「法皇不在」の頼りない帝国陸軍〜昭和天皇が考えた「敗戦の最大の理由」・大局を「考えなかった」こと・「便所の扉」と呼ばれた杉山参謀総長〜|昭和天皇独白録8・昭和の真実

前回は「昭和天皇の「帝国陸海軍敗因」の本音〜稚拙な戦略と戦術・「軍人バッコ」+「進むを知り、退くを知らない」帝国陸海軍〜」の話でした。

目次

昭和天皇が考えた「敗戦の最大の理由」:大局を「考えなかった」こと

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昭和天皇独白録(文藝春秋)

第二次世界大戦において、大日本帝国が敗戦した理由を4つ明確に挙げた昭和天皇。

昭和天皇

第一、兵法の研究が
不十分であった事・・・

昭和天皇

第二、科学の力を
軽視したこと・・・

昭和天皇

第三、陸海軍の
不一致・・・

昭和天皇

第四、常識ある首脳者の不在と
下剋上の状態・・・

敗戦の原因の最大の理由として、帝国陸海軍及び政府トップ・大幹部の能力不足を挙げました。

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左上から時計回りに、昭和天皇、山縣有朋、山本権兵衛、大山巌(国立国会図書館、Wikipedia)
昭和天皇

往年の山縣(有朋)、大山(巌)、
山本権兵衛、と云ふような大人物に欠け・・・

「山縣、大山、山本権兵衛のような人物不在」を語った昭和天皇。

彼ら3名は、昭和天皇が若き頃に軍部と政府を動かしていた人物たちで、絶大な力を持っていました。

第一〜第四の理由のうち、最後の理由に関して、昭和天皇は当時の皇太子に赤裸々に語っています。

昭和天皇

敗戦について
一言言わしてくれ・・・

こう語り始めた昭和天皇は、最後に、

昭和天皇

軍人がバッコして
大局を考えず・・・

昭和天皇

進むを知って
退くことを知らなかったからです。

ここに「昭和天皇の敗戦に対する本音」が隠されていると考えます。

「法皇不在」の頼りない帝国陸軍:「便所の扉」と呼ばれた杉山参謀総長

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山縣有朋(Wikipedia)
名前年齢役職
山縣有朋78歳元老
大山巌74歳元老
山本権兵衛66歳海軍長老(予備役)
昭和天皇15歳皇太子の子
昭和天皇が立太子し、皇太子となった1916年:昭和天皇・山縣有朋・大山巌・山本権兵衛の年齢

昭和天皇が立太子し、皇太子となった1916年、上の3名たちは超ベテランでした。

年齢の面でも圧倒的であり、当時は「元老が国家を動かしていた」時代でした。

名前年齢役職
杉山元61歳参謀総長
永野修身61歳軍令部総長
嶋田繁太郎58歳海軍大臣
山本五十六57歳連合艦隊司令長官
東條英機57歳総理・陸軍大臣
昭和天皇40歳皇太子の子
日米戦争開戦時:1941年の昭和天皇及び大幹部たちの年齢

そして、日米戦開戦時の昭和天皇及び大幹部たちの年齢が、上の表です。

上の表では、細かな月日は除外し、生年から1941年時点の年齢を出しました。

昭和天皇が15歳頃の頃と比較すると、大幹部たちは「若返っている」のが特徴的です。

昭和天皇が若い頃の山縣有朋のような、80歳近い「陸軍の法皇」的存在は、皆無でした。

山縣有朋

陸軍は、この山縣有朋が
全て抑えています・・・

山縣有朋に対しては、その人物像含め、賛否両論です。

その一方で、確かに「奇兵隊軍監」を務め、「幕末維新からの長老」だった山縣。

江戸から、明治、大正、そして昭和初期を生き抜いた山縣には、「途轍もない迫力」があったでしょう。

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左上から反時計回りに、昭和天皇、杉山元 参謀総長、東條英機 総理兼陸相、永野修身 軍令部総長(国立国会図書館,Wikipedia)
杉山元

陸軍は私が
参謀総長です!

