当初関東への侵攻を目論んだ武田信玄〜関東地方の一部だった甲斐国・「海に全く面していない」甲斐国の超特殊な環境・水運と物流〜|武田信玄15・戦略・戦術・エピソード

前回は「海を求めた武田信玄〜理想的軍事同盟の甲相駿三国同盟・数少ない守護大名上がりの今川家と武田家・関東の大勢力北条家との連携〜」の話でした。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

当初関東への侵攻を目論んだ武田信玄:関東地方の一部だった甲斐国

Historical Voyage
鎌倉公方の関東地方支配領域(新歴史紀行)

武田晴信(以下、信玄)が成長し、おそらく彼が最も愛した国であった甲斐国。

武田信玄

ワシはガンガン領土を
拡大してゆくが、甲斐は別格!

この甲斐という国は、「一切海に面していない」という特徴を持っていました。

そして、武田信玄が登場する少し前から、鎌倉公方周辺で動乱が起きていた関東地方。

実は、甲斐は当時は「鎌倉公方の統治国10カ国の一つ」であり、「関東地方の一つ」でした。

現代の感覚では甲斐(山梨県)が「関東の一部」ではなく、「甲信地方」という別地域です。

この「関東地方の一部」であった甲斐にいた武田信玄にとって、本来であれば、

武田信玄

甲斐から関東地方に
乗り込んでゆきたいが・・・

最初はこう考えたと考えるのが自然です。

戦国大名 北条氏康(Wikipedia)

ところが、当時の関東には「関東の覇王」である北条家がガッシリと固めていました。

北条氏康

関東は我が北条家が
支配するのだ!

新歴史紀行
関東勢力図:1546年頃(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

1521年生まれの武田信玄が25歳頃となった関東地方では、北条家が猛烈な勢いを持っていました。

北条早雲から北条氏綱に至る、北条家の勃興期の話を上記リンクでご紹介しています。

もともと「伊勢家」であった北条家は、「政所執事の伊勢家一派」という説があります。

一方で、関東地方で勢力を拡大するために「わざわざ関東で馴染み深い北条」という名前に変えた北条家。

まだまだ家柄の高さが強い影響力を持っていた時代でした。

この時代に、わざわざ「北条に改名した」ということは「元は名家ではなかった」ことを示します。

対して、清和源氏嫡流で甲斐守護の「超名家」であった武田家。

そして、後の姿勢から「名家意識が超強かった」武田信玄。

武田信玄

我が名家の武田家が
関東に乗り込んで、鎌倉公方を補佐する!

若き武田晴信がこう考えたと推測するのが、自然な流れです。

ところが、当時の武田家にとっては、「北条家は経済力・軍事力で遥か格上」の存在でした。

武田信玄

ちょっと北条家を倒す
軍事力はないな・・・

こう考えた信玄は関東ではなく、信濃に向かったのでしょう。

「海に全く面していない」甲斐国の超特殊な環境:水運と物流

新歴史紀行
京・山城中心の日本(新歴史紀行)

昔の国名には、「京・山城中心の国家像」が強く現れていました。

「前・中・後」や「上・下」などが付いている国名が多かった当時。

実は、これらの国名は「全て京から見た位置」でした。

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日本の旧国名:前と中と後・上と下・近と遠
日本の旧国名:京中心の国名

・越前と越中と越後(前・中・後)

・備前と備中と備後(前・中・後)

・上野と下野(上・下)

・上総と下総(上・下)

・近江と遠江(近・遠)など

この中で不思議なのは、「上総と下総」です。

陸上で考えると、どう考えても「下総の方が京に近い」ので逆となるはずです。

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関東地方の水運の推測(新歴史紀行)

この「上総と下総」の名称の理由は、おそらく、武蔵や相模周辺から上総へ水運が盛んだったことです。

そして、これらの国名が日本の行政区画として定まったのは「9世紀ごろ」と言われています。

つまり、「9世紀ごろ」には既に「関東地方の水運が盛んであった」ことを示していると考えます。

このように考えると、関東地方の南側の国々は「水運が盛んで繋がりが強かった」と考えます。

関東地方南部の陸運・水運でつながった国々

・伊豆

・相模

・武蔵

・上総

・下総

・安房

地名から、「当時の関東地方10カ国のうち、6カ国は密接な繋がりがあった」と感えられます。

既に伊豆・相模・武蔵に超強力な地盤を持っていた北条家は、「関東を半分支配した」存在でした。

武田信玄

我が甲斐には
山が多く、物流は少ない・・・

現代も当時も「物流は国家の基本中の基本」でした。

この「物流において大きく劣る」のが甲斐でした。

さらに、甲斐は「海に面していない数少ない国家」という特徴がありました。

海に面していない8つの都道府県

・栃木、群馬、埼玉、山梨、長野、岐阜、滋賀、奈良

現代、「海に面していない都道府県」は上記の8県でした。

海に面していない8つの旧国名(県から変換)

・下野、上総、武蔵、甲斐、信濃、美濃、近江、大和

これらの「海に面していない県→旧国名」にすると、上記になります。

これらのうち、武蔵は海に面しており、代わりに山城は海に面してないことを考慮します。

海に面していない8つの旧国名(県から変換)

・下野、上総、甲斐、信濃、美濃、近江、大和、山城武蔵を削除)

武田信玄

そもそも海が全くない
我が甲斐・・・

武田信玄

海があると、交易がしやすく
経済的にもとても良いのだが・・・

こう悩んだ信玄は、「やはり海がない信濃」を目指すしかない状況でした。

武田信玄

信濃も海がないが・・・
石高は高いから占領したい・・・

おそらく、若き信玄は、

武田信玄

信濃の後に、
関東に侵攻しようか・・・

このような考えも持っていたでしょう。

ここで「思わぬ天敵」が登場したことで、信玄の戦略は大きく変更を余儀なくされました。

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