軍隊率いて「政府に尋問の筋あり」の真意〜大山県令の人民保護布達・川村と伊東座乗の高雄号包囲した私学校諸生・二派に分裂した薩摩〜|岩倉公実記11・西南戦争

前回は「川村純義が望んだ西郷と大久保の仲裁〜「川路が悪い」断言した大山・「錦の御旗」の記載ある信頼性高い岩倉公実記・大山綱良と誠忠組〜」の話でした。

目次

川村と伊東座乗の高雄号包囲した私学校諸生:二派に分裂した薩摩

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岩倉公実記:皇后宮職御蔵版:下巻(新歴史紀行)

明治維新成立の1868年が、慶應四年から明治元年となりました。

その明治元年から9年後の、明治十年という節目の年の1877年。

平和だった明治の時代に、大激震が走り始めていました。

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明治維新の立役者たち:左上から時計回りに西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視、木戸孝允(国立国会図書館)

軍事力を背景として、無理やり徳川幕府を崩壊に追い込んだ薩長を中心とした討幕派。

いわば、討幕派は、当初は単なる反乱軍でありましたが「勝てば官軍」となりました。

そして、「薩長土肥」と呼ばれる討幕派は、「薩長・土肥」が実態でした。

さらには、「「薩・長・土肥」であり、巨大な薩摩藩の軍事力が圧倒的な力を持っていた討幕軍。

いわば「討幕」という革命を成し遂げた後は、巨大勢力・薩摩が中心となりました。

ところが、革命を成し遂げた後は、最大勢力はほぼ確実に分裂します。

その典型例の一つとなったのが、薩摩の「西郷派と大久保派の分裂」でした。

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岩倉公実記:皇后宮職御蔵版:下巻(新歴史紀行)
岩倉公実記

乃ち、綱良に隆盛を拉し
来らんことを要む。

仲裁に向かった川村純義は、大山綱良県令に、「西郷隆盛を連れてくる」ことを望みました。

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鹿児島県令 大山綱良(Wikipedia)
大山綱良

分かった。
吉之助に伝えよう・・・

岩倉公実記

綱良、之を諾して
去る。

岩倉公実記

私学校の諸生、忽然と
小艇数十隻に分乗して来たり・・・

岩倉公実記

将に小銃に装弾して、高雄号に薄近
せんとす。

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伊東祐亨 高尾艦長(国立国会図書館)
伊東祐亨

・・・・・

後に連合艦隊司令長官となる伊東祐亨が、川村が乗る高雄号の艦長でした。

岩倉公実記

祐亨命して、急に碇を揚げ、
艦を回さしむ。

伊東祐亨

やむを得ん!
一度引き上げるのだ!

軍艦に対して、私学校の小艇がいくつ近づいてきても、砲撃すれば撃退できます。

ところが、「戦争のため」ではなく「仲裁のため」に来ていた川村と伊東。

ここで、戦争を始めるわけにはいかず、一時撤退となりました。

軍隊率いて「政府に尋問の筋あり」の真意:大山県令の人民保護布達

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海軍大輔 川村純義(Wikipedia)
川村純義

一度戻り、
報告しよう。

ここで、川村も伊東に同調し、一度撤退を決意しました。

岩倉公実記

備後尾道港に入り、
鹿児島の情状を京都に電報す。

岩倉公実記

十二日、隆盛、上京の旨を
県庁に上申す。その文に曰く・・・

西郷の上京趣旨

拙者共事、先般御暇之上、非役ニテ帰県致候処、今政府ヘ尋問之筋之有。

不日ニ当地発程致候間、御含為此段届出候。

尤兵隊之者共随行多人数出立致候間、人民動揺致セズ様、一層御保護御依頼及候也。

明治十年二月十二日

陸軍大将 西郷隆盛

同 少将 桐野利秋

同 少将 篠原国幹

県令 大山綱良殿

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西南戦争で立ち上がった薩摩の志士たち:左上から時計回りに、西郷隆盛、村田新八、桐野利秋、篠原国幹(国会図書館、Wikipedia)

ここで、反乱軍となった西郷隆盛・桐野利秋・篠原国幹は高らかに宣言しました。

西郷隆盛

明治政府に
尋問の議あり!

これは有名な言葉ですが、当時の「尋問」と言う意味と、現在の「尋問」の意味は違うと考えます。

いずれにしても、「尋問」なのに「軍隊を連れてゆく」ことを宣言した西郷。

形式的には、「大山県令宛」でしたが、事実上は「明治政府宛」でした。

「尋問」は「伺いたいことがある」であり、政府に対して之を言うのは、既に「挑戦状」でした。

西郷隆盛

多数の軍隊を率いてゆくので、
人民が動揺しないように、お願いします。

この頃、西郷軍は出陣の準備が固まり、一万以上の軍隊が同行する予定でした。

一万以上の軍隊を同行して、東京まで遥々向かおうとした西郷隆盛。

この真意は、謎が多いです。

岩倉公実記

是に於て、綱良は隆盛等が
上京の旨趣を印刷し・・・

岩倉公実記

之を管内に
布達す。其文に曰く、

大山県令の布達

今般陸軍大将西郷隆盛外二名政府エ尋問之筋之有。

兵隊等随行不日ニ上京之段届出候ニ付、朝廷へ届ノ上、更ニ別紙ノ通、各府県並ニ各鎮台へ通知に及ビ候就テハ、此節ニ際シ人民保護上一層注意著手ニ及ヒ候條。

篤ク其意ヲ了知シ益々安堵致ベク此旨布達候事。

明治十年二月十二日

鹿児島県令 大山綱良

西郷たちが決起文を発表した同日、大山県令もまた各府県、各鎮台に布達を出しました。

この時の、大山綱良の真意もまた謎が多いです。

とにかく、前代未聞の「軍隊を率いて政府に尋問」を実行した西郷隆盛。

明らかに「西郷支援」だった大山県令は、「人民の保護」を各方面に訴えていました。

この時点では、「出来るだけ大事にならないように」配慮していた大山綱良でした。

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