高杉晋作 1〜幕末を疾風怒濤のごとく駆け抜けた男〜|幕末維新

前回は「西郷隆盛 1〜近世を葬った男登場〜」の話でした。

高杉晋作(国立国会図書館)

今回は長州の英雄 高杉晋作です。

個人的には、幕末で最も好きなのはこの高杉晋作。

疾風怒濤のごとく駆け抜け、「書生のような軍神」と呼びたいと思います。

今回、改めて高杉を調べ・考えてゆくうちに彼に相応しいネーミングを見つけてゆきたい。

長州藩の良家に生まれた高杉は、裕福な武家という恵まれた環境に育ちました。

幕末を駆け抜けた他の人物と比較すると、最も家柄の良さ・裕福さを持っていました。

いわば「名門の子弟」です。

若い時には、吉田松陰の松下村塾で学びます。

久坂玄瑞・吉田稔麿・入江九一と共に、松門四天王の一人として名を挙げていました。

吉田松陰(国立国会図書館)

松陰の妹を嫁にもらった優等生的存在の久坂玄瑞と並び、松下村塾の双璧。

吉田稔麿も、かなりの人物だったようです。

久坂玄瑞(義助)(国立国会図書館)

惜しむらくは、これら四人全てが20代の若いうちに非業の死を遂げていることです。

そしてその師匠である吉田松陰もまた、安政の大獄で29歳の若さで刑死します。

吉田松陰の実像もよく分からない点が多い。

若い頃は諸国を遊学したと思ったら、いきなりアメリカの船に密航しようとしたり、老中間部詮勝暗殺を企んだり、ちょっと常人の尺度で測り難い人物でした。

考えるだけではダメだ!
実行しなければ!

幕府側からしたら、吉田松陰ら松下村塾の連中は単なる「危険な集団」に過ぎなかったでしょう。

さしずめ、吉田松陰は「危険軍団・テロリストの親玉」に写ったに違いない。

毛利長州藩で恵まれた家庭に生まれ、それなりに過ごすことが出来た高杉。

自らその地位を捨てて、幕末の風雲に突入してゆきます。

中央政界で活動を続けた西郷とは異なり、高杉は基本的に長州藩の枠組の中で活動をしていました。

大きな転機となったのは1862年。

この年、高杉は清国(中国)上海に渡航し、当時英国など列強の植民地同然となっていた清を目の当たりにします。

そして、強烈なショックを受けます。

これはひどい!
中国人が欧米人に、動物の如く扱われている!

このままでは、次は日本の番だ!

ペリーやハリスがやってきて、幕府がなし崩し的に不平等条約を次々と結ばされた、この時期。

後世から見たら「幕末」となります。

Townsend Harris(Wikipedia)

アジア人など、恫喝すれば一発よ!
こいつらなど、大した連中ではないわ!

多くの藩にとっても、徳川幕府独裁の「幕藩体制の限界」が見えてきました。

それでも、旗本を入れて800万石ほどの圧倒的軍事力とパワーを待つ徳川家。

貿易もほぼ独占していて、金銀もたくさん持っている。

さらには、優れた人物もたくさんおり、大勢の軍勢もいる。

「徳川に物申したいが、とても敵わない」と、大人しめの諸侯。

後に維新の原動力となる薩摩藩も、このころは大人しめでした。

いくら我が薩摩藩が強力と言っても、
徳川の力が強すぎる。

その中、勝手に沸騰し続けている藩が一つだけありました。

長州藩です。

徳川幕府をブチ倒すのだ!

新たな国づくりをしなければ、
日本も植民地になってしまう!

高杉晋作は長州藩の中心となって、幕末維新の躍動期を疾風怒濤の如く駆け抜けてゆきます。

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