前回は「攘夷決行の先頭切った長州藩〜一気に冷や水浴びせられた長州攘夷熱・「効率優先学問大革命」の絶大な効果・明治末期も英語原書の学習〜」の話でした。

「そうせい公」と躍動した若手長州藩士たち:「おもちゃ」の長州砲台

威勢よく、1863年の幕府による「攘夷決行」の先頭切った長州藩。

幕末の時代、世の中が乱れてくる中、各藩では若手の台頭が著しい時代となりました。
その中でも、「若手重視」の傾向が強かった毛利家が藩主だった長州藩。

毛利敬親そうせい!
この頃、長州藩主の毛利敬親は、何か進言があると「そうせい(そうしろ)」と答えることで有名でした。
そのため、「そうせい公」とも呼ばれるに至った毛利敬親。
「そうせい公」の存在によって、他の藩では考えられないほど、長州では若手は自由に出来ました。


ところが、いくら村田が兵学を教えて軍事力を強化した、と言っても、技術力が違い過ぎました。
外国の艦船の大砲と比較すると、「おもちゃ」のようだった長州藩の砲台。
長州藩は、あっという間に大敗北を喫し、下関は占領されてしまいました。



まずは、兵学や舎密学(化学)などは、
原理を理解することが先だ!
この頃、長州藩士たちの「兵学教育総監」のような立場となった村田蔵六。
現実としては、上役が多数いたため、実権は少ない立場でした。
その一方、当時の日本における「最高先端学問」であった蘭学を究めていた村田。
村田に対しては、長州藩の何人たりとも大きな態度に出ることは出来なかったはずです。



我が長州藩が
大敗北か・・・
下関戦争の頃は、村田は江戸にいた説もあります。
いずれにしても、村田は「下関戦争を目の当たりにはしなかった」説が有力です。
実は、村田にとって、下関戦争よりも重大事が起こっていました。
適塾後輩・福澤諭吉の挑発的発言:緒方洪庵の通夜と下関戦争と攘夷


実は、下関戦争勃発の約一ヶ月後、村田の師であった緒方洪庵が急死しました。
つい最近まで元気だったはずの緒方洪庵の急死に、門下生は一気に集まりました。



緒方
先生・・・
日頃、あまり顔に表情を見せない村田も、この時ばかりは大いに落胆したでしょう。
1810年に生まれ、1863年に亡くなった緒方洪庵は54歳(数え年)でした。
当時においても、「まだまだ生きるはずの年齢」だったのに、早く亡くなってしまった緒方。


そして、緒方の通夜の席上、福澤諭吉がいました。
上の写真の通り、若い頃から優等生であり、自分にかなりの自信を持っていた福澤。
| 名前 | 生年 |
| 緒方洪庵 | 1810 |
| 大村益次郎(村田蔵六) | 1825 |
| 大鳥圭介 | 1833 |
| 福澤諭吉 | 1835 |
村田の10歳年下の福澤諭吉は、かなり生意気な人物でした。



やあ、村田さん、
お元気?
10歳年上であり、この頃は長州藩の超重要人物となっていた村田蔵六。
その大大先輩に対して、気安く語りかけた福澤。



・・・・・
10歳も離れているため、村田が適塾にいた頃、福澤はまだ適塾に入門していませんでした。
村田も福澤も、早期から幕府と大いに関わりを持っていたため、「知り合いだった」と考えます。
いずれにしても、落ち着きすぎた性格だった村田から見れば、



福澤か・・・
どうでもよいが・・・
福澤諭吉は、村田にとって「どうでもよい」存在だったでしょう。
ただでさえ、下関戦争の大惨敗に加えて、緒方の急死で沈んでいた村田。
福澤のような、生意気な若造と会話をすることすら煩わしい心境でした。



福澤と会話など
したくもないのだが・・・
この時、幕府と長州を股にかける「蘭学界の超大物」だった村田。
その村田に対して、福澤はニヤニヤしながら、同窓の気やすさでタメ口で話してきました。



どうダエ、
下関では大変なことをやったじゃないか。



何をするのか、
呆れ返った話じゃないか。
福澤が言った「下関」「呆れ返った話」は、もちろん下関戦争のことを指しました。
福澤の視点から考えれば、「蘭学の巨頭」であった村田にとって、



蘭学至上主義の
村田さんにとって・・・



蘭学発祥の地である、
オランダを含む外国と戦った、など・・・



さぞかし、
不愉快であったに違いない。
適塾門下生たちにとっては、「蘭学こそが人生のバックボーン」でした。
そして、攘夷とは、福澤ら開国主義から見れば、単なる閉鎖主義でした。
さらに、「打ち払う対象」には蘭学をも含んでいた攘夷に対しては、



攘夷など
笑止千万!
福澤の視点から見れば、「笑止千万」以外の何者でもありませんでした。



そもそも、村田さんが適塾にいた頃、
当然「開国論者」だったと聞いている・・・



さあて、村田さんは
一体、どう答えるかな・・・
不必要に挑発的であった福澤の言動に対して、



・・・・・
村田は、一瞬動きを止めました。
そして、村田が「下関戦争における愚かな行為(開国論者から見て)」を、一体どう考えているか。
福澤は、生意気な瞳を光らせて、村田の回答を待っていました。

