前回は「近世を葬った男・西郷隆盛〜幕末の諸外国との折衝・不平等条約を強行したハリス・幕末に颯爽と登場した西郷と大久保・よく分からない西郷という人物〜」の話でした。

幕末を疾風怒濤のごとく駆け抜けた男・書生のような軍神

今回は長州の英雄 高杉晋作です。
個人的には、幕末で最も好きなのはこの高杉晋作。
疾風怒濤のごとく駆け抜け、「書生のような軍神」と呼びたいと思います。
今回、改めて高杉を調べ・考えてゆくうちに彼に相応しいネーミングを見つけてゆきたいと思います。
長州藩の良家に生まれた高杉は、裕福な武家という恵まれた環境に育ちました。
幕末を駆け抜けた他の人物と比較すると、最も家柄の良さ・裕福さを持っていました。
いわば「名門の子弟」です。

育ちが良くて、
裕福らしいけど・・・
幕末、薩摩と共に多数の優れた人物を輩出した長州。
若い頃は優等生でもあった高杉ですが、彼には「頭の良さ」とは別に「独特の勘」を持っていました。
時は、幕末の風雲時。
後世から見れば「幕末」ですが、当時は「徳川幕府が日本政府」でありました。
徳川を頂点として幕藩体制の中で、比較的恵まれた家柄出身の高杉。
維新の星たちの中では、比較的若手です。





何かが
起きそうだ・・・



世の中が
大きく変動している・・・
独特の勘が働いた高杉。
松下村塾:超過激な吉田松陰


若い時には、吉田松陰の松下村塾で学びます。
久坂玄瑞・吉田稔麿・入江九一と共に、松門四天王の一人として名を挙げていました。
松陰の妹を嫁にもらった優等生的存在の久坂玄瑞と並び、松下村塾の双璧。
吉田稔麿も、かなりの人物だったようです。


惜しむらくは、これら四人全てが20代の若いうちに非業の死を遂げていることです。
そしてその師匠である吉田松陰もまた、安政の大獄で29歳の若さで刑死します。
吉田松陰の「実像」もよく分からない点が多いです。
若い頃は諸国を遊学したと思ったら、いきなりアメリカの船に密航しようとしたり、



考えるだけではダメだ!
実行しなければ!
さらには老中間部詮勝暗殺を企んだり、ちょっと常人の尺度で測り難い人物でした。



とにかく
実行!
その「あまりに過激な発想」は、門弟である高杉たちですら、



吉田先生、
ちょっと待って・・・
と止めるものの、吉田松陰先生は逆ギレして、



なに!
高杉たちが、そんな腑抜けだったとは!



いえ、腑抜けではなく、
「過激すぎる」と思うのです・・・



もういい!
諸君たちは、ダメだ!
いくら武士が帯刀していて、今よりも「遥かに死が身近だった」当時といえども、



政府要人を
暗殺する!
こう主張する吉田が異常であって、まだしも「平常心を持っていた」のが、高杉たちでした。
安政の大獄から桜田門外の変へ:上海での衝撃





長州や水戸の
志士とかいう連中・・・



我が徳川にとって、
危険でしかない・・・
幕府側からしたら、吉田松陰ら松下村塾の連中は単なる「危険な集団」に過ぎなかったでしょう。
さしずめ、吉田松陰は「危険軍団・テロリストの親玉」に写ったに違いないでしょう。
井伊直弼と外様大名に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
その結果、1858年の安政の大獄、つづいて1860年の桜田門外の変に続きます。


毛利長州藩で恵まれた家庭に生まれ、それなりに過ごすことが出来た高杉。
自らその地位を捨てて、幕末の風雲に突入してゆきました。



安定した人生は、
つまらない!



暴風雨の様な
風雲の中に突進!
中央政界で活動を続けた西郷とは異なり、高杉は基本的に長州藩の枠組の中で活動をしていました。


大きな転機となったのは1862年。
この年、高杉は清国(中国)上海に渡航し、当時英国など列強の植民地同然となっていた清を目の当たりにします。
そして、強烈なショックを受けます。



これはひどい!
中国人が欧米人に、動物の如く扱われている!



このままでは、
次は日本の番だ!
ペリーやハリスがやってきて、幕府がなし崩し的に不平等条約を次々と結ばされた、この時期。
後世から見たら「幕末」となります。





Asia人など、
恫喝すれば一発よ!



こいつらなど、
大した連中ではないわ!
多くの藩にとっても、徳川幕府独裁の「幕藩体制の限界」が見えてきました。
それでも、旗本を入れて800万石ほどの圧倒的軍事力とパワーを待つ徳川家。
貿易も「ほぼ独占」していて、金銀もたくさん持っている徳川家。
さらには優れた人物もたくさんおり、大勢の軍勢もいる徳川家。
「屋台骨がグラついてきた」とは言え、当時の徳川のパワーは圧倒的でした。
対して、



徳川に
物申したいが・・・



あのパワーには、
とても敵わない・・・
大人しめの諸侯・諸大名たちがいました。
後に維新の原動力となる薩摩藩も、このころは大人しめでした。



いくら我が薩摩藩が強力と言っても、
徳川の力が強すぎる・・・
その中、勝手に沸騰し続けている藩が一つだけありました。
長州藩でした。



徳川幕府を
ブチ倒すのだ!



新たな国づくりをしなければ、
日本も植民地になってしまう!
高杉晋作は長州藩の中心となって、幕末維新の躍動期を疾風怒濤の如く駆け抜けてゆきます。
次回は上記リンクです。