永野修身「今ならば勝利のチャンスがある」〜夢となった「日本近海艦隊決戦」・意気揚々とした大日本帝国大本営の遂行要領・ル大統領拒絶と日本の動き〜|陸海軍の迷走43・日米開戦と真珠湾へ

前回は「「対米戦・宣戦布告」のような帝国国策遂行要領〜米英に一方的要求を確定した帝国政府と大本営・極東平和と要求物資・「15年戦争」の呼称〜」の話でした。

目次

意気揚々とした大日本帝国大本営の遂行要領:ル大統領拒絶と日本の動き

New Historical Voyage
左上から時計回りに、近衛文麿 首相、Franklin Roosevelt米大統領、Cordell Hull米国務長官、野村吉三郎 米大使(国立国会図書館、Wikipedia)
近衛文麿

一日も早く、
日米交渉を妥結させましょう!

Roosevelt

重要なる原則的問題について
合意に到達した上でなければ会談に応じ難い。

ルーズベルト大統領は、1941年9月3日に、正式に「日米頂上会談拒絶」を通達してきました。

そして、同日、大本営・帝国政府は「帝国国策遂行要領」を決定しました。

帝国国策遂行要領:1941年9月3日(原案)

帝国は現下の急迫せる情勢、特に米、英、蘭等各国の執れる対攻勢ソ連の情勢及帝国国力の弾発性等に鑑み、「情勢の推移に伴う帝国国策要領」中南方に対する施策を下記により遂行す

一、帝国は自尊自衛を全うするため、米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に、概ね十月下旬を目途とし、戦争準備を完整す

二、帝国は右(上)に並行して、米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努む

三、前号外交交渉に依り、十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得ざる場合に於ては、直ちに対米(英蘭)開戦を決意す

別紙(帝国国策遂行要領:1941年9月3日)

対米(英)交渉に於て、帝国の達成すべき最少限度の要求事項並に之に関連し、帝国の約諾し得る限度

第一 対米(英)交渉に於て、帝国の達成すべき最少限度の要求事項

一、米英は帝国の支那事変処理に容喙し、又はこれを妨害せざること

二、米英は極東に於て帝国の国防を脅威するが如き行為に出ざること

三、米英は帝国の所用物資獲得に協力すること

第一に示す帝国の要求が応諾せざるるに於ては、

一、帝国は仏印を基地として支那を除く其の近接地域に武力進出をなさざること

二、帝国は公正なる極東平和確立後、仏領印度支那より撤兵する用意あること

三、帝国は比島(フィリピン)の中立を保障する用意あること

日米の対欧州戦争態度は、防護と自衛の観念に依り律せらるべく、又、米の欧州戦参入の場合に於ける(日独伊)三国条約に対する日本の解釈及之に伴う行動は、専ら自主的に行わるべきものなること

右(上)は(日独伊)三国条約に基づく帝国の義務を変更するものにあらず

当時の、大日本帝国大本営・政府の意気揚々とした雰囲気すら感じられる文章でした。

永野修身「今ならば勝利のチャンスがある」:夢となった「日本近海艦隊決戦」

新歴史紀行
永野修身 軍令部総長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
大東亜戦争全史

会議の冒頭、
永野軍令部総長が提案理由を述べたが、

大東亜戦争全史

その要旨は
次のとおりである。

名前生年役職
杉山 元1880参謀総長
永野 修身1880軍令部総長
及川 古志郎1883海軍大臣
東條 英機1884陸軍大臣
近衛 文麿1891総理大臣
帝国政府・大本営大幹部たち(1941年6月)

杉山参謀総長と共に、当時の陸海軍の政府・大本営の最年長だった永野修身軍令部総長。

満を持して、永野総長が説明を始めました。

永野修身

日本は各般の方面において、
特に物が減っている。

永野修身

則ち
痩せつつある。

永野修身

これに対し、敵側は
段々強くなっている。

永野修身

時を経れば、益々
足腰立たぬ。

永野修身

外交によってやるのは、
忍べる限りは忍ぶが、

永野修身

適当な時機に見込を
つけねばならぬ。

永野修身

到底、外交の見込がないときは、
早く決意しなければならぬ。

永野修身

今ならば勝利のチャンスが
あることを確信するも、

永野修身

このチャンスは
時と共になくなるのを恐れる。

要するに、「即時開戦」を強く主張した永野総長。

永野修身

戦争の見通しについては、
海軍は短期長期二様に考える。

永野修身

多分、長期に
なると思う。

永野修身

従って、長期の覚悟が
必要である。

永野修身

敵が速戦速決に来ることは
希望するところで、

永野修身

その場合は、我が近海において決戦をやり、
相当の勝算があると見込んでいる。

ここで、永野総長は、対米戦中にずっと問題となる「艦隊決戦思想」を明確に発言しました。

日本海海戦が典型例である「艦隊決戦思想」は、当時の帝国海軍の「必勝パターン」でした。

しかし、米海軍との戦いにおいて、「日本近海の艦隊決戦」は起きませんでした。

つまり、永野総長の「自信の根幹」であった「日本近海艦隊決戦」は夢となってしまいました。

永野修身

しかし、戦争はそれで
終わるとは思わぬ。

永野修身

長期戦に
なるだろう。

永野修身

この場合も、戦勝の成果を
利用して長期戦に対応するば有利である。

永野修身

これに反し、決戦がなく、
長期戦となれば、苦痛である。

ここで、永野総長は、「決戦なしの長期戦」の見込みが悪いことを明確に述べました。

永野修身

特に物資が欠乏するので、
これを獲得しなければ、長期戦は成立せぬ。

永野修身

物資を取ることと、戦略要点を
取ることにより、不敗の備をなすことが大切だ。

永野修身

敵に王手と
行く手段はない。

永野修身

しかし、王手がないとしても、
国際情勢の変化により、取るべき手段はあるだろう。

永野修身

要するに、軍としては、
極度の窮境に陥らぬ時機に起つことと、

永野修身

開戦時機を我が方で定め、先制の利を
占むることが必要であり、

永野修身

これにより、
勇往邁進する以外に手がない。

とにかく、「即時開戦し、ガンガン押してゆく」ことを強く主張した永野総長。

対米開戦まで、残り3ヶ月あまり。

帝国陸海軍は、着実に対米戦争に向かっていました。

新歴史紀行

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