日本三大水城の一つ・今治城〜「瀬戸内海がすぐそこ」の立地・今治城を築城した「築城の超名手」藤堂高虎〜|今治城1・伊予

前回は「四国の覇王・長宗我部元親の力の根源・岡豊城〜一領具足の猛烈パワー・ささやかな規模の石垣・長宗我部氏の「象徴」〜」の話でした。

目次

日本三大水城の一つ・今治城:「瀬戸内海がすぐそこ」の立地

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今治城(新歴史紀行)

今回は愛媛県・今治城を訪問した話です。

上の写真は、天守閣最上階から海側を見た写真です。

写真の下部が今治城内で、城を囲んで外堀があり、すぐそこが海です。

日本三大水城

・今治城

・高松城

・中津城

日本三大水城の一つである今治城は、他の高松城、中津城と比較して、知名度が高いです。

これら三つの水城には、大きな共通点があります。

それは、いずれも瀬戸内海に面して建築されていることです。

海を間近に控えた優美な水城は、美しく、さらに水運に恵まれる大きな利点があります。

その一方で、太平洋や日本海に面して水城を築くと、台風などの災害に遭う可能性があります。

瀬戸内海に面した立地に水城が多いのは、瀬戸内海が「温厚な性格」の海であることが最大の理由です。

今治城を築城した「築城の超名手」藤堂高虎

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今治城(新歴史紀行)

少し目を西に向けると、瀬戸大橋が見え、様々な島が一望できます。

水城であると同時に、海城でもある今治城。

優美な姿が有名な今治城ですが、実際に訪問すると海との「あまりの近さ」に驚きます。

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今治城(新歴史紀行)

そして、目を東に向けると、西側よりも島の数が少なくなりますが、いくつかの島が見えます。

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京・山城中心の日本列島(新歴史紀行)

戦国末期から豊臣政権、そして徳川幕府初期までは、日本は京・山城中心の国家像でした。

徳川幕府によって、江戸に政治の府が移ったものの、天皇がずっといた京・山城。

江戸時代末期まで、日本の首都は京であったと言って良いでしょう。

そして、当時、「天下の台所」大坂(当時は大と表記)への水運が盛んであった瀬戸内海。

戦国時代に南蛮の文物のメッカとなった堺は、江戸時代も巨大な港でした。

そして、当時は、現代よりもさらに水運が重視されていた時代です。

国内外の水運の要であり続けた瀬戸内海は、江戸時代も多数の船が行き来していたでしょう。

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小田原城(新歴史紀行)

上は、小田原城天守閣から相模湾を眺めた写真です。

小田原城も「海に近い」ですが、今治城と比較すると、「海との近さ」が全く違います。

まさに「海と一体化した城」である今治城。

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戦国大名 藤堂高虎(Wikipedia)
藤堂高虎

この藤堂高虎が
今治城を築城したのだ!

戦国期に「築城の超名手」と呼ばれた藤堂高虎が、1602年に築城したのが今治城です。

まさに、「関ヶ原の合戦直後」の時期で、世の中が少し平穏になった時期でした。

そして、1602年は、徳川家康が征夷大将軍に就任して徳川幕府開設する1603年の前年です。

そのため、事実上「江戸時代に築かれた」のが今治城です。

次回は、今治城の城内に入ってゆきます。

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