前回は「滝川一益 8〜北条家と決戦へ〜」でした。

旧領奪還の固い決意を、固めた北条氏政。

北条家の総力を上げて、50,000人の軍勢を集めます。
当時は、概ね「4万石で1,000人」の動員換算なので、50,000人の動員は「200万石相当」となります。
まさに、当時の北条家の全ての力を上げて、滝川軍に襲い掛かりました。
関東管領格となった滝川一益ですが、まだ入国してまもなく、寄騎は真田昌幸など少ない状況。
そして、頼みの男でもあった真田昌幸。

武田信玄の薫陶を長年に渡って受けてきた、真田昌幸。
情報を重視した信玄のそばに居続けた昌幸は、兼ねてから諜報部隊の強化を実施してきました。
父の真田幸隆(幸綱)は、武田信玄に支えてずっと、調略でのし上がってきました。

相手を調略するためには、相手の周辺の情報を得ることが必須です。
おそらく、真田家には幸隆以前から、強固な諜報組織があったのでしょう。
その諜報組織を、さらに信玄流にアレンジした真田昌幸。
「草の者」と呼ばれる多数の忍者・諜者集団を抱え、その諜報能力は全国屈指のレベルでした。
情報をかき集めた昌幸は、判断を下します。

滝川は保たない。
それは武田信玄に若い頃から、近習として支えた真田昌幸のカンでした。



滝川が北条に
勝つことは不可能。
しかも、滝川一益は、総大将が織田信忠だった織田家の武田討滅軍の補佐役で、事実上の総司令官でした。





滝川とは大した縁もない上に、
旧主 武田家を潰した張本人だわ!
確かに、武田勝頼を天目山に追い込んだ張本人が、滝川一益だったのです。



ワシが援護してやる
義理はないわ!
ついに、真田は、滝川一益と絶縁します。



真田は
滝川とは手を切る!
上野周辺の小大名・国人が支援してくれません。
事実上自らのかつての領国の伊勢衆のみを率いて、滝川一益は北条家に挑みます。
一説には滝川軍18,000対北条家50,000とも言われ、平地の多い上野付近でこの兵力差は如何ともし難い軍事力の差。


この状況では、羽柴秀吉・柴田勝家・明智光秀の誰がなっても、非常に厳しい。
軍事の天才 織田信長・武田信玄であっても、勝利を得るのは難しい。


絶体絶命に陥った、滝川一益でした。



なんと・・・・・



真田が寝返ったか・・・・・