高杉晋作 2〜表舞台へでる薩摩〜|幕末維新

前回は「高杉晋作 1〜幕末を疾風怒濤のごとく駆け抜けた男〜」の話でした。

高杉 晋作(国立国会図書館)

高杉が上海へ密かに行った1862年。

勝手に沸騰し続けている長州藩に比べておとなしめだった薩摩藩は、有名な生麦事件を起こしています。

生麦事件(Wikipedia)

この事件は、幕末のエポックメイキング的な事件でした。

島津久光のいる大名行列の前を、英国人が騎馬のまま行列の中に入ってしまいます。

「無礼者め!」と憤った薩摩藩士は、久光に「如何しますか。」と尋ねます。

薩摩国父(藩主の父)島津 久光(Wikipedia)

薩摩藩の武威を、
天下に知らしめるのだ!

当時、徳川幕府に物申し、イケイケドンドンだった島津久光。

一言命じます。

斬れ!

そして、薩摩藩士が、全くの民間人である英国人たちに日本刀で襲いかかった事件でした。

英国公使 Sir Rutherford Alcock(Wikipedia)

横浜に観光に来ていた英国人リチャードソン達は、剽悍な薩摩藩士たちに一方的に斬られました。

リチャードソンは死亡します。


英国公使のオールコックは怒り心頭に達しますが、あまりの野蛮さに絶句します。

民間人に、日本刀で斬りかかっただと?

一体、こいつら
どうなっているんだ?

そもそも、この頃の大英帝国は、世界最強の国でした。

中国人が、欧米人に奴隷のごとく扱われている・・・・・

上海は、まるで欧米列強の植民地だ・・・

上海で、衝撃的な光景を見た高杉。

このままでは、我が日本も同じになる・・・

当時の欧米列強にとって、アジア人は「その程度の存在」でしかなかったのです。

アジア人など、同じ人間ではないわ!

近い過去には1840-1842年に、大英帝国が中国にアヘン戦争を吹っかけ、大勝しました。

アヘン戦争(Wikipedia)

この頃、清国(中国)はGDPでは世界最大の大国であったものの、戦争では、全く大英帝国に歯が立たなかったのです。

アヘン戦争は、清国の一方的な敗北に終わります。

そして、清国は英国との間で屈辱的な講和条約を結ばされます。

アヘン戦争:英国軍の侵攻(Wikipedia)

オールコックは、強く憤ります。

よりにもよって、我が大英帝国の
民間人に抜刀して斬りかかるとは・・・

一体何事だ!

ならば、次は日本に戦争をふっかけてやるか

そう考えるオールコック。

子供っぽい久光がやらかしたことは、大変な事態へと向かってゆきます。

やはり、攘夷だ!

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