異質すぎる適塾卒業生・村田蔵六〜時代が生んだ奇兵隊と諸隊たち・村田「攘夷は当然」と幕末維新の空気・そのままソーッとした福澤諭吉〜|大村益次郎21・人物像・エピソード

前回は「福翁自伝が明かす「村田蔵六の攘夷かぶれ」〜真意が分からぬ福澤諭吉・幕末「私塾二強」松下村塾と適塾・塾風の巨大な相違点と適塾=蘭学研究所〜」の話でした。

New Historical Voyage
兵部大輔 大村益次郎(村田蔵六)(国立国会図書館)
目次

村田蔵六「攘夷は当然」と幕末維新の空気:そのままソーッとした福澤諭吉

New Historical Voyage
医師・教育者 緒方洪庵(Wikipedia)

適塾生にとって、大いなる師匠であった緒方洪庵が急死した1863年。

後世の視点から見れば、「幕末の真っ只中」でした。

名称学問と雰囲気著名卒業生
適塾蘭学研究所大村益次郎、福澤諭吉
自主的傾向が強い大鳥圭介、橋本左内
松下村塾吉田松陰に師叔高杉晋作、久坂玄瑞
師弟関係が強い前原一誠、伊藤博文
適塾と松下村塾

松下村塾の吉田松陰ほど、強烈な感化力は持っていなかった緒方洪庵。

蘭学研究所のようだった適塾では、「大いなる師匠」と言うよりも「大先生」の雰囲気でした。

その「緒方大先生」の通夜の席で、よりによって、

村田蔵六

気狂いとは
なんだっ!!

村田蔵六

殊にオランダの奴が
なんだっ!

村田蔵六

モウ防長の士民は悉く死に尽くしても
許しはせぬっ!

福澤諭吉

!!!!!

大声で、福澤に反駁した村田蔵六。

蘭学の大巨頭であった村田が「攘夷は当然」と言ったことは、確かに意味不明でした。

日頃、冷静すぎる村田を考えると、当時の「幕末維新の空気」が村田にこう言わせたのでしょう。

日頃、大して喜怒哀楽を出さない村田蔵六は、「他人の気持ちを押しはかる」ことをしませんでした。

幕末において、蘭学の大権威であり、数学・物理的発想・能力では抜群だった村田蔵六。

「緒方大先生」の通夜の席であろうが、なんであろうが、自らの思いに逆行する福澤に対して、

村田蔵六

福澤の
バカめが・・・

本当は、

村田蔵六(架空)

この
大馬鹿者めが!

このように「福澤を罵倒したかった」であろう村田でしたが、流石に、

村田蔵六

いかん・・・
ここは緒方先生の通夜の席だ・・・

「緒方先生の通夜の席」であることに配慮して、押し黙りました。

それでも、「同朋」に対して、ここまで痛烈、と言うよりも激烈な言葉を投げかけた村田。

New Historical Voyage
福翁自伝(福沢諭吉 著、新歴史紀行)

この話は、福翁自伝に記載されているので、実話である可能性が極めて高いです。

福翁自伝

当時、村田は、自身防御のために
攘夷の仮面を冠っていたのか、

福翁自伝

または長州に行って、どうせ
毒を舐めれば皿まで、と言うような訳で、

福翁自伝

本当に攘夷主義者になったのか
分かりませぬが、

福翁自伝

何しろ私をはじめ
箕作秋坪その外の者は、

福翁自伝

一時彼に驚かされて
そのままソーッとすておいたことがあります。

頭脳明晰であり、明治政府の様々な大幹部・幹部とも接点があり、多数の情報を得ていた福澤諭吉。

その福澤諭吉ですら「村田の真意は不明」であり、「永遠の謎」となりました。

異質すぎる適塾卒業生・村田蔵六:時代が生んだ奇兵隊と諸隊たち

New Historical Voyage
下関戦争:連合国に占拠された砲台(Wikipedia)

とにかく、天晴れなほどの完敗に終わった、下関戦争。

村田蔵六

これは、
マズイ・・・

村田蔵六

我が長州藩が、我が国で
比較的強いはずの長州藩が・・・

村田蔵六

ここまで、欧米よりも
弱いとは・・・

蘭学兵学の第一人者であった村田蔵六は、当時、欧米の兵学・軍事力をかなり把握していました。

村田蔵六

兵学ならば、
オランダ人に負けるつもりはない・・・

おそらく、村田はこのように「自負していた」でしょう。

村田蔵六

やはり、従来の藩士による
軍隊では仕方ない・・・

村田は早い時期から「農兵論」の構想を持っていた、と思われます。

Historical Voyage
甲冑(東京富士美術館)

江戸時代は、兵隊は全て藩士であることが前提でした。

そして、「士農工商」の階級があり、「武士が頂点」だった世の中でした。

ところが、「頂点の武士」が、あまりにも欧米に対して、無力であった事態に対して、

村田蔵六

欧米の武器を仕入れ、
藩士を教育したところで・・・

村田蔵六

一気に強くなることは
考えにくい・・・

当時の人物ならば「藩士こそが全て」であったのに対して、村田はどこまでも「論理的思考」でした。

そして、下関戦争によって「覚醒された」村田。

New Historical Voyage
長州藩の軍事の柱:左上から時計回りに、村田蔵六(大村益次郎)、桂小五郎(木戸孝允)、久坂玄瑞、高杉晋作(国立国会図書館、Wikipedia)

後に、高杉晋作が、「農兵中心」と呼ばれる「奇兵隊」を創設します。

実は「奇兵隊」は、藩士も多数入っていたのが現実です。

さらに、「奇兵隊のような民衆中心の軍隊」は、幕末維新期に多数現れました。

それらの「民衆中心の軍隊」は、「諸隊」と呼ばれました。

そのため、「奇兵隊は諸隊の代表的存在」であり、「民衆中心の軍隊は奇兵隊のみ」ではありません。

高杉晋作

やはり、俺たち藩士だけでは、
軍事力が不足だ・・・

37万石であり、「実高100万石」とも呼ばれた長州藩でしたが、現在の山口県周辺のみでした。

当時の人口を考えても、欧米と戦うには、そもそも「人数が不足していた」のでした。

名前生年所属
大村 益次郎1825宇和島(長州)
桂 小五郎(木戸 孝允)1833長州
前原 一誠1834長州
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
伊藤 博文1841長州
大村益次郎を取り巻く幕末維新の長州藩士志士たち
村田蔵六

高杉が奇兵隊を創設し、
他にも諸隊が登場してきた・・・

村田蔵六

農兵を具体的に組織するのは、
奴らに任せよう・・・

村田蔵六

その農兵たちを訓練し、
高い軍事力にするのが私の役目だ!

そして、異質すぎる適塾卒業生・村田蔵六は、日本の軍事史に革命を起こすのでした。

New Historical Voyage

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次