前回は「「誰にも増して、絶えず信長に贈与」した光秀〜淡白な知識人の横顔・ありえない信長の「光秀殴り」・信長の徳川家への重大なる配慮〜」の話でした。
不思議なフロイス「謀略に精通してない信長」:「欺瞞」した光秀像

大河ドラマなどにおいては、「端正な知性派武将」として描かれることが多い明智光秀。
そして、多くの場合において、ドラマや小説では「明智光秀と羽柴秀吉が真逆」であることが多いです。
「対立する存在」があると、ドラマや小説は途端に引き締まって、読みやすくなります。

この「対立する存在」は「正義vs悪」であることが最も多く、三国志演義では、「曹操は悪役」です。
そして、本能寺の変で、「主人である信長を殺した」明智光秀。
対して、「光秀を倒して、主人の仇を討った」羽柴秀吉。
この観点では「明智光秀は悪役」となるのは当然でありますが、「単なる悪役」ではないのが光秀です。

Frois彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、
その親愛の情を得るためには・・・
信長公記において、光秀は「誰にも増して、絶えず信長に贈与」した、と描かれています。
この「誰にも増して、絶えず信長に贈与」という「光秀像」は、ドラマや小説では、ほぼ皆無です。
ある意味で、非常に新鮮味がある「明智光秀像」を描いているのが、フロイス「日本史」です。



また、友人たちの間にあっては、
彼は人を欺くために七十二の方法を深く体得し・・・



かつ学習したと吹聴していたが、ついには、
このような術策と表面だけの繕いにより・・・



あまり謀略(という手段を弄すること)に
精通してはいない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい・・・



信長は彼を丹波・丹後
二か国の国主に取り立て・・・



信長がすでに破壊した比叡の山の大学(延暦寺)の全収入
-それは(別の)国の半ば以上の収入に相当した-



と共に彼に
与えるに至った。
この記述も注目であり、光秀が、



人を欺くために七十二の方法を
深く体得し、学習した!
このように「吹聴していた」と記述したフロイス。
この点は、本当なのか?と感じざるを得ませんが、光秀は「何らかの技能体得の自慢」をしていたのでしょう。
続いて、「謀略に精通していない信長」を「欺瞞した」という点も、不思議に感じます。


謀略・軍事能力・政治力などでは、戦国筆頭格の織田信長。
その信長よりも「光秀のようが上」であるのは、納得できません。
さらに、信長を「謀略に精通していない」人物、という記載は、どうにも受け入れ難いです。
それとも、フロイスにとっては、「キリスト教を庇護」した「慈愛のある人物」であった信長。
信長は、「良い人物」という心象だったのかもしれません。
「延暦寺の全収入」確保した光秀:緻密で整合性が高いフロイス記述


フロイスは、



信長は彼を丹波・丹後
二か国の国主に取り立て・・・
このように記述していますが、「丹波は光秀、丹後は細川藤孝」が歴史的事実となっています。
かつては、「細川藤孝の子分・部下」のような存在であった明智光秀。


足利家の体制においては、「細川」は、極めて有力な一族でした。
諸説ありますが、明智光秀に遅れる形で、「義昭から信長に乗り換えた」細川藤孝。
そして、「近畿管領」とも言われるほど強い存在であった明智光秀の寄騎となった細川藤孝。
旧体制打破であり、時代の転換を図っていた信長にとっては、「細川=名家」は受け入れ難かったでしょう。
そこで、細川藤孝は「明智光秀の事実上の配下」であったように、フロイスは描いています。
後世、「足利・織田・豊臣・徳川の世を一等席で歩み続けた」唯一人の人物、と表現される藤孝。
その教養は抜群であり、政治力や軍事能力もまた優れた人物でした。
その一方、織田体制においては、「細川藤孝の丹後」は「明智光秀領」とフロイスは描いています。
この点は極めて重要であり、本能寺の変で、光秀が「当然、藤孝は従う」と考えた理由になります。


さらに、近江坂本周辺では、延暦寺が持っていた多数の利権を光秀が所有し、



信長がすでに破壊した比叡の山の大学(延暦寺)の全収入
-それは(別の)国の半ば以上の収入に相当した-
「別の国の半ば以上」というのは、15万石〜20万石程度だったと考えます。
一般的には、「丹波29万石+近江坂本5万石=34万石」と言われる光秀領。


太閤検地の石高を参考にすると、
「明智光秀領=丹波27万石+丹後11万石+近江坂本5万石+延暦寺の利権15〜20万石=58〜63万石」となります。
この石高は、当時の明智光秀の立場を考えれば、妥当と考えます。
すると、フロイスの記述の信憑性は、やはり高いと考えます。
このように考えると、フロイスが描いた、



あまり謀略(という手段を弄すること)に
精通してはいない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい・・・
この点もまた、ある程度の信憑性があり、それほど光秀が「大謀略家」であったのかもしれません。

