光る滝川一益の瞳〜強力な家臣団を有していた北条家・歴戦の士と風魔一党・極めて高いプライド持っていた北条氏政・戦国の口火を切った北条〜|滝川一益10・人物像・軍事能力・エピソード

前回は「真田昌幸の離反に青ざめた滝川一益〜旧主武田勝頼を討滅した敵・北条家の宿敵だった織田家・北条家の総力を結集した北条氏政・頼みの綱の真田昌幸〜」の話でした。

滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

極めて高いプライド持っていた北条氏政:戦国の口火を切った北条

戦国大名 北条氏政(Wikipedia)

長らく「関東の覇王」であり続けた北条家。

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戦国大名 北条早雲(伊勢宗瑞)(Wikipedia)

「北条早雲によって戦国時代は始まった」という説があり、その意味では、

我が北条家は
この戦乱の時代の口火を切ったのだ!

氏政がこう考えるのも、ある程度の合理性がありました。

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関東・甲信勢力図 1555年(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋)

「最初に戦国時代を走り始めた大名」として「戦国のトップランナー」であり続けました。

まだ織田家が小さな勢力であり、武田家も中堅大名だった時、北条家は大勢力でした。

1555年頃には、伊豆・相模・武蔵・上野を制して、100万石を優に超える大大名に成長した北条家。

1538年生まれの北条氏政は、18歳(数え年)で青年時代を迎えており、

氏康様の次には
氏政様がいる!

父たちの
治世を学んで、良い国づくりをするぞ!

この調子でゆけば、5年後の1560年頃には「関東制圧」が視野に入りそうです。

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戦国大名 上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

私は関東管領となった
上杉政虎(謙信)だ!

ところが、「越後守護代」であり「関東とは関係が薄いはず」の上杉政虎(謙信)が乗り込んできました。

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関東・甲信勢力図 1561年(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋

北条家の勢力は惨めなまでに削られ、領土の半分以上を失う事態になりました。

この1561年頃に、24歳となりバリバリの後継者然としていた氏政。

あの時は
大変だった・・・

上杉謙信が風のように関東に攻め込んできて、風のように越後に帰ってゆくと、

関東の武士たちは
また北条家に従ったが・・・

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戦国大名 武田 晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

我が武田は
上野に攻め込む!

謙信がいなくなったと思ったら、今度は信玄が上野に乗り込んできました。

一時は「関東制圧目前」まで早い時期に到達していた北条家は、苦難の道を歩んできました。

いつの間にか
中央で織田が強くなりすぎて・・・

仕方なく、
信長に従っていたのだ・・・

実際は、「嫌々ながら」織田家に従属していた北条氏政。

強力な家臣団を有していた北条家:歴戦の士と風魔一党

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1582年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

そして、上杉・武田に圧迫されてきた北条家は、強大な織田家に圧迫されていました。

ところが、

信長のいない織田家など、
怖くもないわ!

息巻く北条氏政は、50,000という大軍勢を動員して、

我が北条家の
全力を挙げよ!

滝川軍に襲い掛かります。

優れた武将がキラ星のごとくいた織田家・武田家。

あるいは謙信ばかり目立つものの、猛将が大勢いた上杉家と比較して地味な北条家。

北条早雲・氏綱・氏康までは名将といわれるものの、氏政もまた少し地味な扱いです。

当主以外では、高い軍事的能力を有する武将として描かれる武将は比較的少ないです。

強力な武将は北条綱成など、非常に限られていたように描かれることが多い。

一方で、上杉謙信・武田信玄と長年戦い、関東を制覇していた北条家。

実は、多数の優れた武将がいました。

柴田勝家(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

柴田勝家や山県昌景のような華のある武将は少なかったかも知れません。

ところが、相応の軍事的能力・統率能力を持つ武将は、北条家には大勢いたのです。

山県昌景(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

その北条軍団総力を上げての戦いを迎えることになった、滝川一益。

上野周辺に強固な地盤を持ち、相応の軍事力と優れた頭脳を持つ真田昌幸がいました。

真田昌幸(Wikipedia)

真田をあてにしていたものの、真田はあっさり滝川一益を捨てます。

どう戦っても、
滝川に勝ち目はない・・・

関東管領格となった滝川一益ですが、まだ入国してまもなく、寄騎は少ない状況。

風魔一族を抱え諜報組織が強い北条家は、「真田が滝川に従わぬ方向」という情勢を掴みます。

そして、遂に念願の北関東奪取向け、北条氏政は滝川軍を追うために猛烈な勢いで進撃します。

久々に北関東を、
我が北条の手に!

一益には、上野周辺の小大名・国衆が全く支援してくれません。

・・・・・

事実上、自らのかつての領国の伊勢衆のみを率いて、滝川一益は北条家に挑みます。

一説には滝川軍18,000対北条家50,000とも言われる大きな戦力差でした。

平地の多い上野付近で、この兵力差は、如何ともし難い軍事力の差です。

光る滝川一益の瞳

神流川周辺(歴史群像シリーズ51 戦国合戦大全 下巻 学研)

そもそも平地での「大きな戦力差」を抱える滝川家にとって、致命的な弱点がありました。

上野は「かつては北条家の領国であった地域」です。

平坦な土地で、3倍の軍勢に対して敵国で戦う。

さらに、北条家には周辺の地理を熟知した将兵が大勢いたでしょう。

こうなっては、もうどうにもなりません。

謙信・信玄が、滝川一益と同様の立場であったら、どうしたか、とも思います。

絶体絶命の中、滝川一益は唇を噛みます。

これは、まずい。
非常にまずい状況だ・・・

歴戦の武将は、直感的に最悪の状況であることを把握します。

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織田四天王:左上から時計回りに柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

ところが、織田家において四天王とも言われた滝川一益。

ここで奮起して、一益は瞳を光らせます。

我こそは、織田家、そして信長様を
長年支えた滝川一益だ!

北条ごときに
舐められてたまるか!


一益は、北条軍を迎撃することを決断します。

負けるかもぬ・・・
しかし、ただでは負けぬぞ!

自らの人生の総決算を考え、

我が歴戦の「戦の真髄」を
見せてくれるわ!

そして、滝川軍の総力を上げて迎撃体制を整える指示を出す一益でした。

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