前回は「石像破壊で「旧秩序破壊」目論んだ信長〜守護代以下の織田家・京の鐘の音=信長の命令・新たな京支配者の意気込み「不埒者即処断」〜」の話でした。
「民衆守る」信長の意思:「たまたま」ではなく「探していた」不埒者

1567年に美濃を併呑して濃尾の大大名となった信長は、翌1568年、一気に京に乗り込みました。
現在、岐阜駅前には、上のような「金色」と言うより「金ピカ」の巨大な織田信長像があります。
| 名前 | 生年 |
| 毛利元就 | 1497年 |
| 北条氏康 | 1515年 |
| 武田信玄 | 1521年 |
| 六角義賢(承禎) | 1521年 |
| 長尾景虎(上杉謙信) | 1530年 |
| 大友義鎮(宗麟) | 1530年 |
| 織田信長 | 1534年 |
| 島津義弘 | 1535年 |
| 羽柴(豊臣)秀吉 | 1537年 |
| 徳川家康 | 1543年 |
当時、戦国の世に名高い戦国大名たちと比較して、明らかに「若僧」だった信長。
その信長が、将軍家を奉戴して、一気に京に乗り込んだ当時は、戦国の世に激震が走ったでしょう。
Froisところで、かつて建築作業を行っていた間に、
一兵士が戯れに一貴婦人の顔を見ようとして・・・



その被り物を少し上げたことが
あった時・・・



信長は、たまたまそれを
目撃し・・・



ただちに一同の面前で
手ずからそこで彼の首を刎ねた・・・
この信長の「女性に戯れた兵士斬り」は有名ですが、フロイスは「たまたま」と記載しています。





おいっ、
貴様、何やっているのか!
「直ちに一同の面前」で首を刎ねた信長からは、後年、家臣らを追放した「冷酷さ」が出ています。
確かに、この「女性に戯れた兵士斬り」は、信長の性格を表すエピソードですが、違う側面もあります。
ここで、フロイスは信長の入京によって、京の民衆が安心している様子を細かく描写していました。
おそらく、信長にとって「兵士斬り」は、「秩序を守り、民衆を守る」ゼスチャーだったのでしょう。
後世「新たな京の主人」という視点もありますが、なんといっても「将軍奉戴」でした。
つまり、信長は事実上、「将軍義昭の家臣として、京にいた」ことになります。
おそらく、「将軍権力とは別」と早々に考えていた信長は、自己の存在をアピールしたかったのでしょう。
ここで「たまたま」見つけた「女性に戯れた兵士」は、信長にとって「格好の敵」でした。
おそらく、信長は、このような「不埒もの」を探して「即処断する」ことを決めていたのでしょう。
「易々と特許状を与えた」信長:あっという間の建築工事完成





だが、この建築の際、
極めて驚くべきことは・・・



彼が信じることが出来ぬほどの
短期間にそれを成就したことである。



すなわち、少なくとも2,3年は
かかると思われたものを・・・



彼(信長)は、ほとんど全てを
70日で完成した。
新将軍となった足利義昭の拠点の建築を、「あっという間」に成し遂げた信長。
フロイスの「2,3年かかる」は、欧州の石造建築の考え方が根本にあると思われます。
古来から日本の木造軸組建築は、欧州の石造建築よりも早く建築工事が進む利点がありました。
フロイスは、当時の日本の建築事情を知っていたと思われますが、「大袈裟に表現した」と考えます。
義昭の新拠点の規模にもよりますが、



通常、二万五千人が働き、
少ない時でも一万五千人が働いた・・・
この「少なくとも一万五千人」が全て工事関係者とは思えず、建材を運ぶ人工も含んでいます。
現代の建築工事でも、「一万五千人が常駐」していたら、凄まじいスピードで工事は進みます。
さらに、「民衆へのアピール」と「信長の性格」から、当然「休日なし」だったと思われます。



この信長は、
荒廃していた京を再建するのだ!
猛烈、凄まじい、などの表現を超えたスピードは、確かに当時「信長しか出来ない」ことでした。



信長が公方様を都へ連れ戻すと
聞くと、六条(本圀寺)の僧侶たちは・・・



先手を打って、美濃と尾張に赴き、軍勢が都に来た際、
いとも著名で毀損されたことがないその寺院が・・・



なんら煩わされる事なく、また宿舎として
使用されることのないための特許状を獲得しようとした。
本圀寺の僧侶たちは、「信長の特許状」を得ようと運動しました。



このため、彼らは多額の銀を費やし、
その証書を入手して・・・



はなはだ満足して住居に帰り、
まったく安堵していた。
多額の銀を使って、「政治工作」した本圀寺の仏僧たち。
これは、当時の京の治安を実行していた信長の重臣たちに行ったと思われます。
この「信長の特許状」に対する「信長の関与」は不明であり、記載がありません。
この辺りは、織田家内部でなければ分かりませんが、重要決済は信長自身がしていたと思われます。
「僧侶嫌い」で有名な信長が、この時は「易々と特許状を与えた」こと。
この後に、騒乱があることを予期させる事態でした。

