一見仲直りした木戸孝允と大久保利通〜伊藤「四ヶ条の大改革」猛推進・自由民権論突撃隊長板垣退助「半分は官選」・伊藤「到底無理」〜|伊藤公直話25・エピソード

前回は「どこまでも「木戸に折れ続けた」大久保の深謀〜木戸の元に押しかけてきた板垣退助と井上馨・国会開催と民権論・伊藤俊輔「おとぼけ」戦略〜」の話でした。

目次

自由民権論突撃隊長・板垣退助「半分は官選」:伊藤「到底無理」

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左上から時計回りに木戸孝允、大久保利通、伊藤俊介(博文)(国立国会図書館,Wikipedia)

明治六年の政変の翌年、木戸孝允が下野してしまい、ガラガラになった明治政府。

出身・派閥明治政府下野
薩摩大久保利通、川路利良西郷隆盛、村田新八、桐野利秋、篠原国幹
長州山縣有朋、伊藤博文、井上馨木戸孝允
肥前大木喬任、大隈重信江藤新平、副島種臣
土佐谷干城、佐々木高行板垣退助、後藤象二郎
公家岩倉具視、三条実美
旧幕府勝海舟、榎本武揚、大鳥圭介
明治政府と下野の人物(明治七年)

もちろん、明治政府側には、まだまだ人物が多数いましたが、「巨頭」は下野側が有利でした。

この頃の明治政府、下野側の大物たちの動きは、様々な記録があります。

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小松綠「伊藤公直話」(新歴史紀行)

伊藤博文は、「後世の回顧」である「伊藤公直話」で、詳細に語っています。

「薩長土肥」と言っても、「薩長・土肥」であり、「薩長」と「土肥」では重みが全く違いました。

その中、薩摩の巨頭・西郷隆盛と長州の巨頭・木戸孝允が下野していては、政府は成り立ちませんでした。

伊藤博文の木戸・大久保調停案

一、元老院設立

二、大審院設立

三、地方官会議設立

四、内閣分離:輔翼と行政

木戸孝允

その通りに
行われば出る。

木戸孝允は、伊藤の大改革案に賛成したものの、

木戸孝允

板垣と種々話をしたから、
彼を捨て置いて、

木戸孝允

俺ばかり入る訳には
ゆかぬ。

おそらく、大阪に来たものの「明治政府に戻る気はサラサラなかった」木戸孝允。

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元参議 板垣退助(Wikipedia)
板垣退助

一日も早く
選挙を開催するのだ!

元は、バリバリの軍人であり、極めて優れた指揮官であった板垣退助。

下野後は、自由民権論者の急先鋒として、大いに活躍し、極めた高い注目を浴びていました。

いわば、自由民権論者の突撃隊長であり、総司令官でもあった板垣退助。

伊藤博文

板垣の当時の
議論は、

板垣退助

どうしても議会を開かなければ
ならぬ!

伊藤博文

と言うので、民選議員の建白を
出した後だから、

板垣退助

少なくとも半分だけの官選でなくては、
承知できない!

伊藤博文

と言うのだ。しかし、半分官選の議会など、
とても行けるものではないから、

伊藤博文

井上が、板垣の方を引き受けて、
とうとう木戸公と折り合いがついた。

伊藤博文と「莫逆の友」であった井上馨も暗躍し、木戸を納得させました。

木戸孝允

分かった。
政府に戻ろう。

一見仲直りした木戸孝允と大久保利通:伊藤「四ヶ条の大改革」猛推進

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左上から時計回りに木戸孝允、大久保利通、板垣退助、井上馨(国立国会図書館,Wikipedia)
伊藤博文

そこで、木戸・大久保両公と
板垣・井上が集まって、会議開いて、

伊藤博文

酒を飲んで、
大阪会議はおしまいになった。

そして、伊藤の調停、というよりも謀略に近い強引な調停によって、一見仲直りした大久保と木戸。

木戸孝允

まあ、色々あったが、
維新の気持ちに戻ろう・・・

出身・派閥明治政府下野
薩摩大久保利通、川路利良西郷隆盛、村田新八、桐野利秋、篠原国幹
長州山縣有朋、伊藤博文、井上馨木戸孝允
肥前大木喬任、大隈重信江藤新平、副島種臣
土佐谷干城、佐々木高行板垣退助、後藤象二郎
公家岩倉具視、三条実美
旧幕府勝海舟、榎本武揚、大鳥圭介
大阪会議前後の政府大物(明治七年)

こうして、長州の巨頭・木戸孝允、土佐の巨頭・板垣退助を引っ張り出すことに成功した伊藤博文。

この伊藤博文の功績は、当時絶大なものがありました。

伊藤博文

そこで、折り合いのついた
案件を、時の大臣たる条公・岩公・島津公に見せて、

伊藤博文

こういう人たちに諮って、実行するまでの
運びにしたと言って、

伊藤博文

それを木戸公の意見として提出すると、
御採用になって、やがて制度取調の必要が起こった。

伊藤博文

四ヶ条案件の実施委員には、木戸・大久保二公と、
板垣と予との四名が命ぜられて、

伊藤博文

実際に仕事は、
予が専ら担任をしておった。

木戸・大久保の大調停のあとは、大改革の事実上の最高司令官として活躍した伊藤博文。

まさに、八面六臂の活躍でした。

伊藤博文

そこで、明治八年四月十四日の
勅諚を起草することになったが、

伊藤博文

その文章は、よほどうまく書かなければならぬので、
思案を凝らしていると、

伊藤博文

井上毅が九州から帰ってきたので、
井上に書かせた。

伊藤博文

この時から
井上を用いたのである。

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井上毅 参事院議官(Wikipedia)
井上毅

私が文書を
起草しましょう!

1844年、熊本藩に生まれ、幼い頃から極めて優秀だった井上毅。

この後、井上毅は、伊藤博文直系の官僚・政治家として活躍しました。

目が回るほど忙しい伊藤博文にとって、井上毅のような実務派は、極めて重要な存在でした。

井上毅の協力を得て、伊藤博文は「四ヶ条の大改革」を猛推進することになります。

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