前回は「三国同盟推進した昭和天皇の弟・秩父宮〜兄弟喧嘩を「この場限り」公表・昭和天皇が頼りにし続けた米内光政・天皇に「辞職攻撃」した板垣陸相〜」の話でした。
「憲法停止+天皇親政」拒否した昭和天皇:「第二の建武中興」明治維新

秩父宮ドイツ・イタリアとの
三国同盟は締結すべきです!
| 名前 | 生年 |
| 昭和天皇 | 1901年 |
| 秩父宮 | 1902年 |
昭和天皇の一つ違いの弟だった秩父宮は、「日独伊三国同盟超推進者」でした。





終には、私は、この問題については、
直接宮には答えぬと言って・・・



突っぱねて
しまった。
まさに「大人の兄弟喧嘩」に発展してしまったことを、昭和天皇は赤裸々に語りました。





秩父宮と昭和天皇の
激論については・・・



満洲事変後の騒然たる
国内情勢を背景に・・・



憲法をめぐって行われたことが
「西園寺公と政局」で明らかになっている。



この時、
秩父宮の・・・



憲法を停止し、
「親政」を実施してはどうか。



との建議に、
天皇は・・・



(それは)伝統を傷つける
もの(である)。



として
強く反対した。
この時、驚きの「天皇親政」を昭和天皇の弟である秩父宮が主張したことを明らかにしました。


「天皇親政」とは、様々な解釈が成り立ち得ますが、一つの形態は「後醍醐天皇式」と考えます。
| 年号 | 出来事 |
| 1185年 | 源頼朝、守護・地頭を設置 |
| 1192年 | 源頼朝、征夷大将軍に就任:鎌倉幕府創設 |
| 1333年 | 鎌倉幕府滅亡 |
| 1336年 | 足利尊氏、征夷大将軍に就任:室町幕府開設 |
| 1573年 | 室町幕府滅亡(諸説あり) |
| 1603年 | 徳川家康、征夷大将軍に就任:江戸幕府開設 |
| 1867年 | 徳川幕府滅亡(大政奉還) |
鎌倉幕府を打倒し、「建武中興」又は「建武の親政」と呼ばれる政治を強行した後醍醐天皇。
ところが、後醍醐天皇による新政は、たった3年で瓦解してしまいました。
そして、1868年に「第二の建武中興」として成立した明治維新。
700年ほど続いた「武家による政治」から、形式的には「天皇による政治」に変わりました。
「昭和天皇親政強行」のifの歴史:日本の「全く違う歴史」


明治維新成立後、27年経過した後、「太政大臣の代わり」として総理大臣が誕生しました。
内閣総理大臣による議院内閣制が形作られたのは、1885年。
それと並行して、伊藤博文らは、



早く憲法を
成立させるのだ!
大日本帝国憲法の成立を、極めて急いで進めていました。


そして、内閣総理大臣誕生の4年後の1889年に、大日本帝国憲法公布となりました。
形式的となっていた「天皇親政」でしたが、昭和天皇は「ある程度は下問出来る」立場でした。
この中途半端な状況に対して、



憲法を停止し、
「親政」を実施してはどうか。
「憲法停止」を主張した秩父宮の発想は、現代の発想から考えると「極端過ぎる」発想です。
その一方で、この「憲法停止+天皇親政」を主張するほど、乱れていたのが当時の世の中でした。



が、昭和十四年ごろ、日独伊三国同盟を
めぐっても論争したという・・・



驚くべき事実は
初公開である。
とにかく、この「憲法停止+天皇親政」を跳ねつけた昭和天皇は賢明でした。
| 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
| 公布 | 1889年(戦前・明治時代) | 1946年(戦後・昭和時代) |
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 天皇 | 神聖不可侵の元首 | 日本国民統合の象徴 |
| 戦争 | 天皇が陸海軍を率いる | 戦争を放棄 |
| 軍隊 | 国民に兵役義務 | 交戦権否定 |
現実的に、「天皇が憲法を停止する権限があったのかどうか」は、様々な議論がありそうです。
主権を握り、「神聖不可侵の元首」であった昭和天皇。



ここで、憲法を
停止し、朕の親政を行う!
このように、昭和天皇が内閣、議会に諮らずに「天皇親政」が実行できたのかどうか。
現実的には「それは難しかった」と考えます。
その一方で、仮にこの「天皇親政」が可能であったら。
或いは、昭和天皇が秩父宮の進言通りに「親政を強行」していたら。
この「親政を強行」は、昭和天皇の性格から考えると「あり得ないこと」です。
「昭和天皇独白録」の流れによると、昭和天皇と秩父宮の「兄弟喧嘩」は昭和十三年と思われます。
1938年、「二・二六事件」から二年が経過し、猛虎のように暴れ回っていた陸軍軍部。
帝国陸軍・軍部は、勢いを増して、日独伊三国同盟締結に強引に大日本帝国を持ってゆきました。
ここで、仮に「昭和天皇親政」によって、すべての人事権を昭和天皇が握っていたら。
昭和の歴史は、確実に変わりました。
おそらく、大日本帝国は日米戦争には「踏み切らなかった」でしょう。
そして、現在に至る日本の歴史は「大きく」、というよりも「全く」変わっていたでしょう。

