前回は「時代の趨勢を見抜いた村田蔵六〜西洋兵学の重要性認識と大傾倒・適塾卒業生の俊英長与専斎・「蘭学解読研究所」だった適塾〜」の話でした。

西洋兵学導入に大きく舵切った徳川幕府:アヘン戦争の巨大衝撃

幕末の時代、日本においては「西洋列強の脅威」が最重要でした。
徳川幕府あの清国が
エゲレス(大英帝国)に大敗北した・・・
様々な解釈がありますが、日本の歴史上、日本にとって「兄貴分」であり続けた中国。
実際、様々な王朝が入れ替わりつつも、中国は巨大国家であり続けました。
19世紀中盤において、人口・GDP共に世界一であった清国(中国)。
清国では「中華思想」がさらに強まっている中、大英帝国と戦争し、大敗北してしまいました。
さらに、大英帝国に香港などの領土を取られ、欧米列強の進出が激しくなった清国。
巨大国家であった清国は、瞬く間に欧米列強の植民地となってゆきました。



このままでは
我が国も欧米列強にやられてしまう・・・
「徳川幕府の屋台骨は腐っていた」と表現されることが多い幕末の時代。
そうは言っても、1840年代の徳川幕府はバリバリの日本政府でありました。



我が国も西洋の軍事学、
軍事技術を取り入れねば・・・
そして、徳川幕府は「日本防衛」のために、西洋の軍事技術導入に舵を切りました。
・長崎:徳川幕府・オランダや中国など
・対馬:対馬藩・朝鮮や中国など
・琉球:薩摩藩・中国や東南アジアなど
・蝦夷(北海道):松前藩→徳川幕府・ロシアなど
とは言っても、「鎖国」が国是であった幕府にとって、頼りになるのはオランダのみでした。



とにかく、オランダから
軍事に関する兵器・技術・書籍を導入!
幕府は、オランダに対して、多額の予算をつけて軍事に関する兵器等の導入を推進しました。
「国家を治す医師」を自認した村田蔵六:最先端学問の入り口・蘭語


水の都・アムステルダムを首都とするオランダ。


そして、かつては江戸城周辺には多数の堀割・河川・運河があり、水の都だった江戸。
西洋列強の中で、国家の規模が比較的小さく、色々な類似点があったオランダとは良好な関係でした。



オランダの皆さん、
もっともっと、武器などを売ってください。



もちろん!
Tokugawa Shogunとは長い付き合いですから・・・



大砲や軍艦をお売りしても
良いですが・・・



それらを適切に使える
軍人がいなければ意味がないです・・・



た、確かに
その通りですな・・・



我がオランダの兵学書を
多数お売りするので・・・



貴国でオランダ語を
理解する人物に読んで理解して頂きたい・・・



我が国には優れた
蘭学者が多数いますからな・・・



その人物たちに、翻訳などを
お任せしましょう!



まずは、兵学書によって
西洋軍事の基礎を確立してください。



何事も、まずは基礎が
大事です・・・



我々オランダ人の軍人も
派遣しますので・・・



西洋兵学の基礎を
早めに作りましょう!



有難う御座います!
西洋兵学、大推進します!
こうして、凄まじい勢いで「西洋兵学猛烈推進」に踏み切った徳川幕府。
それは、後の明治新政府が「超欧化主義」を推進した姿と似ていました。
少し異なる点としては、徳川幕府の「西洋兵学猛烈推進」よりも明治新政府の方が強烈だった点です。
明治新政府が「欧米の制度を丸ごと輸入」したと比較すると、徳川幕府は「緩やかな輸入」でした。
| 名前 | 生年 | 所属 | 
| 大村 益次郎(村田 蔵六) | 1825 | 長州 | 
| 西郷 隆盛 | 1827 | 薩摩 | 
| 武市 瑞山 | 1829 | 土佐 | 
| 大久保 利通 | 1830 | 薩摩 | 
| 木戸 孝允 | 1833 | 長州 | 
| 江藤 新平 | 1834 | 佐賀 | 
| 坂本 龍馬 | 1835 | 土佐 | 
| 中岡 慎太郎 | 1838 | 土佐 | 
| 高杉 晋作 | 1839 | 長州 | 
| 久坂 玄瑞 | 1840 | 長州 | 
ちょうど、この「日本政府=徳川幕府」の西洋兵学への傾倒の頃、壮年期を迎えた村田。
適塾で蘭学力をメキメキ上昇させた村田は、大いなる自信を持っていました。



蘭学には自信があり、
どんな蘭学書でも読みこなせる!



そして、今の我が国で
最も必要なのは、西洋兵学である!
西洋列強の勢いが嵐のように吹き荒れてきた1850年代。



上医は国を医し、
その次は人を医すのだ!
村田は、このように考えていたに違いなく、傲岸不遜な村田は、



そして、俺こそが、
国家の医師となる人物だ!
こう考えていたでしょう。
ところが、まだ時代は村田を必要としていませんでした。



・・・・・
適塾で西洋兵学と医学を学んだ村田は、一度郷里の長州藩周防国鋳銭司村に戻り、家業を継ぎました。

