武田信玄 14〜甲相駿三国同盟〜|軍略

前回は「武田信玄 13〜第一次川中島の合戦〜」の話でした。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

村上義清を追っ払い、辛くも長尾景虎を撃退した晴信。

第一次川中島合戦(歴史群像2004年2月号 学研)

勝ったが、
また景虎はやってきそうだ。

と考えた晴信。

後方を固めよう!

と考えます。

これ自体は非常に「自然な流れ」であり、

まずは今川と
同盟を結びたい。

と考えた晴信。

今川家と同盟の折衝を始めた武田家に対して、今川家は考えます。

今川 義元(Wikipedia)

武田と結ぶのは、
メリットが大きい。

今川は、三河で
戦い続けている織田に集中したい。

北条家も
抱き込めたら良いのだが。

提案したのは今川義元の軍師格だった太原雪斎と言われています。

北条家のう。

当時、新興勢力だった北条家。

北条 氏康(Wikipedia)

侵攻勢力ながら、当時急成長していた北条家は、石高では武田・上杉を上回る存在です。

関東・甲信勢力図 1555年(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋

我が武田・今川・北条が組めば、
天下に敵なしだのう。

西の武田・今川と組めば、
関東制圧に専念できる。

北条家・今川家との甲相駿三国同盟を締結します。

甲相駿三国同盟(歴史人 別冊「戦国武将の全国勢力変遷地図」)

この「双方の背後を固める」と言う意味で理想的な三国同盟だった甲相駿三国同盟。

この同盟を締結するには、双方ならぬ三方で相当な協議を重ねたでしょう。

とにかく、お互いに利益がガッチリ噛み合って成立した甲相駿三国同盟。

締結したのは1554年で、晴信33歳の時。

これで、
北上に集中できる!

まだ、若手ながら非常に老練な戦略家・晴信でした。

そして、善光寺を固めて信濃制圧を固めることを目論みます。

さらには、その先に広がる広大な世界。

それは、武田家はもっていなかった世界でした。

海です。

海に出たい!

交易で、大きな軍資金を
得るのだ!

こうして、軍事・経済基盤を固めるためには、「上杉家を倒す」事がベストな選択肢と考えた晴信。

さらに、景虎と戦いを決断します。

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