昭和天皇

・・・・・

それに対して「便所の扉」や「グズ元」と呼ばれた杉山元が、日米戦開始時の参謀総長でした。

「便所の扉」とは、昔は便所の扉が「どちらにも開く」ことから、「どっちつかず」の意味です。

「グズ元」は、文字通り「グズ」でした。

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近衛文麿「平和への努力」(近衛手記、日本電報通信社、新歴史紀行)

近衛文麿「平和への努力」において、近衛は、この頃の昭和天皇と杉山参謀長のやり取りを描写しています。

昭和天皇

日米事起こらば、陸軍としては、
どのくらいの期間で片付ける確信ありや?

杉山元

南洋方面だけは三ヶ月位にて
片付けるつもりであります・・・

この回答に対し、昭和天皇は、俄に不快な表情を見せました。

昭和天皇

・・・・・

実は、1937年、支那事変(日中戦争)開始時に、陸軍大臣だった杉山は、

昭和天皇

支那事変は、
どのくらいで完了するのだ?

杉山元

我が軍の力ならば、
一ヶ月でくらいで片付きます・・・

このように、支那(中国)に対して「楽勝」を高々と宣言した杉山陸相。

1937年に勃発した支那事変は、1941年当時も「継続中」でした。

この事実に対して、昭和天皇は明確に指摘しました。

昭和天皇

汝は支那事変の際、陸軍大臣で、
一ヶ月と言ったが・・・

昭和天皇

もう四カ年経過するが、
終わってないではないか!

杉山元

・・・・・

叱責を受け、恐懼した杉山参謀総長は、

杉山元

支那は極めて
広大であり・・・

杉山元

その広大さが、
長引いている理由でございます・・・

このように、初めから分かっていた「支那の広さ」を理由にした杉山参謀総長。

これに対し、頭脳明晰な昭和天皇は、「支那事変と日米戦争の違い」を指摘しました。

昭和天皇

太平洋は支那よりも
遥かに広いぞ!

昭和天皇

太平洋を抑える
米国と戦争して、勝てるのか?

杉山元

・・・・・

このように、昭和天皇は強く指摘、叱責したと伝えられています。

「一ヶ月で終わるはずだった支那事変」は、その後も継続し続けました。

そして、勃発後8年経過した1945年8月、支那事変は「敗戦」で終わりました。

昭和天皇(架空)

・・・・・

この「支那事変と陸軍」に対して、昭和天皇は「忸怩たる思い」があったでしょう。

当時、帝国陸海軍においては、対等な立場でしたが、陸軍の方が遥かに将兵が多い状況でした。

それに対して、海軍は将兵が少ないものの、軍艦に多額の費用がかかる状況でした。

陸海軍対等ながら、人数の違いから、作戦指揮としては、どうしても「陸軍主体」でした。

この中、この「どうしようもなく頼りにならない」杉山参謀総長に対し、

昭和天皇(架空)

杉山で、陸軍は
大丈夫なのだろうか・・・

このように「強い危惧を持っていた」と考えられます。

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左上から時計回りに、Franklin Roosevelt米大統領、Cordell Hull米国務長官、Frank Knox海軍長官、Henry Stimson陸軍長官(Wikipedia)
Roosevelt

使えないSteve(仮名)は
更迭!

これに対して、米国などの諸外国トップならば、「役立たない大幹部は更迭」しました。

ところが、昭和天皇は「更迭する」権限は「あった」のでしたが、「しなかった」のでした。

より具体的に言えば、「更迭権限がなかった」状況だった昭和天皇。

そして、陸海軍大臣・参謀総長・軍令部総長は、軍部が決定していました。

昭和天皇が、山縣・大山・山本と「陸軍2名・海軍1名」を挙げた理由には、

昭和天皇(架空)

海軍も問題が
あったが・・・

昭和天皇(架空)

なんと言っても、
陸軍があれでは・・・

長きにわたり、陸軍を率いた杉山元参謀総長・東條英機陸相らに、懸念を抱いていたのでしょう。

その「懸念」が、冒頭の言葉となって表面化したと考えます。

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