川村純義が望んだ西郷と大久保の仲裁〜「川路が悪い」断言した大山・「錦の御旗」の記載ある信頼性高い岩倉公実記・大山綱良と誠忠組〜|岩倉公実記10・西南戦争

前回は「西郷派・大久保派分裂前の誠忠組トップ大山綱良〜川村純義の調停・「明治維新の最後を飾った」西南戦争・謎の西郷隆盛の真意〜」の話でした。

目次

「錦の御旗」の記載ある信頼性高い岩倉公実記:大山綱良と誠忠組

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岩倉公実記:皇后宮職御蔵版:下巻(新歴史紀行)

岩倉具視に関する公式記録である「岩倉公実記」。

「岩倉公実記」には、幕末維新から明治政府の表と裏が記載されています。

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錦の御旗(明治天皇と維新の群像 明治神宮)

錦の御旗を「偽造した」疑いが極めて強く、当時の書籍にも「偽造」の事実が多数指摘されています。

この「錦の御旗を作成・偽造」のプロセスもまた、「岩倉公実記」に記録されています。

もちろん「偽造」とは書いてなく、「作成」という書き方です。

「錦の御旗」に関しては、「触れない」姿勢もありましたが、きちんと触れた「岩倉公実記」。

この点からも筆者は、岩倉公実記は、極めて信頼性が高い一次資料と考えます。

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海軍大輔 川村純義(Wikipedia)

西南戦争勃発時、海軍卿が不在だった帝国海軍において、海軍大輔だった川村純義。

川村純義

私が、何とか
西郷さんと大久保さんの間に入ろう!

「西郷党決起」に仰天した川村は、急遽、軍艦で鹿児島湾に来ました。

野村忍介

閣下は如何なる公事を
帯びて来るや?

川村純義

予は県令に会接せんと
欲す。

川村純義

足下、直ちに県令に
通告すべし。

そして、まずは「大山と話す」ことを強く望んだ川村。

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鹿児島県令 大山綱良(Wikipedia)
大山綱良

純義が、
おいどんに会いたい、と・・・

幕末維新の頃、有馬新七と共に誠忠組をまとめていた示現流の達人・大山綱良。

1862年、寺田屋の変において、有馬新七ら「挙兵討幕派」を久光の命令で鎮圧する立場となった綱良。

名前生年西郷派・大久保派
大山 綱良1825西郷
西郷 隆盛1828西郷(ボス)
大久保 利通1830大久保(ボス)
川路 利良1834大久保
村田 新八1836西郷
川村 純義1836大久保
篠原 国幹1837西郷
桐野 利秋1839西郷
大山 巌1842大久保
伊東 祐亨1843大久保
西郷 従道1843西郷・大久保
別府 晋介1847大久保
明治初期の旧薩摩藩士たち:西郷派と大久保派

大山綱良の視点から見れば、西郷ですら後輩であり、大久保は「小僧」でした。

大山から見れば、「下っ端が立身出世した」に過ぎない、海軍大輔・川村純義。

大山綱良

あの純義が、海軍大輔とは
大した出世じゃのう・・・

明治政府においては、鹿児島県令・大山は、海軍大輔・川村純義の「下の立場」とも言えました。

その一方で、まだまだ明治維新の香りが残存していた明治10年。

日本最強国家だった、鹿児島県令=「薩摩士族の公式ボス」であった大山綱良は、強力な立場でもありました。

川村純義が望んだ西郷と大久保の仲裁:「川路が悪い」断言した大山

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西南戦争で立ち上がった薩摩の志士たち:左上から時計回りに、西郷隆盛、村田新八、桐野利秋、篠原国幹(国会図書館、Wikipedia)
大山綱良

よか・・・
純義と会おう・・・

この頃、明らかに西南戦争において、西郷軍に加担していた大山綱良・鹿児島県令。

「薩摩武士の鑑」のような大山でしたが、おそらく、内心は、

大山綱良

ここで、吉之助と
一蔵が仲直りしてくれれば、それも良し・・・

このように、「一縷の希望」を持っていたと考えます。

そして、川村純義・海軍大輔のもとに向かった大山県令。

大山綱良

おいどんに、
会いたい、と・・・

川村純義

これは、大山県令、
ようこそ・・・

川村純義より11歳年上であり、幕末維新の嵐を駆け抜けた大先輩・大山綱良。

大山に対しては、川村は大いに気遣わざるを得なかったでしょう。

川村純義

鹿児島県下の
動揺の情勢はいかがですか?

大山綱良

これは川路大警視が、西郷大将を
暗殺せしめんと欲するに起因す・・・

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川路利良 大警視(国立国会図書館)

冒頭から、大山鹿児島県令は、「川路が西郷を暗殺しようとしたことが原因」とハッキリ言いました。

川村純義

・・・・・

大山綱良

私学校の諸生は西郷大将を護衛し、
陸路上京し・・・

大山綱良

将に、陳白(陳述)する所
あらんとす・・・

ここで、更に大山県令は「西郷が軍隊を率いて上京」まで言いました。

大山綱良

鹿児島県下の動揺は、
亦既に制す可からず。

川村純義

・・・・・

川村純義に向かって、「もう制圧は無理だから、諦めろ」という通告をした大山県令。

岩倉公実記

純義、友幸は
綱良の言を聞き、大いに之を疑う。

岩倉公実記には、川村純義が、大山綱良の言うことを「疑った」と記録しています。

「疑った」というのも事実だったかもしれませんが、とにかく「西郷に会おう」と考えた川村。

川村純義

西郷大将に会接し、
そのことを質したいのですが・・・

そして、西郷隆盛との面会を大山綱良に要望した川村純義。

岩倉公実記

乃ち、綱良に隆盛を拉し
来らんことを要む。

ここで、岩倉公実記には、「隆盛を拉し来らんこと」を、川村が望んだと記録しています。

「拉し来らんこと」とは、

川村純義(架空)

西郷を
連れてこい!

このように、「川村が大山に言った」ことになりますが、これは事実かどうか。

現実的には、

川村純義(架空)

大山さぁに、西郷さぁを
連れて来て頂きたいのですが・・・

こんな感じで、「川村が大山にお願いした」と考えます。

いくら、「事実上の海軍大臣」とは言え、当時、大山は「最強国家・薩摩のトップ」でした。

小さな頃から、薩摩士族という枠組みの中で育った中、「11歳年上の大山」には頭が上がらないはずだった川村。

大山綱良

分かった。
吉之助に伝えよう・・・

大山県令もまた、拒絶せずに、「川村海軍大輔の要望」を受け入れました。

なんとか、まずは西郷隆盛に面会して、少しでも騒動を鎮火させたい川村純義でした。

大山綱良と川村純義の思惑が交錯する中、西郷隆盛自身は、何を考えていたのか。

この辺りは、大いなる謎です。

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