前回は「「要求ばかり」独善的「日米諒解案:日本修正案」〜予想されるル大統領の反応・鈴木貞一企画院総裁の「作為山盛り」数量説明・粛然とした御前会議〜」の話でした。
「先行き真っ暗」日米交渉:1940年「出師準備」発動した帝国海軍

後世の視点から見て、「日米戦争開戦直前」だった1941年9月。
9月6日の御前会議において、
昭和天皇よもの海 みなはらからと思う世に
ただ波風の たちさわぐらむ
昭和天皇は「平和を強く望む」歌を詠みました。



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この昭和天皇の姿勢を受けて、「粛然」とした帝国政府・大本営大幹部たち。
敗戦後、昭和天皇は、この御前会議に関して詳細に語っている話を上記リンクでご紹介しています。
とにかく、昭和天皇が「平和を望む」姿勢だった以上、「日米交渉継続」となりました。
ところが、豊田外相はやる気がなく、熱意もありませんでした。
第一条(国際関係及び国家の本質に関する観念):米側と全く同一
第二条(欧州戦争に対する両国政府の態度)
合衆国の欧州戦争参入の場合に於ける日本国独逸国及伊太利国間三国条約に対する日本国の解釈及之に伴う義務履行は専ら自主的に行はるべし
第三条(日支間の和平解決に対する措置)
合衆国政府は、日本国政府の支那事変解決に関する措置及努力に支障を与うるが如き一切の措置及行動に出でざるべし
第四条(日米両国間の通商)
現に実施しつつある相互の凍結措置を直に撤廃し、且両国の一方が供給し得且他方が必要とするが如き物資を相互に供給すべきことを保証すべし
第五条(南太平洋に関する経済問題)
両国政府は石油、ゴム、ニッケル、錫等の特殊物資の生産及供給に付、無差別待遇の基礎に於て関係諸国との協定及其の実行に関し友好的に協力すべし
第六条(太平洋地域に於ける政治的安定に関する方針)
日本国政府は、仏領印度支那を基地として、其の近接地域(支那を除く)に武力的進出を為さざるべく
合衆国政府は、南西太平洋地域に於ける軍事的措置を軽減すべし
そのこともあり、日本側の「修正案」は、とても「米国が交渉を続ける」内容ではありませんでした。



大本営海軍部が、国策の決定に拘らず、
戦備の強化に努めつつあることは既に述べた。



これより先、海軍は情勢の急迫に鑑み、
昭和十五年十一月十五日既に出師準備を発動し、



爾来、着々兵備の充実に
努めてきた。
とにかく、異常なほど「早期開戦」を主張していた永野軍令部総長が率いた帝国海軍。
帝国海軍は、既にこの前年の11月に「出師準備」を発動していました。
異常に対米英蘭戦に積極的だった帝国海軍:虚説「陸軍主導」と海軍の本音


後世の視点から考えると、「1941年に大戦争に突入した」観が一般的である大日本帝国。
実は、1941年9月頃、「対米戦争の可能性」を議論する前年の1940年11月に、



もはや我が帝国海軍は
臨戦体制だ!
永野軍令部総長率いる帝国海軍は、すでに「出師準備発動」していたのでした。
1931年 満洲事変 → (北支事変) → 1937年 支那事変 → 1941年 太平洋戦争 → 1945年 敗戦
1941年の「太平洋戦争」と呼ばれる、日米戦争で大戦争に突入する前、既に支那事変は急拡大していました。
そのため、1940年は「既に完全な戦時中」であったのが、現実でした。



八月末までに新たに第六艦隊、
第十一航空艦隊、第三艦隊、



第一航空艦隊、第五艦隊、南遣艦隊等が
逐次に編成せられ、



且つ、約六十三万トンの船舶が、特設艦船として
徴用せられていた。



九月一日、大本営海軍部は、全海軍に対し、
戦時編成を発令し、



新たに四十九万トン、二百六十五隻の
船舶の徴用を発動した。



かくして、海軍は十月下旬を目途とする
作戦準備の完整に鋭意努力し、概ね計画通り進捗しつつあった。
当時の状況は、「戦争は帝国陸軍が主導し、帝国海軍はやむなく付いていった」という説が有力です。
ところが、真実は、「帝国海軍もまた、対米英蘭戦争に積極的であった」のが事実です。



これに反し、陸軍の対米英蘭作戦準備は、
「帝国国策遂行要領」の決定を転機として、



殆ど新たに発足するを必要とする実情で、対支及び対ソ充当の兵力及び軍需品を南方に振り向けねばならなかった。



もっとも南方作戦の前進拠点となるべき
南部仏印の軍事基地は、



既に着々設定整備が進捗し、又南方諸地域の軍情及び
兵要地理の調査収集、上陸作戦及び熱地ジャングル作戦の教育訓練、



作戦計画の研究等は、昭和十五年夏以来逐次
実施せられつつあった。
帝国陸軍は、「対米英蘭戦争及び大陸への侵攻」に対して、研究と教育は進めていました。
ところが、現実的な戦闘配備は、「帝国国策遂行要領」決定後でした。
この点は、帝国陸軍と帝国海軍の「準備の違い」にも起因すると考えます。
いずれにして、1940年から1941年の、帝国陸軍と帝国海軍のスタンスは大きな違いがありました。



我が帝国海軍は
新たに六艦隊ほどを編成した!



対米英蘭戦、
バッチリだ!



日本近海での迎撃作戦で、
必ず、米英蘭に勝利!
おそらく、永野総長は、このように考えていたでしょう。
対米英蘭戦に「異常に積極的」だった永野総長及び帝国海軍の実態。
この事実は、戦前から戦時中の帝国陸軍と帝国海軍の認識に大きな真実を照らし出しています。
帝国海軍「帝国陸軍に引っ張られて対米戦突入」は、「虚説」であること、が。


