前回は「「法皇不在」の頼りない帝国陸軍〜昭和天皇が考えた「敗戦の最大の理由」・大局を「考えなかった」こと・「便所の扉」と呼ばれた杉山参謀総長〜」の話でした。
昭和天皇が語る「大東亜戦争の遠因」:排日移民法と国民的憤激

「昭和天皇独白録」の中には、多数の「昭和・第二次世界大戦・大東亜戦争の真実」があります。
敗戦の理由として、「4つの事実」を明確に挙げた昭和天皇。
そして、四つのうち、おそらく「昭和天皇が最大の原因」と考えたのが、
昭和天皇第四、常識ある首脳者の不在と
下剋上の状態・・・
帝国陸海軍及び政府のトップの「力量不足」でした。
さらに、「皇太子への手紙」において、



軍人がバッコして
大局を考えず・・・



進むを知って
退くことを知らなかったからです。
ここまで言い切った昭和天皇。
今回は、昭和天皇が語る「大東亜戦争の遠因」を見てみましょう。



この(大東亜戦争の)原因を
尋ねれば・・・



遠く第一次世界大戦後の
平和条約の内容に伏在している・・・
様々な呼称がある第二次世界大戦に対し、「昭和天皇独白録」に従い、大東亜戦争と呼称します。
1941年開始の大東亜戦争の原因が、「1918年終了の第一次世界大戦後の平和条約」と明言した天皇。



日本の主張した人種平等案は、
列国の容認する処とならず・・・



黄白の差別感は
依然残存し・・・



加州移民拒否の如きは、
日本国民を憤激させるに十分なものである。
「移民のるつぼ」であり続けている米国では、第一次世界大戦後、アジアからの移民拒否に出ました。
これは、1924年の「排日移民法」と呼ばれるものです。
明確に日本を標的にしたのではなく、当時、日本が「アジアからの移民の大半を占めた」事実を指します。



又青島還付を強いられたこと
亦然りである。



かかる国民的憤激を背景として一度、
軍が立ち上がった時に・・・



之を抑えることは
容易な業ではない・・・
このように、昭和天皇は大東亜戦争の原因を語りました。
真っ当過ぎる「人種差別撤廃」主張した帝国:溜まった憤激マグマの行き先


1919年、第一次世界大戦に対する平和会議が招集されました。
連合国28カ国がパリに集結し、日本全権は総理経験者でもあった西園寺公望でした。
| 名前 | 年齢 | 役職 |
| 山縣有朋 | 81歳 | 元老・元首相 |
| 西園寺公望 | 70 歳 | パリ全権・元首相 |
| 杉山元 | 39歳 | 参謀総長 |
| 永野修身 | 39歳 | 軍令部総長 |
| 嶋田繁太郎 | 36歳 | 海軍大臣 |
| 山本五十六 | 35歳 | 連合艦隊司令長官 |
| 東條英機 | 35歳 | 総理・陸軍大臣 |
| 昭和天皇 | 18歳 | 皇太子の子 |
この頃、のちの大東亜戦争の大幹部たちは、青年からベテランになる時期でした。
70歳の大ベテランであり、元首相であった西園寺公望は、勇んで会議に臨みました。



このような大戦争が
起こる原因の一つは人種差別です。



我が日本は有色人種の立場から、
「人種差別撤廃」の案を出します!
この際、人種差別を部分的にでも撤廃しようと、奮起した西園寺公望。
当時は、「白色人種の天下」であり、アジアの黄色人種は「大分下の位置」でした。



人種差別撤廃?
そんなこと、どうでも良いだろう・・・



我々は白人だから、
差別撤廃したところで、得るものはない・・・
ところが、この日本案は、2ヶ月ほどで列国に潰されてしまいました。
第一次世界大戦と呼ばれる、当時の大戦争。
実際は「欧州大戦争」であり、第二次世界大戦と比較すると「世界」大戦ではありませんでした。
第一次世界大戦の頃の大日本帝国は、比較的平穏であり、アジア周辺は小康状態でした。


上の欧州地図において、茶色が同盟国、緑色が連合国です。
連合国:主にロシア帝国+フランス+大英帝国の三国協商
同盟国:主にドイツ帝国+オーストリア=ハンガリー帝国
第一次世界大戦は、主として「露仏英vs独墺伊」でした。
そして、大日本帝国は日英同盟のため、「連合国側」でしたが、「外野」でもありました。



Japanが大国であることは
認めるが・・・



今回の大戦では、
外野だったんだから、少し黙ってろな・・・
友邦であったはずの大英帝国もまた、このような姿勢であり、帝国に対して冷たい対応でした。
その一方で、歴史を考えれば、当時、「人種差別撤廃」は真っ当過ぎる提案でした。



なぜ、米英は
「人種差別撤廃」を却下する?



米国も大英帝国も、
傲慢だ!
この時、日本の世論は猛烈に大反対で盛り上がりました。
正当すぎる「人種差別撤廃」却下で、多いに傷ついた大日本帝国。



結局、我らは欧州の連中から
「下」に見られているのではないか?



冗談ではないわ!
なぜ「下」なのだ!
パリ会議の1919年は、まもなく昭和となる頃で、昭和天皇は当時18歳でした。



パリ会議の時、
朕は18歳であった・・・



朕も「人種差別撤廃」に
大いに期待した・・・



だが、老練な西園寺の
力を持ってしても・・・



全く、列強は「既得権益」の如く
相手にしなかった・・・



あれは、米英などの列強が
良くない・・・
おそらく、18歳の昭和天皇は、こう思ったでしょう。
そして、この「日本国民の憤激」は、マグマのように溜まってゆきました。
そして、昭和天皇は明確に述べました。
「溜まった日本人の憤激マグマの行き先」が、日米戦争・第二次世界大戦であったこと、を。

