前回は「日独によるソ連挟撃に揺れる帝国陸海軍〜「南北曖昧」な陸軍と「南が先」と明確な帝国海軍・ヒトラーが警戒した「最近までNo.1だったUK+No.1のUS」〜」の話でした。
「魔術師のような強さ」見せたヒトラー:「食糧確保」の常識的判断

1941年6月頃、大日本帝国政府は揺れに揺れていました。
1941年6月22日に勃発した独ソ戦では、
Hitler我が第三帝国の軍事力ならば、
Sovietを2,3ヶ月で屈服可能!
ヒトラーは勇ましくこう公言していましたが、これは「ヒトラーの本心」ではなかったと考えます。
1939年9月に「第二次世界大戦を勃発させた」張本人であるヒトラー総統。
その後、ドイツは、電撃戦によって瞬く間に欧州で占領地を広げました。
実際、この頃のヒトラーの作戦指揮ぶりは凄まじく、ヒトラーは「魔術師のような存在」でした。
そして、「第二次世界大戦勃発後間もなく2年」の1941年6月に「満を辞して」独ソ戦を開始したヒトラー。



異常に広大なSovietを
完全に占領しようとは思わぬ・・・
誰が見ても、ソビエト連邦の国土の広さは異常であり「完全占領は不可能」でした。





だが、モスクワは
我がベルリンにも程近い・・・



要は首都を潰せば、どの国家も
屈服せざるを得んだろう・・・
こう考えたヒトラーの脳裏には、「大国であったフランスを屈服させた」時の成功体験がありました。
パリを占領し、フランスを降伏させたヒトラー。
ただし、南フランスでは、ヴィシー政権が存続していました。
そのため、フランス全土をドイツが占領したのではありませんでした。
同様に、「モスクワを占領し、ソビエト連邦の西方を握る」方針であったヒトラー。



Sovietのウクライナ周辺は
大穀倉地帯だ・・・



ここを握れば、
国民も軍人も食糧に困ることはない・・・
戦争において、最も重視されたのは「重油の確保」でした。
その一方で、重油よりも、そもそも戦う軍人や国民を食べさせる必要が国家元首にはあります。
ヒトラーのソ連侵攻は、重油や資源確保も重要でしたが、食糧確保にも重点を置いていました。
この点、ヒトラーのソ連侵攻は「極めて困難」であったはずでしたが、「常識的」とも言える発想でした。
ヒトラー率いるドイツに「誠心誠意」目指した松岡洋右


独ソ戦を迎え、大日本帝国大本営と政府は、断続的に協議を重ねていました。
第二の二
帝国は自存自衛上南方用域に対する各般の施策を促進す
之が為対英米戦準備を整へ、先づ「南方施策促進に関する件」に拠理仏印及泰に対する諸方策を完遂し以て南方進出の体制を強化す帝国は本号目的達成の為対英米戦を辞せず
第二の三
独ソ戦に対しては三国枢軸の精神を基調とするも暫く之に介入することなく密かに対ソ武力的準備を整へ自主的に対処す
独ソ戦争の推移帝国の為極めて有利に進展せば武力を行使して北方問題を解決し北辺の安定を確保す
第二の四
前号遂行に方り各種の施策就中武力行使の決定に際しては対英米戦争の基本態勢の保持に大なる支障なからしむ
そして、独ソ戦勃発の二日後には、新たな「陸海軍部新国策案」を作成した大本営。
その動きは迅速でしたが、曖昧な文言が並んでいました。



一体、南方と
北方のどちらを重視するのだ?



南と北はどっちが先か、は
今は決められぬ!
結局「南か北か」という極めて重要な大方針すら「まだ決められない」状況の「国策」でした。





実は、我がGermanyは
なんとかしてSovietを打倒したい・・・
独ソ戦開戦前、リッベントロップ外相から、このように「ソ連侵攻」を告げられたにも関わらず、



本当にヒトラーは
ソ連に侵攻するのか?



流石に、そんな
無茶な二面作戦はしないのでは・・・
このように「「漠然とヒトラーという人間」を見誤ってしまった松岡外相。
この点では、この1941年6月24日に、アタフタと会議を開いている責任は全て松岡にありました。
ところが、根っからの強行主義であり、プライドが超高かった松岡外相は、



ドイツが正式の
外交ルートで通告してこなかったのが悪い・・・
「リッベントロップの通告」は「正式な外交ルートでなかった」ことが原因と考えていました。
その一方で、「ドイツべったり」だった松岡外相は、



ドイツが相談してもしなくても、
こちらは誠心でやらなければならぬ!



誠心で彼を
つかむ必要がある!
このように、「ヒトラー率いるドイツに誠心誠意あたる」ことを主張していました。
現代の視点から考えると「外相として甘すぎる」を超えて「外相として失格」であった松岡。
その松岡が、対米戦直前の帝国政府を「引っ掻き回していた」のでした。

