尾張と美濃の民衆が多かった「信長の夢の都市」安土〜尾張重視の信長・「金品持ち出し+安土城放火」峻拒した蒲生賢秀・戦略と世評と生き方〜|本能寺の変17・信長公記24

前回は「「蓄えや重宝を持ち出せず」逃げた安土の民衆〜冷たい明智への視線・山岡景隆「信長公の御恩は浅くはない」・光秀要請突っぱねた山岡兄弟〜」の話でした。

目次

尾張と美濃の民衆が多かった「信長の夢の都市」安土:尾張重視の信長

新歴史紀行
織田信長と明智光秀(新歴史紀行)

京・山城で、一気に織田信長・信忠父子を、切腹に追い込み、謀反に大成功した明智光秀。

「誰も想定しなかった」極大謀反でした。

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信長公記(太田牛一著、中川太古訳、新歴史紀行)

信長に関する話だけではなく、戦国の第一級資料である信長公記は、「本能寺」を詳細に描いています。

信長公記

勢田城主山岡景隆・山岡景佐
兄弟に、

明智光秀

人質を出し、
明智方に協力せよ。

山岡景隆

ありがたいことと思っているので、
どうにも御協力はできかねる。

信長公記

と答えて、勢田の橋を焼き落とし、
居城に火をつけ、山中へ退去した。

「味方の軍勢を増やす」ために、山岡兄弟に声を掛けた光秀でしたが、峻拒されました。

挙げ句の果てに、勢田の橋を焼かれてしまい、明智軍は停滞してしまいました。

この頃から、「明智光秀の明るくない未来」が見えていました。

信長公記

美濃・尾張の人々は本国を
目指して、

信長公記

思い思いに
退去して行った。

安土の民衆たちは、「取るものもとりあえず」元の本国である美濃・尾張に逃げ戻りました。

ここで、「信長が築いた新たな街・安土」の民衆が、美濃・尾張中心だった点は注目です。

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織田信長の本拠地移転(新歴史紀行)

近江の中心にあった新たな城下町・安土に、織田信長は大勢の家臣や民衆を呼びました。

安土周辺だけでも、大勢の民衆を呼ぶことが可能であり、隣国・伊勢、若狭、伊賀などもありました。

この中、隣国ではない尾張から大勢の民衆を呼んでいた信長。

織田信長

安土の街には、我が故郷・尾張の
民衆を大勢呼びたい。

織田信長

なんといっても、余が
生まれ育った国なのだからな・・・

この事実は、出身地である尾張を生涯特別視し、大事にしていた信長の姿勢が明確に見て取れます。

尾張から美濃は、平野が広がっていたため、移動は比較的容易でした。

尾張からは、美濃経由、伊勢経由、いずれでも安土には向かいやすい交通路があった当時。

それでも、「一つの国をまたいで」の移動・引越しは難儀だったはずです。

織田信長

かかる経費は、全額負担するから、
尾張の民衆よ、安土へ!

おそらく、織田信長は、このような思いで「新たな夢の都市・安土」を生み出したのでしょう。

「金品持ち出し+安土城放火」峻拒した蒲生賢秀:戦略と世評と生き方

新歴史紀行
安土城天主 信長の館(新歴史紀行)

とにかく、「織田信長の夢の街」安土は、光秀の突然過ぎる謀反によって恐慌状態となりました。

信長公記

その日、二日の夜になって、
山崎秀家が自宅を焼き払い、

信長公記

安土から山崎の居城へ
退去したので、

信長公記

ますます騒ぎが
大きくなった。

ここで、山崎秀家という、あまり有名ではない武将が登場します。

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羽柴秀吉と明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

「本能寺」直後に、光秀と秀吉の決戦の地となった山崎周辺の地侍と考えます。

その山崎秀家は、

山崎秀家

なんと!
光秀が謀反だと!

山崎秀家

ええい!
安土の我が居宅を焼き払って、

山崎秀家

我が本拠地の
山崎の城へ向かう!

わざわざ、安土の自宅を焼き払ってまでして、本拠地に向かいました。

ここで、山崎が「安土の自宅を焼き払った」点は、なんとも不可解です。

信長公記

蒲生賢秀は、

蒲生賢秀

こうなったら、奥向きの
婦人たち・子どもたちを、

蒲生賢秀

ひとまず、日野谷まで
退去させよう・・・

信長公記

と相談を
まとめた。

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織田家家臣 蒲生氏郷(Wikipedia)
信長公記

息子・蒲生氏郷を
日のから腰越まで迎えに来させ、

信長公記

牛馬・人足なども
日野から呼び寄せた。

「自宅を焼き払う」という意味不明の行動をした山崎秀家に対して、落ち着いた姿勢だった蒲生賢秀。

もともと、近江周辺の名族であり、守護・六角氏の重臣だった蒲生賢秀。

その息子・蒲生氏郷は、織田信長に大層可愛がられ、信長の娘を妻としていました。

このことからも、いわば「織田一門」だった蒲生は、冷静に安土の人々を守りました。

信長公記

六月三日の未の刻、
婦人たちに、

蒲生賢秀

御退去
なさい。

信長公記

と言った。
婦人たちは、

安土の婦人たち

どうしても、安土を捨てて
お立ち退きなさるのなら、

安土の婦人たち

天守閣にある金銀・太刀・刀を
持ち出し、

安土の婦人たち

城に火をかけて、
お立ち退きなさい。

信長公記

と言った。けれども、
蒲生賢秀は類まれな無欲の人だった。

蒲生賢秀

信長公が年来御心を尽くして、
金銀を散りばめた、

蒲生賢秀

天下に二つとないお城を造ったのを、
蒲生の一存で焼き払い、

蒲生賢秀

むなしく焦土と化してしまうのは、
畏れ多いことだ。

蒲生賢秀

その上、金銀や名物の道具類を
勝手に持ち出しては、

蒲生賢秀

世間の嘲りの種にも
なろう。

信長公記

と考えた。
安土の城は、木村高重に預けおいて、

信長公記

婦人たちは、それぞれに警固の兵を
付け、退去して行った。

信長公記

下々の女中たちは
徒歩で従ったので、

信長公記

足に血がにじんで、
哀れな様子は目も当てられぬほどだった。

とにかく、冷静沈着だった蒲生賢秀は、婦人たちの「金品持ち出し+放火」を峻拒しました。

この婦人たちの言い分は、戦国当時の論理から考えれば、一理ありました。

すぐ近くの明智軍が、当時から見て、「近い将来必ず奪いに来る」城であった安土城。

「信長の象徴」が「光秀のもの」となることは、織田家家臣として絶対に避けたいことでした。

さらに、安土の金品によって、明智の軍事力が強化されることも間違いない情勢だった当時。

安土城を「まとめて焼いてしまう」ことは、戦略上、「考えうる大事な手」でした。

そのことを十分過ぎるほど理解しながら、蒲生賢秀は、

蒲生賢秀

安土城は、
このままで良いのだ。

落ち着いて、安土を守ったのでした。

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