前回は「「帝国陸海軍の下」だった外務省〜「陸海軍の上」の米国務省の正反対・「戦争を辞せざる決意の下」で陸海軍合意・言葉のニュアンスの議論〜」の話でした。
「対米戦・宣戦布告」のような帝国国策遂行要領:「15年戦争」の呼称

現代において、「なぜ、日本は絶対勝てない米国に戦争を挑んだか?」はよく議論されます。
そして、この「なぜ、対米戦決意?」は、諸説あり、定まった結論はありません。
満洲事変(1931年)→支那事変(1937年)→大東亜戦争・第二次世界大戦(1941年)
満洲事変から始まり、最後は対米戦争に突き進んだ大日本帝国。
この観点から、「1931年から1945年の戦争」であり、「15年戦争」という呼称もあります。
筆者は、「15年戦争」という呼称は、「具体性に欠ける」ので好きではありません。
とにかく、陸海軍が「日米交渉と対米戦の準備」を平行して進めていた1941年9月。
この時すでに、大日本帝国は、支那の沿岸部のほぼ全域で戦闘を繰り広げている大戦争の最中でした。
第二次世界大戦・大東亜戦争を考えるとき、その戦時中も大事ですが「戦時前」の歴史が大事です。

服部卓四郎が、戦後に著した「大東亜戦争全史」には、この頃が克明に記録されています。

岡敬純「戦争決意」は、絶対に
不同意です!



「戦争を辞せざる決意の下」なら
宜しいでしょう。
このように、「細かな文言」を争っていた帝国陸海軍。



かくして九月二日、
大本営陸海軍部間の意見が完全に一致し・・・



外務省との折衝が行われ、
翌三日の連絡会議に附議せられた。
帝国は現下の急迫せる情勢、特に米、英、蘭等各国の執れる対攻勢ソ連の情勢及帝国国力の弾発性等に鑑み、「情勢の推移に伴う帝国国策要領」中南方に対する施策を下記により遂行す
一、帝国は自尊自衛を全うするため、米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に、概ね十月下旬を目途とし、戦争準備を完整す
二、帝国は右(上)に並行して、米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努む
三、前号外交交渉に依り、十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては、直ちに対米(英蘭)開戦を決意す
すでに「対米戦・宣戦布告」のような、文章が完成しました。
米英に一方的要求を確定した帝国政府と大本営:極東平和と要求物資


さらに、この帝国国策遂行要領には、下記のような「別紙」が付記されていました。
対米(英)交渉に於て、帝国の達成すべき最少限度の要求事項並に之に関連し、帝国の約諾し得る限度
第一 対米(英)交渉に於て、帝国の達成すべき最少限度の要求事項
一、米英は帝国の支那事変処理に容喙し、又はこれを妨害せざること
二、米英は極東に於て帝国の国防を脅威するが如き行為に出ざること
三、米英は帝国の所用物資獲得に協力すること
第一に示す帝国の要求が応諾せざるるに於ては、
一、帝国は仏印を基地として支那を除く其の近接地域に武力進出をなさざること
二、帝国は公正なる極東平和確立後、仏領印度支那より撤兵する用意あること
三、帝国は比島(フィリピン)の中立を保障する用意あること
附
日米の対欧州戦争態度は、防護と自衛の観念に依り律せらるべく、又、米の欧州戦参入の場合に於ける(日独伊)三国条約に対する日本の解釈及之に伴う行動は、専ら自主的に行わるべきものなること
註
右(上)は(日独伊)三国条約に基づく帝国の義務を変更するものにあらず
「別紙」の各項には、細かな記載がありますが、省略しました。
とにかく、細かく規定していますが、一目見て「大変抽象的で分かりづらい」国策案となりました。
ここで、帝国陸海軍は、戦争準備を遂行しながら、



米英の皆さん、支那事変には
一切関知しないで下さい!



極東や、東アジアに
軍事力を行使しないで下さい!



我が大日本帝国が必要とする
物資は、全て寄越して下さい!



そしたら、支那以外の仏印・比島には
これ以上進出しないです。
米英側から見たら、「都合が良いことしか書かれていない」文章でした。
さらに、米英が懸念していたのは「日独が一体となった戦争体制」であり、之に対しては、



三国条約(同盟)の規定は
そのままです!





・・・・・



これでは、交渉も何も
ないではないか・・・
この頃、大日本帝国の暗号を、ほぼ完全に解読していた米国。
上の「帝国国策遂行要領+別紙」は、電文に載ったかどうかは不明です。
大本営・政府の中で文書が配布されたのみ、だったかもしれません。
いずれにしても、巨大過ぎる諜報能力を有していた米国は、早い段階で概要は掴んだでしょう。



もうこれは、
Japanとは戦争しかないな・・・
米国がこう考えざるを得ないほど、激烈な内容がこの「別紙」でした。

