もはや、我がUSと
交渉するつもりはないのか?

Hull

私も、なんとも
Japanの真意を図りかねます・・・

この「来栖大使派遣」は、意図せず、米国に対して「挑戦状を叩きつけた」ような事態になりました。

昭和天皇

東條よ、
平和目指して、なんとか協調を・・・

昭和天皇は、心の底から平和を望んでいたと思われます。

ところが、もはやどうにもならない状況に、日米関係は陥っていました。

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