昭和天皇「遺憾ながら原案通り」帝国国策〜「聖慮は平和!」叫んだ東條陸相・顔面痙攣させて震えた杉山総長・「何もしなかった」近衛首相〜|昭和天皇独白録30・昭和の真実

前回は「明治天皇御製「四方の海 皆はらからと 思う世に・・・」詠んだ昭和天皇〜永野「病人理論」に納得出来なかった昭和天皇・統帥権「輔翼」の統帥部〜」の話でした。

目次

「聖慮は平和!」叫んだ東條陸相:顔面痙攣させて震えた杉山総長

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昭和天皇(Wikipedia)
帝国国策遂行要領:1941年9月3日(修正後)

帝国は現下の急迫せる情勢、特に米、英、蘭等各国の執れる対攻勢ソ連の情勢及帝国国力の弾発性等に鑑み、「情勢の推移に伴う帝国国策要領」中南方に対する施策を下記により遂行す

一、帝国は自尊自衛を全うするため、米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に、概ね十月下旬を目途とし、戦争準備を完整す

二、帝国は右(上)に並行して、米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努む

三、前号外交交渉に依り、十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては、直ちに対米(英蘭)開戦を決意す

1941年9月6日開催の御前会議に「大いなる懸念」を持って臨んだ昭和天皇。

前日には、杉山参謀総長、永野軍令部総長を呼び出して、事実上「詰問」していた昭和天皇。

昭和天皇

これでは、本当に米国と
戦争になってしまう・・・

昭和天皇は、「米国との戦争」が「事実上決定している」様な軍部に、強い懸念を持っていました。

杉山元

・・・・・

永野修身

・・・・・

挙げ句の果てに、前日に「叱責された」杉山参謀総長と永野軍令部総長は、「無言」でした。

昭和天皇

これに対して、統帥部が何ら答えない
のは甚だ遺憾である。

昭和天皇独白録

とて、懐中より
明治天皇の御製、

昭和天皇

四方の海 皆はらからと 思う世に
など波風の 立ちさはぐらむ

御前会議は「儀式」であり、「昭和天皇が発言すること」は極めて異例でした。

ここで、明治天皇が作成した歌を謳った昭和天皇。

杉山元

!!!!!!!

永野修身

!!!!!!!

東條英機

!!!!!!!

及川古志郎

!!!!!!!

明らかに「平和を望む」昭和天皇に対し、「戦争やる気満々」の陸海軍統帥部は衝撃を受けました。

昭和天皇独白録

この昭和天皇の一言は、
陸軍を震撼させた。

東條英機

聖慮は、平和に
あらせられるぞっ!!!

昭和天皇独白録

東條陸相は、
こう叫び、

杉山元

・・・・・

昭和天皇独白録

杉山参謀総長は、蒼ざめた
顔面を小刻みに痙攣させていた。

前日に、天皇の叱責を受けていた杉山参謀総長。

杉山参謀総長は、巨大な責任を負うことになった事実に対し、まさに「震えていた」のでした。

昭和天皇「遺憾ながら原案通り」帝国国策:「何もしなかった」近衛首相

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左上から反時計回りに、東條英機 陸相、杉山元 参謀総長、永野修身 軍令部総長、及川古志郎 海軍大臣(国立国会図書館)

当時、絶対的存在であったはずの昭和天皇。

大日本帝国憲法日本国憲法
公布1889年(戦前・明治時代)1946年(戦後・昭和時代)
主権天皇国民
天皇神聖不可侵の元首日本国民統合の象徴
戦争天皇が陸海軍を率いる戦争を放棄
軍隊国民に兵役義務交戦権否定
日本国憲法と大日本帝国憲法

現代と異なり、「主権は天皇」であり「陸海軍を率いる大元帥」でもあった天皇。

大日本帝国憲法によれば、「天皇は全てを決定出来る」立場でした。

ところが、「平和を祈願」するに止まる立場であった昭和天皇。

本来ならば、陸海軍統帥部は、ここで「大ブレーキをかける」べきでした。

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昭和天皇独白録(文藝春秋)
昭和天皇独白録

しかし、天皇の平和意図は
具現されなかった。

昭和天皇独白録

政府、則近衛首相は
原案の廃棄はおろか、

昭和天皇独白録

改訂すら実行
しなかった。

近衛文麿

・・・・・

この後に及んでも、事実上「何もしなかった」近衛首相。

昭和天皇独白録

原案通り、日本は
自存自衛のために対米英戦争を準備し、

昭和天皇独白録

外交交渉は、十月上旬ごろになっても
うまく解決できない時には、

昭和天皇独白録

開戦を決意
することになった。

昭和天皇

・・・・・

昭和天皇は、忸怩たる思いであったと考えます。

昭和天皇

会議は遺憾ながら、
原案通り決定したが、

昭和天皇

今まで、近衛・ルーズベルト会談の随員を出すことを
渋っていた陸軍が態度を改めて、

昭和天皇

軍務局長(武藤章)を参加させる
ことになった。

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武藤章 陸軍軍務局長(Wikipedia)
武藤章

私も、
近衛・ルーズベルト会談に参加しましょう。

御前会議を強引に乗り切った軍部でしたが、流石に昭和天皇に「配慮」しました。

その結果が、当時の陸軍の超中枢にいた武藤軍務局長の「近衛・ルーズベルト会談参加」でした。

昭和天皇

しかし、この会談は先方から
断ってきたので、

昭和天皇

陸軍はいよいよ開戦の
決意を固める様になった。

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大東亜戦争全史1(服部卓四郎 著、鱒書房)

この「近衛・ルーズベルト会談」の話は、当時の書籍にも多数登場します。

服部卓四郎が著した「大東亜戦争全史1」では、

大東亜戦争全史

ルーズベルト大統領は、
一見乗り気のようでもあった。

大東亜戦争全史

当時ルーズベルト大統領は、英国首相
チャーチルと大西洋上で会談し・・・

大東亜戦争全史

八月十五日、所謂大西洋憲章を
宣言して帰還した直後であった。

「一見乗り気」だったルーズベルト大統領は、最初から「会談する気はなかった」のでした。

「近衛・ルーズベルト会談」の話を、上記リンクでご紹介しています。

そして、日本は、曖昧な状況のまま、陸軍主導で対米戦開戦に至ります。

ここで、「陸軍主導」と書きましたが、それは「通説」です。

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左上から時計回りに、永野修身 軍令部総長、山本五十六 連合艦隊司令長官、山口多聞 第二航空戦隊司令官、南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社、Wikipedia)

実は、海軍もまた「陸軍と一緒に主導」して、対米戦に至った面もありました。

とにかく、「明確なトップ不在」のまま、1941年の大日本帝国は「漂流していた」のでした。

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