「憲法停止+天皇親政」拒否した昭和天皇〜「第二の建武中興」明治維新・「昭和天皇親政強行」のifの歴史・日本の「全く違う歴史」〜|昭和天皇独白録23・昭和の真実

前回は「三国同盟推進した昭和天皇の弟・秩父宮〜兄弟喧嘩を「この場限り」公表・昭和天皇が頼りにし続けた米内光政・天皇に「辞職攻撃」した板垣陸相〜」の話でした。

目次

「憲法停止+天皇親政」拒否した昭和天皇:「第二の建武中興」明治維新

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秩父宮(Wikipedia)
秩父宮

ドイツ・イタリアとの
三国同盟は締結すべきです!

名前生年
昭和天皇1901年
秩父宮1902年
昭和天皇と秩父宮

昭和天皇の一つ違いの弟だった秩父宮は、「日独伊三国同盟超推進者」でした。

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昭和天皇(Wikipedia)
昭和天皇

終には、私は、この問題については、
直接宮には答えぬと言って・・・

昭和天皇

突っぱねて
しまった。

まさに「大人の兄弟喧嘩」に発展してしまったことを、昭和天皇は赤裸々に語りました。

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昭和天皇独白録(文藝春秋)
昭和天皇独白録

秩父宮と昭和天皇の
激論については・・・

昭和天皇独白録

満洲事変後の騒然たる
国内情勢を背景に・・・

昭和天皇独白録

憲法をめぐって行われたことが
「西園寺公と政局」で明らかになっている。

昭和天皇独白録

この時、
秩父宮の・・・

秩父宮

憲法を停止し、
「親政」を実施してはどうか。

昭和天皇独白録

との建議に、
天皇は・・・

昭和天皇

(それは)伝統を傷つける
もの(である)。

昭和天皇独白録

として
強く反対した。

この時、驚きの「天皇親政」を昭和天皇の弟である秩父宮が主張したことを明らかにしました。

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後醍醐天皇(WIkipedia)

「天皇親政」とは、様々な解釈が成り立ち得ますが、一つの形態は「後醍醐天皇式」と考えます。

年号出来事
1185年源頼朝、守護・地頭を設置
1192年源頼朝、征夷大将軍に就任:鎌倉幕府創設
1333年鎌倉幕府滅亡
1336年足利尊氏、征夷大将軍に就任:室町幕府開設
1573年室町幕府滅亡(諸説あり)
1603年徳川家康、征夷大将軍に就任:江戸幕府開設
1867年徳川幕府滅亡(大政奉還)
三つの幕府の始まりと終わり

鎌倉幕府を打倒し、「建武中興」又は「建武の親政」と呼ばれる政治を強行した後醍醐天皇。

ところが、後醍醐天皇による新政は、たった3年で瓦解してしまいました。

そして、1868年に「第二の建武中興」として成立した明治維新。

700年ほど続いた「武家による政治」から、形式的には「天皇による政治」に変わりました。

「昭和天皇親政強行」のifの歴史:日本の「全く違う歴史」

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伊藤博文 初代内閣総理大臣(国立国会図書館)

明治維新成立後、27年経過した後、「太政大臣の代わり」として総理大臣が誕生しました。

内閣総理大臣による議院内閣制が形作られたのは、1885年。

それと並行して、伊藤博文らは、

伊藤博文

早く憲法を
成立させるのだ!

大日本帝国憲法の成立を、極めて急いで進めていました。

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大日本帝国憲法発布(Wikipedia)

そして、内閣総理大臣誕生の4年後の1889年に、大日本帝国憲法公布となりました。

形式的となっていた「天皇親政」でしたが、昭和天皇は「ある程度は下問出来る」立場でした。

この中途半端な状況に対して、

秩父宮

憲法を停止し、
「親政」を実施してはどうか。

「憲法停止」を主張した秩父宮の発想は、現代の発想から考えると「極端過ぎる」発想です。

その一方で、この「憲法停止+天皇親政」を主張するほど、乱れていたのが当時の世の中でした。

昭和天皇独白録

が、昭和十四年ごろ、日独伊三国同盟を
めぐっても論争したという・・・

昭和天皇独白録

驚くべき事実は
初公開である。

とにかく、この「憲法停止+天皇親政」を跳ねつけた昭和天皇は賢明でした。

大日本帝国憲法日本国憲法
公布1889年(戦前・明治時代)1946年(戦後・昭和時代)
主権天皇国民
天皇神聖不可侵の元首日本国民統合の象徴
戦争天皇が陸海軍を率いる戦争を放棄
軍隊国民に兵役義務交戦権否定
日本国憲法と大日本帝国憲法

現実的に、「天皇が憲法を停止する権限があったのかどうか」は、様々な議論がありそうです。

主権を握り、「神聖不可侵の元首」であった昭和天皇。

昭和天皇(架空)

ここで、憲法を
停止し、朕の親政を行う!

このように、昭和天皇が内閣、議会に諮らずに「天皇親政」が実行できたのかどうか。

現実的には「それは難しかった」と考えます。

その一方で、仮にこの「天皇親政」が可能であったら。

或いは、昭和天皇が秩父宮の進言通りに「親政を強行」していたら。

この「親政を強行」は、昭和天皇の性格から考えると「あり得ないこと」です。

「昭和天皇独白録」の流れによると、昭和天皇と秩父宮の「兄弟喧嘩」は昭和十三年と思われます。

1938年、「二・二六事件」から二年が経過し、猛虎のように暴れ回っていた陸軍軍部。

帝国陸軍・軍部は、勢いを増して、日独伊三国同盟締結に強引に大日本帝国を持ってゆきました。

ここで、仮に「昭和天皇親政」によって、すべての人事権を昭和天皇が握っていたら。

昭和の歴史は、確実に変わりました。

おそらく、大日本帝国は日米戦争には「踏み切らなかった」でしょう。

そして、現在に至る日本の歴史は「大きく」、というよりも「全く」変わっていたでしょう。

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