前回は「謎の永野総長の「大坂冬と夏の陣論」〜不明の昭和天皇のお気持ち・永野軍令部総長「開戦を速やかに決定すべき」・資源確保の超重要性〜」の話でした。
「一か月後」の「十月上旬開戦決定」強く主張した杉山参謀総長

戦前の大日本帝国の運命が決した、1941年9月6日の御前会議。

「大東亜戦争全史」には、永野軍令部総長、杉山参謀総長の発言が極めて詳細に記録されています。
永野修身同時に又、大坂冬の陣の如き平和を得て、
翌年の夏には手も足も出ぬ様な不利なる情勢の下に、



再び戦わなければならぬ事態に
立到らしめることは、



皇国百年の大計の為、執るべきに非ず、と
存ぜられる次第で御座います。
要するに「大坂冬の陣はダメだ」と主張した永野軍令部総長。
| 海兵卒業期 | 名前 | 役職 | 生年 |
| 28 | 永野 修身 | 軍令部総長 | 1880 |
| 31 | 及川 古志郎 | 海軍大臣 | 1883 |
| 32 | 山本 五十六 | 連合艦隊司令長官 | 1884 |
この時、永野軍令部総長は、名実ともに帝国海軍のトップでした。
人事権を持っていた海軍大臣は、軍令部総長の罷免権限を持っていました。
ところが、及川海相の海兵一期先輩だった永野総長。





永野さんには、
頭が上がらないです・・・



なんといっても、ワシは
日露戦争で大活躍したからな・・・
日露戦争以来の歴戦の士であった永野総長は、帝国海軍で強い発言力を持っていました。
その永野が「米国と開戦するしかない」と強く主張しました。



・・・・・
そして、続いて、杉山参謀総長が昭和天皇に説明します。



只今、軍令部総長の説明には
陸軍部としても全然同意で御座います。
冒頭、陸軍も「即時開戦に全然同意」と言った杉山総長。



・・・・・



此の如く急迫せる事態におきまして、
時を移し、米英の術策に陥り、



時日を経過いたしますれば、帝国国防断髪力は
漸時減耗すると共に、



他面、米英等の軍備は逐次増強いたしまして、
我が作戦は、ますます困難となり、



ついに米英よりする障碍(妨げ)を
排除するの機を失う様な事態に立ち至ります。



戦略要点に兵力の展開を完了する為、其の戦争準備完整の
時機を十月下旬といたしましたる次第で御座います。
とにかく、「早く戦争を始めるべき!」と強く主張した杉山参謀総長でした。



軍隊の行動をも勘案し、遅くとも十月上旬には
開戦の決意をする必要があると存じます。
杉山総長は、当時1941年9月6日の「一か月後」である、10月上旬に「開戦決定」を強く主張しました。
軍部のような鈴木貞一企画院総裁の説明:「あと十か月で資源枯渇」


後世の視点から見れば、この1941年9月6日の一か月余り後に、東條内閣が成立します。
上の東條内閣の顔ぶれの写真の中に、東條英機首相の右に立つのが鈴木貞一企画院総裁です。
現代は廃止された「企画院」は、「企画」するのが役割です。
企画院は、国家の生産力などを詳細に把握していました。
鈴木貞一は、陸軍出身であり、若い頃からかなり活発に活動していた人物です。
戦前の記録、回想などの書籍において、「鈴木貞一」の名前は多数見受けられます。
その鈴木企画院総裁が、御前会議で発言しました。



帝国国力の源泉でありまする要員及び
国民の精神力に関しましては、



今後、帝国が如何なる事態に直面致しますとも
不安はないと存じます。
冒頭「国民の精神力は問題なし」と述べた鈴木総裁。
当時の陸軍将校の発想は、「とにかく将兵と国民の精神力」だったことが分かります。



ただ問題となりますので、主として
物資の面であります。



最も重要なる関係にあります液体燃料に
つきましては、民需方面もありまして、



極度の戦時規制をいたしましても、
明年六月、七月頃には、貯蔵が皆無となる様な状況であります。
ここで、鈴木総裁は、「このままなら、あと10か月ほどで原油が尽きる」と説明しました。
これは、かなり妙な説明であると考えます。
当時、帝国海軍を中心として、原油の備蓄をかなり積極的に進めていました。
その為、原油は「戦争しても二年ほどは保つ」程度は確保されていた説が有力です。
「どの程度保つか」は、様々な考えがありますが、「二年」と「十か月」では全然違います。
ここで、鈴木総裁の主張で重要なのは「民需の規制」でした。
「民需の規制」は、如何様にも考えられるため、「民需の想定」で大きく数値が変わった、と考えます。



確固たる経済的基礎を確立安定致す事が
帝国の自存上、絶対に必要と存ずるのであります。



万一、武力によりこれが確立を図らねばならぬこととなりますれば、
海上輸送力その他諸般の関係から致しまして、



我が国の生産力は、一時、総じて原生産力の
半ば程度に低下致す事が予想致されるのであります。



南方諸地域の要地にして、三、四か月の間に
確実に我が領有に帰しますれば、



六か月内外から致しまして、石油、アルミニウム原料、
ニッケル、生ゴム、錫等の取得が可能となりまして、



二年目位からは、完全に之が活用を
図り得ると存ぜらるるのであります。
「とにかく南方地域占領」を主張した鈴木総裁。



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もと陸軍出身だけあって、「まるで軍部の説明」のような鈴木企画院総裁の説明でした。
ある意味で「極めて具体的」でありながら、「一部に嘘」も感じられる鈴木総裁の説明。
この説明が正しいとすると、大日本帝国は「戦争以外に選択肢なし」でした。
昭和天皇は、どのような気持ちで、鈴木総裁の説明を聞いていたのでしょうか。

