前回は「「真の主権者」が不在だった大日本帝国〜「天皇の形式」が一人歩き・ノモンハン事件とアジア大陸の不明瞭な国境・国境は厳守せずの姿勢〜」の話でした。
昭和天皇が「米内総理」相談した伏見宮:戦前の「宮様」の超絶影響力

昭和天皇三国同盟論は、
撤回せよ!



それでは
辞表を出させて頂きます。
結果として、大日本帝国を日米戦争に導き、地獄の底に叩き落とす元凶となった日独伊三国同盟。





日独伊三国同盟には
絶対に反対だ!
日独伊三国同盟に対しては、山本五十六が「絶対反対」の姿勢であったことは有名です。
主として「帝国陸軍は賛成、帝国海軍は反対」と表現されることが多い日独伊三国同盟。
帝国海軍内には賛成派もおり、最終的には「日独伊三国同盟締結」となりました。
ここで、大日本帝国の主権者であり、当時は神の存在であった昭和天皇は「三国同盟反対」でした。





米内はむしろ
私の方から推薦した。
「三国同盟締結か否か」で揉め続けた中、昭和天皇独白録は、1940年の米内内閣の話になりました。
1941年は、「真珠湾」の前年の時期であり、米内内閣は1940年1月16日に成立しました。





米内のことを日独伊同盟反対の
伏見宮に相談した処、



差し
支えない。



という意向だったので、
日独同盟論を抑える意味で・・・



米内を
総理大臣に任命した。
ここで、注目は、総理大臣任命権を持っていた昭和天皇が、伏見宮に相談していたことです。
当時、永く軍令部総長を務め、帝国海軍に異常な影響力を持っていた伏見宮。
| 名前 | 生年 |
| 伏見宮 | 1875年 |
| 昭和天皇 | 1901年 |
| 秩父宮 | 1902年 |
昭和天皇よりも26歳も年上であり、バリバリの海軍軍人であった伏見宮。
伏見宮は「宮様の影響力」を遥かに超えた、絶大な影響力を保有していました。
当時、「帝国海軍の主要人事」は「伏見宮抜きには不可能」だった状況でした。


この「謎の状況」は、日米戦中の嶋田繁太郎海軍大臣(後に軍令部総長兼務)の時代も続きました。
「伏見宮の秘蔵っ子」であった嶋田繁太郎に対して、伏見宮は「徹底擁護」を続けたのでした。
米内内閣をあっさり倒閣した帝国陸軍:「陸軍総意」に押された畑俊六


とにかく、「伏見宮の同意」を取り付けた昭和天皇は、米内光政に組閣を命じました。



そして米内に大命を授けると同時に、
畑を読んで、米内を援けることを要望した。



ところが、この要望したことが計らずも
禍を成して陸軍の反対を招いた。


陸軍大学校を首席卒業し、若い頃からその名を轟かせていた優等生の畑俊六。
昭和天皇は、「米内+畑」の「陸海軍良識派コンビ」に「三国同盟反対」を委ねました。



当時、欧州にあるドイツの成功は、
我が国に影響し、日独同盟論者は益々増加し・・・



また一方、近衛の新体制運動が起こったのと、
かつは陸海軍間の感情論等からして・・・



米内内閣は、陸軍に
倒された。
昭和天皇が語っている通り、米内内閣は、たった半年ほどで倒閣してしまいました。



・・・・・
| 総理大臣名 | 在職日数(日) |
| 岡田啓介 | 611 |
| 広田弘毅 | 331 |
| 林銑十郎 | 123 |
| 近衛文麿(第一次、第二次、第三次) | 1035 |
| 平沼騏一郎 | 238 |
| 阿部信行 | 140 |
| 米内光政 | 189 |
| 東條英機 | 1009 |
| 小磯国昭 | 260 |
| 鈴木貫太郎 | 133 |
当時は、内閣が頻繁に入れ替わった時代でしたが、米内光政は無念だったでしょう。



要するに、最初、畑に援助させたことを
陸軍は釈然とせず・・・



これに加えて、新体制運動と日独同盟論とが
勢を成して、内閣は陸軍の為に圧せられたのである。





全Europeを
我が手に!
「電光石火」を超えた、「ウルトラ電光石火」の如く、欧州を席巻したドイツ。
「領土を猛烈に拡張し続けた」ドイツに対して、「領土を猛烈に拡張したい」陸軍は激しく同調しました。



米内内閣は、
よくやったと思う。
ここで、昭和天皇の独白は終わり、「昭和天皇独白録」の注釈が続きます。



実は米内内閣を倒したのは、
畑俊六陸相の辞表提出にあった。



陸軍は後任の陸相を出さないという、
軍部大臣現役生がある以上・・・



他から陸相を求めるわけには
いかず・・・



米内内閣は総辞職するほか
なかった。



畑は必ずしも三国同盟に
賛成ではなかったが・・・



陸軍の総意に押し捲られて
辞表を出したのである。



米内は
辞任の理由で、



陸軍大臣は近時の政情に鑑み、
辞表を出したので。



と率直に倒閣の責任が
陸軍にあることを明らかにした。
とにかく、「陸相辞任+後任陸相出さない」で、あっさり倒閣してしまう状況だった大日本帝国の内閣。
もはや、「帝国陸軍が内閣を支配」する状況でした。
昭和天皇の「よくやった」という言葉。
とにかく、米内光政は、昭和天皇がずっと信頼し続けた人物の一人でした。
「日独同盟の切り札」だった米内光政総理は、陸軍によって消えてしまいました。
超短期間に、極めてあっさり、と。

