前回は「比較的低い山に築城された岡豊城〜中央部から飛躍した長宗我部・山国であり海国であった土佐〜」の話でした。
ささやかな規模の石垣:長宗我部氏の「象徴」

現在では、城跡となっている岡豊城を訪問しました。

往時に建築されていた、様々な城や曲輪、櫓などの基礎の石や石垣の一部が残っています。

土塁や石積の一部も残っていますが、ほとんど森となっているのが、岡豊城跡です。

石垣が残されており、長宗我部時代のものと思われます。
石垣の積み方は、城郭建築の中でも「ささやかな規模」であり、比較的小さな石が目立ちます。

上田城などの本格的な石垣と比較すると、その規模の小ささがよく分かります。
上田城を訪問した話を、上記リンクでご紹介しています。

この石段は、整備された感じがあります。
新たに作ったか、または往時の石段に手を入れたと考えられます。
いずれにしても、標高100mほどの低い山に建築した山城である岡豊城。
岡豊城は、城としての規模は小さいです。

本丸があった付近を歩いて、登ってきた側の反対側の方にゆくと、階段で降りてゆけます。
この階段もまた、訪問者のために整備した感じがあります。

戦国の覇王・織田信長の安土城趾と比較しても始まりませんが、安土城よりもかなり小規模な岡豊城。
果たして、この城が「籠城戦などの戦闘のために作られたのか」かも不明です。
籠城するには、あまりにもその防御の痕跡が脆弱であるように感じます。
筆者の個人的な感想ですが、武田家の躑躅ヶ崎館のような存在であったと思いました。
つまり、「防御のため」ではなく「長宗我部氏の政治機構・象徴」が岡豊城であったのでしょう。
四国の覇王・長宗我部元親の力の根源・岡豊城:一領具足の猛烈パワー

「長宗我部氏岡豊城址」と描かれた大きな石碑がありました。

この石碑は、幕末維新の土佐藩出身であった名士・田中光顕による揮毫です。
土佐藩は山内家であり、土佐山内家の家老に連なる家柄に生まれた田中。
この点では、「長宗我部とは無関係」であるはずの田中ですが、やはり「土佐は長宗我部」なのでしょう。

比較的大きな石による石垣もありますが、実に全体的に「ささやかな」印象です。

他には、上の写真のように、石垣の一部の痕跡もありますが、小さい規模です。
現在は、城跡というより廃墟となっている岡豊城。
もはや朽ちているような城ですが、戦国期には、確かにここ岡豊城から勃興したのが長宗我部元親でした。


我が長宗我部が
四国を統一するのだ!
若い頃は「姫若子(ひめわこ)」と言われたほど、「戦国武将らしくなかった」元親。
その元親の親である、国親の代に長宗我部氏は飛躍しました。
とは言っても、土佐の中央部で勢力を伸ばした程度であり、脆弱な勢力であった長宗我部氏。


土佐一国で「太閤検地の時点で10万石満たなかった」数少ない小国・土佐。
国名 | 石高 |
伊予 | 36万6200石 |
阿波 | 18万3500石 |
讃岐 | 12万6200石 |
土佐 | 9万8200石 |
合計 | 77万4100石 |
四国全土で約80万石ほどであり、国土は広いのに、その12%程度の生産力でした。
おそらく、長宗我部元親が相続した時点で、長宗我部氏は3万石程度であったと思われます。
後に各地で覇を唱えた諸大名の中でも、「際立って石高が小さかった」長宗我部元親の領土。



我が長宗我部領では、
米の生産力が低い・・・



だが、土佐湾では、
捕鯨など漁業が盛んである!


太平洋に思い切り開いた土佐は、旧国名の中でも「最も海に開いた」国家でした。
おそらく、米の生産量が低かったものの、魚類を主食にしていた可能性が高い土佐の人々。
土佐では、農民と漁民によって国家が成立していたと思われます。
そして、長宗我部元親独自の「一領具足」の軍団が四国を席巻しました。



「一領具足」の
武装農民たちよ!



この元親に
続くのだ!
一領具足は、「半農半兵の兵士」と説明されますが、筆者は「半漁半兵の兵士」も多数いたと考えます。
そうでなければ、この異様に生産力が低い土佐から四国を制圧するパワーの説明が出来ません。


そして、四国で「最も小国であった」土佐の長宗我部元親が、四国を席巻し、



もうすぐで
四国を統一だ!
四国統一目前となりました。
そして、四国80万石を元に、「農民パワー+漁民パワー」で中央に名乗りを挙げようとしていた元親。





長宗我部に
土佐全土はやれん!
そこに登場したのが、戦国の覇王・織田信長でした。



信長め・・・
だが、信長は本能寺で消えた・・・
そして、本能寺の変で一息ついた長宗我部。
ところが、「中央に近かった」ために、豊臣軍の猛攻を最初に受けてしまった長宗我部軍。



我が四国制覇の
夢が・・・
長宗我部元親の「四国制覇の夢」は、ここでピリオドが打たれました。
ここ岡豊城跡を訪れた時、その「元親の夢」が少し垣間見えた気がしました。
高知中央部にある岡豊城跡を、ぜひ訪問してみてください。