前回は「軍部のような鈴木貞一企画院総裁の説明〜「あと十か月で資源枯渇」・「一か月後」の「十月上旬開戦決定」強く主張した杉山参謀総長〜」の話でした。
鈴木貞一企画院総裁の「作為山盛り」数量説明:粛然とした御前会議

1941年9月6日の御前会議では、「即時開戦論」が渦を巻きました。
永野修身同時に又、大坂冬の陣の如き平和を得て、
翌年の夏には手も足も出ぬ様な不利なる情勢の下に、



再び戦わなければならぬ事態に
立到らしめることは、



皇国百年の大計の為、執るべきに非ず、と
存ぜられる次第で御座います。
「大坂夏の陣になるのは絶対避けるべき」と「大坂冬の陣」を徹底主張した永野軍令部総長。



軍隊の行動をも勘案し、遅くとも十月上旬には
開戦の決意をする必要があると存じます。
「一か月後に開戦決意」を強く主張した杉山参謀総長。



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ほとんど無言であった近衛首相は、約一か月後の1941年10月16日に、辞表を出すことになります。


一か月後に成立する東條内閣においても、企画院総裁を続けた鈴木貞一企画院総裁。



極度の戦時規制をいたしましても、
明年六月、七月頃には、貯蔵が皆無となる様な状況であります。



南方諸地域の要地にして、三、四か月の間に
確実に我が領有に帰しますれば、



六か月内外から致しまして、石油、アルミニウム原料、
ニッケル、生ゴム、錫等の取得が可能となりまして。



二年目位からは、完全に之が活用を
図り得ると存ぜらるるのであります。
とにかく「今なら勝てるかも」と主張する、帝国陸海軍に対し、鈴木総裁の説明は詳細でした。
具体的に、様々な資源名を挙げ、「即時開戦すべき」と主張しました。
ただし、これらの数量に関しては「作為を感じる」点がいくつかありました。
陸軍出身であり、若い頃からバリバリの好戦派だった鈴木貞一企画院総裁。
鈴木企画院総裁が挙げた「数量説明」は、「開戦決意を促すため」と考えます。
いわば、「作為山盛り」だった鈴木総裁の数量説明。
とにかく、ほとんど全員が「即時開戦すべき」であった御前会議。



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もはや、昭和天皇は黙っているしか、対応の仕様がありませんでした。


「大東亜戦争全史」には、この御前会議の様子を極めて詳細に記録しています。



よもの海 みなはらからと思う世に
ただ波風の たちさわぐらむ
そして、明治天皇が作成した「平和の歌」を詠んだ昭和天皇。
昭和天皇の「戦争は避けるべき」という主張が、極めて明確でした。



天皇が御前会議で発言せられたのは
異例のことであり、会議は粛然とした。



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皆、粛然としましたが、議題はそのまま通過となりました。
「要求ばかり」独善的「日米諒解案:日本修正案」:予想されるル大統領の反応


もはや「対米戦争決定」かのような1941年9月6日の御前会議でしたが、日米交渉は継続していました。



ルーズベルト大統領!
この近衛とトップ会談しましょう!



だから、Japanが我がUnited Statesの
要求に対して、どう答えるか、が先だ!
とにかく、「ル大統領とのトップ会談」で全てを収拾しようとしていた近衛首相。
この中、帝国陸海軍統帥部は1941年9月6日の御前会議の後、日米諒解案の修正案を検討し続けました。





もはやここまで来てしまい、
日米交渉は、うまくゆくのか?
ところが、肝心の豊田貞次郎外相は、気乗りせず、熱意を見せなかったのでした。
第一条(国際関係及び国家の本質に関する観念):米側と全く同一
第二条(欧州戦争に対する両国政府の態度)
合衆国の欧州戦争参入の場合に於ける日本国独逸国及伊太利国間三国条約に対する日本国の解釈及之に伴う義務履行は専ら自主的に行はるべし
第三条(日支間の和平解決に対する措置)
合衆国政府は、日本国政府の支那事変解決に関する措置及努力に支障を与うるが如き一切の措置及行動に出でざるべし
第四条(日米両国間の通商)
現に実施しつつある相互の凍結措置を直に撤廃し、且両国の一方が供給し得且他方が必要とするが如き物資を相互に供給すべきことを保証すべし
第五条(南太平洋に関する経済問題)
両国政府は石油、ゴム、ニッケル、錫等の特殊物資の生産及供給に付、無差別待遇の基礎に於て関係諸国との協定及其の実行に関し友好的に協力すべし
第六条(太平洋地域に於ける政治的安定に関する方針)
日本国政府は、仏領印度支那を基地として、其の近接地域(支那を除く)に武力的進出を為さざるべく
合衆国政府は、南西太平洋地域に於ける軍事的措置を軽減すべし
そして、熱意なく豊田外相の元に作成された「日米諒解案:日本側修正案」。
「日米諒解案:日本側修正案」は、あまりにも大日本帝国にとって「ムシが良い」内容でした。



日独伊三国同盟の
解釈は、我が国次第!



我が国が望む資源、物資は
全て供給してください!



支那事変に関しては、和平推進以外
余計なことは一切しないで下さい!
まさに、「米国政府の要求は全て却下」したかのような内容だった「日米諒解案:日本側修正案」。
そして、「ムシが良い」を超えて「独善的であった」とも言える提案が固まりました。



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これを読んで、ル大統領が「どう出てくるか」は、容易に想像が出来ました。
とにかく、強硬だった大日本帝国政府と大本営。
そして、1941年9月末頃、日本は戦争に真っ直ぐ突き進んでいました。

